「え? え?」
 全員の間に奇妙な混乱が広がった。今、一体何が起こったのか。
「リイン、再生不良か何かか?」
「そんなはずは……もう一度再生してみます」
 数秒巻き戻してもう一度再生してみても、やはり鏡に向かってバスターが飛んでいき、そして同じように映像が突然途絶えてしまった。
「後ろからやられた、のか? あのテスタロッサが?」
「分かりません、もっと詳しく調べてみないことには……解析班に回しましょう、私はこれ以上のパラレルワークは流石に無理です、あぅ」
「フェイト、ちゃん……」
 今度は、全員の足が棒のように固まってしまった。昨日までのフェイトは、いや今日の午前中まで笑っていたフェイトは、一体どこへ行ってしまったのか。
「はやて隊長」
 突然、なのはが声を上げた。
「どうしたん?」
「いえ、その……気分が優れないので退席しても宜しいでしょうか」
 フォワード部隊は目を丸くした。未だかつて、なのはが体調不良を訴えて休むことなど一日だってなかったのだ。大怪我を負った時でさえ誰よりも早く現場復帰したスターズ分隊隊長が、何故?
「ええよ」
 そして、それをコンマ一秒で了承したはやてもはやてだった。今日の隊長陣は、何かがおかしい──シグナムだけは、いつもと同じように難しい顔をして腕組みをしていた。
 四人が戸惑いを覚える前に、はやては皆を見回す。
「まだ新情報は……来ぃへんね」
 時刻は既に午前二時を回ろうとしている。救急救命の現場から突然連絡が来て、手が空き次第すっ飛んできたスバルなど、緊張感のある目はそのままに、明らかに隈ができていた。恐らく一日中当直だったのだろう。
「なのは隊長もみんなも、一旦解散してええよ。宿舎に空いてるのがあるから、シャーリーに案内してもらって」
 如何にベルカの騎士といえど、不眠不休で働くことはできない。まして、人間や機械化人であるフォワード部隊は言わずもがなである。
 一同はシャーリーに連れられて部屋を出て行った。クロノも、あくびをしながら通信を切る。
「俺たち責任者にできることは、傲慢であることだ。誰が行方不明になろうが死のうが、まったく動じない精神力が問われる。組織の上に立つ以上、仕方のないことだ──はやて、お前も適当に休めよ」
 ユーノも、「もう少し作業を進めるよ、それじゃあ、また後で」と言ったきり、通信を閉じた。後には、機械のブーンといううなりと、空調の静かな駆動音しかしなかった。まるで、世界からはやてとリイン以外の全てが、忽然と消えてしまったようだった。
「……さて、あたしだけは徹夜になりそうやな。リイン、解析が終ったデータを寄越して。こっちで検討するから」
「はいです」
 二人は仕事に没入し始めた。フェイトは何故倒されたのか、そしてその原因は何か。
 送られてきた全てのデータを、カリムやクロノに説明できるようまとめ終ったのは、朝日が燦々と降り注ぐような時刻になってからだった。

 翌朝。まだスズメがチュンチュンと鳴き、一部の訓練生が朝練のために起き出す頃。
 殆ど一睡もしていなかったなのはは、事件調査があまり進展してないと知って愕然とした。
「仕方ないんよ。深夜のことやったし、当直の局員も少なかったし……大丈夫、今日中には結果が出て、調査隊も派遣されると思うから」
「う、うん」
 文字通り、仕方のないことだった。それに、なのはにも戦技指導官としての仕事がある。昔なじみが失踪した程度では、休む訳にもいかない。それが、時空管理局という組織に限らず、かなり一般的に通る常識であることくらい、なのはにも分かっていた。
「ほら、そんな顔せんと。フェイトちゃんが戻ってきた時までずっとそんな顔やったら、笑われてしまうで?」
「そうだね……ありがとう、はやてちゃん」
「ううん、なのはちゃんが辛そうな顔してるの、あたしも辛いから。なのはちゃんはやっぱり笑顔が一番や」
「それでも、だよ」
 そこへ、シグナムも起きてきた。
「おはようございます、主はやて、なのは」
「おはよう、シグナム」
「随分と疲れているようですが、お体は大丈夫ですか? なのは、お前も」
「私は大丈夫、でも、はやてちゃんは徹夜で仕事してたみたいだから」
「あたしこそ大丈夫。さ、二人とも食堂行き。朝食の時間、そろそろ始まるで」
 そう言って二人を送り出すはやては、ほんの少しだけやつれて見えた。
「あたしはもう少しだけ頑張ってから行くわ。二人とも先に──あぁ、行きがけにヴィータを起こしてきて。あの子寝ぼすけやし、下手するとシャマルも一緒に寝てるかも知れへんから」
 はやの言葉を背中に受けて、なのはとシグナムは部屋を出た。明るくなった管理局からは、少しずつ人の出てくる気配がする。
「何はともあれ、まずは食事だ。腹が減っては戦はできんぞ? テスタロッサを探すのは、その後だ」
「うん……分かったよ」
 途中、ヴィータを起こして、食堂へ向かう。眠そうな目を擦りながら、不機嫌そうに二人の後をついていった。
 食堂には、ティアをはじめフォワード部隊が既に着ていた。しかし、そこにスバルの姿はない。
「あの娘、この三日間ずっと当直だったらしいのよ。だから、朝は起こさないであげようって」
 サラダを取りながら、ティアが言う。それを見たキャロも、同じようにサラダへと手を伸ばした。
 そして、更に山盛りに載せた。
「え?」
「キャ、キャロ?」
 ティアもエリオも、もちろんなのは達も、目を点にしてしまった。どうみても、小柄で少食だった彼女が食べる量ではない。しかも、サラダだけで、である。更に言えば、最後に会ってからまだ十日も経っていないのだ。
「え、えと、休暇が終ってから急にご飯が一杯食べたくなって、ミラさんに相談したら『成長期だね、モリモリ食べなさい』って言われて……あと、なんでかは知らないんですけど、お赤飯、っていうんですか、小豆の入ったご飯を食べさせられて……」
 それを聞いて、ティアとなのはは得心顔で頷いた。シグナムはその生い立ちから実感こそ沸かなかったが、地球での暮らしが長かったために、すぐに納得した。
 エリオは、首を傾げる他なかった。

 朝食後、エリオとキャロは警備隊に帰っていった。ティアも、執務官補佐──肝心の補佐する執務官本人が行方不明だから、今はシャーリーと二人掛かりで臨時の執務官をやらされている──の仕事に就くべく、食堂を離れた。
 なのはも、何事もなかったかのように立ち上がると、指導官としての仕事に戻っていった。敢えて表情を殺しているように、周りには映っていた。
 しかし、はやてだけは人知れずデスクにかかりきりになり、ほぼ丸一日働き通しだった。更にこの後、聖王教会に行く必要があるのだ。顔を洗う暇も、ロクに取れなかった。
「リイン、行くで」
「はいです。でも、はやてちゃん、大丈夫ですか?」
 リインが心配そうに聞くと、はやては小さくかぶりを振った。
「まだまだ、八神はやての実力はこんなもんやないで」
 引きつったような笑みを浮かべると、はやては人を呼び、車に乗り込んだ。
 もちろんそこに休息はなく、ノートパソコンをカタカタと叩く仕事が待っていた。
「おはよう、はやて」
「おはようございます、カリム、クロノ君」
 既に、教会にはクロノも来ていた。三人で、現状の打診を進める。
「この件は、執務官失踪事件という単純なものに収まろうという気配が、どうもないらしくてな。まずはこれを見てくれ」
 窓のブラインドを落とすと、クロノはパネルを動かし始めた。程なくして、一つの動画が姿を現す。それは、謎の鏡とフェイトが戦闘を繰り広げている、件の動画だった。
「そっちが見た限りでは、飛んで行ったバスターが映ったまま、突然消えたはずだ。違うか?」
「いや、そうだったで」
 やっぱりな、と溜息を吐くと、クロノは説明を始めた。
「実は、アレは本局の人間がラストの部分だけ切り取ったというタレコミが入ったんだ。これはまだ一般の人間には公表されていないから、信憑性はある──とはいえ、報奨金目当てのガセネタという可能性もあるからまだ断定はしかねるが、今人を遣って、事実確認と、削除された部分に捜索に当たらせている。犯人は現時点では不明だが、まぁ十中八九内部の人間だ」
 カリムも、困ったように言う。
「残念だけど、私の予言にもこの事件そのものは殆ど載っていなかったのよ。多分、これからのことだと思われる一文は、あるにはあるのだけれど」
 カリムは立ち上がると、詩にも似た予言を詠み始めた。
「鉄のイナゴは食い尽くす、ヒト、モノ、全て、星さえも。神の御心叶わす為に、鳩の血捧げ、誓うだろう。世界の全て覆う術、ここに来たりき、人形師」
 詠み終えると、カリムは独り言のように言葉を漏らした。
「嫌な予感がするわ……スカリエッティのときと同じか、或いはもっと大きくて、悲惨な事件が起こりそうな……でも、縁起でもないわね」
「でも、今のところカリムの予言は一度も外れたことないんやろ?」
 はやてが、その不安を遮るように手を二、三度振った。
「信用できるだけのスキルを持ってるんやから、縁起でもないことが起こる前に対策を立てた方がええ。もしこれ以上何も起きへんのやったら、それでええやん?」
 はやての言葉に、クロノも頷く。
「最悪の事態を常に想定して動くのも、後方にいる者の務めだ。そうならないように、全体を始動していかなければならん」
「そうね。弱気なこと言ってごめんなさい」
「なに、そういう日もある。そんな日こそ、俺たちの出番があるってもんだ」
 カリムは、少し笑った。
「ええ、ありがとう、二人とも」
 そこへ、シャッハがお茶を持ってきた。ほんのしばし、くつろぐ。
「ん? ああ、もうこんな時間や。管理局に戻らなあかん。そろそろ解析チームから送られてきたデータが山積になっるはずや」
 一杯目を飲み終ったと同時にはやては立ち上がり、そのまま帰路に着くことになった。
「それじゃ、お茶ごちそうさま。また新しい情報が入ったらすぐ連絡するわ」
 管理局へと戻っていくはやての後姿を見ながら、カリムはボソッと呟いた。
「あの子、頑張りすぎて倒れないといいけど──」
 そしてその日も、はやては眠らなかった。それでも倒れなかったのは、ひとえに執念の成せる業であった。


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