「フェイトさん、元気でいるかな」
 エリオはそうひとりごちて、自然公園の一角にある巨樹の根元に寄りかかった。太陽は沢山の葉に遮られながらもまだ高くにあり、それを見つめながら手元のジュースを一口飲む。キャロは今、この辺りにはいない。
 彼もまた、地球では小学生と呼ばれる年ながらミッドチルダではれっきとした社会人である。いつまでも休む訳にはいかない。
 ふと、以前ミラが愚痴を零していたのを思い出した。タントと二人で向き合わされ、アルコールを入れながらの話だった──自分は飲めないから辞退した。
「まぁ、保護隊は暇といえば暇だから。もちろん重要な仕事ではあるんだけど、いかんせん前線の武装隊や捜査官に比べれば、ね。それに実際、ココのところ上の仕事が滞ってるのよ。『あまりにも登録される希少生物の種類が多くて、これは本当に気性なのか』って。キャロちゃんが入って来てくれてからすっごくはかどってるんだけど、それをどうにかする上の人たちには頼りになる新人がいないみたいなのよね」
「仕方ないさ、優秀な職員はウチで全部貰ったんだから」
「あはは、それは言えてるかもね」
 二人は笑っていたが、笑っていなかった。
 「という訳で、私たちだけでどうにかなるから」としばらく半日勤務にしてもらった──というよりか、キャロと一緒にほぼ強制的にさせられた──少年は、余った時間をどうすることもできず、ただただ無限に続く空と雲を見つめるだけの日々が、ここ三日のことだった。
 読みたい本があったような気がするが、それが何だったかは忘れた。仲間であり、馴染みの仲となったキャロとも話すべきことがあったような気がしたが、これも思い出すことができない。
 憎らしいくらいに澄み切った青空を見上げて、もう何度目かも分からない溜息をつきかけ、それをジュースと一緒に飲み込んだ。
 フェイトは生きている、間違いなく。
 そんな心だけの確信にはどこか揺らいでいて、とても不安になった。誰かに、この確信をもっと「確かな」ものにしてほしかった。

「エリオ君、最近ちょっと変だよ……」
 キャロもまた、エリオと同じように昼休みを無為に過ごす他なかった。
 自分は、エリオよりずっと幸せだと思っている。エリオが長期間に渡って監禁され、心も身体もボロボロだった、と聞いている。
 自分は、そんな悲惨な目に遭った訳ではない。少しだけ他人より強すぎる力を持って生まれてしまったから、それを制御するために──もう、それが建前であると知ってしまったけど──旅に出ただけだ。かつての上司であり今も親交があるなのはの故郷で言われる諺に、「可愛い子には旅をさせよ」というらしい。ならば自分は育てられるべき正当な教育を受けているだけなのだ、何も不思議なことや不遇なことはない、と思う。
 半日勤務が終ると、エリオはいつもどこかにフラッといなくなる。夕飯時には戻ってくるが、次の日の昼になれば、やっぱりいなくなる。そんな日が三日も続けば、誰だって心配になろうというものだ。
「はぁ」
 今いる次元世界はミッドからほとんど離れておらず、半日どころか四半日足らずで行くことができる。ひょっとすると、そっちのどこかにいるのかもしれない。
 ココアをこくりこくりと飲みながら、彼の帰りを待つ。今の地方は朝夜の冷え込みがやや厳しく、これから本格的な寒さが訪れると聞いた。雲行きも若干怪しく、今日はまだ大丈夫だろうが、明日は雨だろう。
「可愛い彼女を待たせるなんて、エリオ君も罪な男だよね」
「わっ!」
 危うく、マグカップを取り落としそうになる。ミラが来て、実に唐突に話しかけてきたのだ。
「ああ、驚かせちゃってごめんね。ただ、物思いに沈んでたからどうしたのかな、って」
「いえ、別にどうということは……ただ、どこかに行っちゃうエリオ君が心配で」
 そう言うと、ミラは笑いながら肩を叩いてきた。
「あはは。彼女を置いていくなんて、エリオ君も罪な男だよ、まったく」
「え、あの、彼女って、誰がですか?」
 思わずとぼける。もちろん、バレバレになるだろうことは十分分かっていたが。
「え、あ、いや、ははは……何でもないわ。とにかく、エリオ君と仲良くしなさいよ。あなたとエリオ君は、多分これからもずっと一緒にいるんだから」
 意味深なことを言って、ミラはまた職務に戻っていった。どうやら真に受けてくれたらしい。妙な世話を焼かれるのも、失礼ながら何となく嫌だし、かといって互いに疎遠になるのも、ギクシャクしてこれまた困る。
 ひょっとすると、気を使ってくれたのかもしれない。
「ああ、暇だなぁ……」
 空になったマグを手で抱えながら、コロコロと回す。フェイトのことはあるにはあるが、それはそれ、これはこれ。目の前に本来存在するはずの仕事を「やらなくていい」と言われてしまえば、一体何をすればいいのか見当もつかない。かといって遊びたい気分にもなれない。
 何かが噛み合わない。そう思いつつも、エリオの帰りを待つ他はない。肝心の本人がいなければ、何を話すこともない。
 虚空を見上げる。すっかり名前を覚えてしまった猛禽や小鳥の類が大空に羽ばたいている。
 一方地面を見れば、これまたすっかり名前を覚えてしまった昆虫や小動物がチョロチョロと動き回っている。きっと冬に向けてエサを溜め込んでいるのだろう。パンくずの欠片をあげようと思ったが、それは規則で禁止されているので止めた。
 猛獣の類は、そんなのが近くにいる場所にキャンプなど張れようもないので見かけない。しかし、二、三日のうちにそういった生き物の生態を調査する予定になっていたから、きっと沢山の名前をそこで覚えることになるだろう。忙しい日々に埋もれるのが、どうすることもできない現状の中では一番楽だった。
「でも、エリオ君の心は、どうなっているんだろう?」
 肝心要のことが、よりによって空白だった。最上の親友のことを、良く考えてみればほぼ全く知らないような気がしてきて、キャロは身震いした。

 エリオはまだ、母親に甘えていてもまったく問題のない年だった。もちろん、キャロも。
 しかし、それを二人とも認識できるはずがない。ただ、今は保護者の『いない』時間を過ごすことに、何だか命綱のない綱渡りをしているような気がしているのだった。

***


 時空世界を統括する実質の最高権力である管理局とはいえ、人間の集団であることに変わりはない。たまにはレジアス元中将のような人材もいるし、歪んだ正義以上の悪意を湛えている者も、それ相応にいる。
 と同時に、管理局の存在を知っている程度の技術を持つ世界の住人で、管理局を快く思わない集団、或いは世界そのものがあることもまた、揺るぎようのない事実でもある。
「オールドミラーはどうなったのだ?」
 薄暗く閉ざされた会議室の中で、女の図太い声が響いた。部屋の中には彼女を含めて四、五人。それに続いて、若い男の声がする。
「はっ。テスタロッサ執務官──AAA+クラスの被験体に実験したところ、見事成功しました。現在、第三段階へ向けて調整中です」
「順調ならば、そう言うがよい……そうか、予定よりかなり早いな。ならば、前倒しして第四段階へ移行せよ」
「はっ!」
 そして、管理局の人員もまた、一部に内部を快く思わず、手ずから実権を掌握せんとする一派があるのだった。
「それにしても、何故このようなロストロギアが放置されていたのだ? 千年近く経つのではないか」
 先ほどの女が、誰にでもなく独り言を言った。双眸は深く遠くを見据え、肩口にかかった髪を気だるそうに振り払う仕草からは、内部に不満を持っている様子がありありと見て取れた。
「ギース」
 一言呼ぶと、男が音もなく現れた。ひょろりと長い背に、女性かと間違えそうなほど長い髪。
「そろそろ行動を開始するぞ、三提督の鼻を明かしてやるのだ」
「御意にございます、メイベル様」
「まずは執務官の実験を続ける。私が加えた『新機能』、アレがどれほどのものか、どこまで通用するのか、可能な限りテストをしなければならないからな」
「メイベル様の技術なれば、アルハザードのものにも劣ることはないでしょう……それでは、行って参ります」
 ギースはひらりと身を翻して、会議室を後にした。
 残されたメンバーの前で、メイベルが声高に言う。
「さて、さて。私たちはこれから歴史を塗り替えていくのだ。ジェイル・スカリエッティは失敗した。なんとなれば、彼は民衆を取り込むことに失敗したのだ。更に、敵である管理局に強い味方を作ることもなかった──レジアスを選んだのが、スカリエッティ最大の誤算だったな。さぁ、変革の時は来た。新たなる暦を作るのだ!」
 会議室で起こった小さな拍手は、捜査官であるはやてや執務官代理となったティアに伝わることはなかった。


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