──それは、小さな願いでした。『一緒にいたい』、ただ、それだけでした。そしてそれは、すぐには実現しないのでした──

 この、墨を塗りたくったような真っ暗闇も、古代遺物たるロストロギアの仕業なのだろうか。月は出ておらず、雲も厚く垂れ込めているせいで星明りも見えない。今にも雨が降り出しそうな、湿った空気が辺りを包んでいる。殆ど切れかけた街灯が息を吹き返したときにだけ、チカチカと周囲の影が見える程度。そんな真夜中であった。
 そこへ、ありえないことが起きた。
 終にその鼓動を止めた街灯のせいで何も目に捕らえられないはずの闇中にあって、『更に暗いモノ』が、もぞりと動いた。
 何者よりも、空間そのものよりも、もっとずっと黒い塊は、確たる形も見えないまま、這うようにアスファルトの上を動いて、そのまま人の知れない場所へ消えていった。
 虚無を具現化したようで、そこから何かがなくなったようで。意思を持つのか持たぬのか、生きているのかいないのか。
 その暗闇自体は、時間にしてみれば僅か数分のことだった。しかし、それを偶然時空管理局の一般職員が見かけたのが、後に「オールドミラー事件」と呼ばれることになる、混乱の小さな始まりだった。

「なんやて……」
 休暇が終ってから、僅か三日後。
 八神はやての元に第一報が届いたのは、少し早い夕食を食べ終った直後のことだった。
「フェイトちゃんが……行方不明?」
「ええ。午前中にロストロギアの回収に向かった後、連絡が取れなくなったそうです」
「……詳しい話は後や。至急、旧起動六課の全員を集めてちょうだい」
「分かりました」
 部下に命じて、自分も動く。
「ユーノ司書長、クロノ提督、リンディ統括官、カリム。皆さんにお話があります、緊急事態です──」
「リイン、早よ資料集めて……まさか、フェイトちゃんがいなくなるなんて……」
 如何に異例の昇進を果たし、内部にコネクションを持つ八神元部隊長でさえも、各々の部署に散らばったメンバーを緊急召集するのは、中々骨の折れる仕事だった。特にスバルは出動していたので、全員が揃って話を始められるようになったのは、既に事件が発覚してから十時間が経過しようとしていた。
「こうして集まってもらったのは他でもあらへん。特に、エリオとキャロはしっかり受け止めてもらわなあかん」
 全員、「緊急事態につき至急集合されたし」という一言しか聞いていなかったものだから、何が起きたのかを正確に理解できたものはいなかった。しかし、そこに約一名が欠けていたことから、何かが起きたのかは誰の心にもおぼろげに分かっていた。
「フェイト・テスタロッサ執務官が、ロストロギア探索の任務中、行方不明になった」
 はやては、いかにも事務的に勤めるよう淡々と話していたが、拳をきつく握り締め、唇を噛み締めている様子から、相当の無理をしていることは自明だった。
「詳しいことを教えたいんは山々なんやけど、殆ど何も分かってへん。テスタロッサ執務官が追っていたロストロギアが一体何なのか、それすらさっぱりや。今、ユーノ無限書庫司書長がモニター越しになっとるんは、一足先に報せて調べてもらってるからや」
 数多く点いたモニターの中には、住む時空世界が違っていたり、ついさっきまで当直だった者を含めた数人が、他の全ては事件に関する資料の収集に全力で当たっていた。その端末は残らずリインに繋がっており、いつも元気に飛び回っている「ちびリイン」の姿は、すっかり鳴りを潜めていた。
 突然の宣告に、皆が皆神経をやられたようだった。最も動揺していいはずの旧き親友も、この時ばかりは茫然自失としていて、いつ気絶してもおかしくはない雰囲気だった。

「エリオ、少し落ち着き」
 そんな中、混乱からいち早く立ち直ったフォワードの黒一点は、血気盛んな顔でそわそわしていたが、はやてにたしなめられて、感情を露にした。
「だって、すぐ助けに行かないと……フェイトさんが……フェイトさんが……!」
 いつも想い、大切にしてくれた人。キャロと、最高の仲間と引き合わせてくれた人。命の恩人とも言えるフェイトがいなくなった事実に、エリオはいてもたってもいられなくなっていた。
「無理言わんとき」
「でも……」
 パシン、と破裂音が響いた。エリオの頬も、はやての掌も、ジンジンと赤く腫れている。ぴしゃりと、冷徹なまでに厳しい声ではやては言った。
「いくら制限がかかとっても、執務官はランクでも技術でも最上級や、アンタら四人が束になってやっと虚を突けるかどうかや。増してエリオ、一人で先走ってどうにかなると本気で思ってとるんか?」
「ご、ごめんなさい……」
 現実を突きつけられ、すっかり萎れてしまうエリオ。
「相手の能力は完全に未知数。出会い頭ならともかく、一度見えてしまったものはきっちり対策せな。とっさの対応力は──これはもう経験を積まなあかん領域や」
「おい、はやて」
「え? ……あぁ、ごめんな、みんな。少し言い過ぎたわ」
 今や、全員が沈痛な面持ちになっていた。
「……え?」
 突然、リインが素っ頓狂な声を上げた。
「今、バルディッシュが送ってきたロスト直前に送信した映像が届いたのですが……」
 リインが端末のキーボードを叩くと、データを解析していた画面のひとつがブラックアウトし、荒れた映像が躍り出た。全員の注意がそちらへ向く。
 画面の中で、フェイトは所狭しとばかりに動き回っていた。付近には誘導弾が飛び交っている。バリアが相当硬いのか、攻撃をいくら当てても弾かれてしまっている。そしてその相手は、一枚の鏡だった。
 大人の半身が映りこみそうな大き目の鏡で、地球でいうところの西洋アンティーク風な縁取りがなされている。オーク材らしい茶色の縁からは、不気味な蛍光を発する緑色の靄が揺らめいていた。
「あれは魔力輻射ですね。非思考タイプのアイテムなんかは、うんと高い魔力を持ってると、それを押さえつけないでいる限りは少しずつ漏れ出してあんなふうに光るです」
 一瞬、漏れていた光が引っ込んだ。今までフェイトを追いかけていた誘導弾が一箇所に集まり、巨大な魔力塊が形成されていく。それに反応したフェイトも動きを止めて、射撃の詠唱を始めた。
 みるみるうちに魔力が一人と一つの間に充満していった。張り詰めた空気が部屋の中まで染み込んでくるようで、ティアはぶるりと身体を震わせた。フェイトが力を込め、バルディッシュからバスターを射出しようとした時、
「あっ!」
 一足先に、鏡の方からフェイトへと、鋭く、しかも大きな射撃が襲い掛かった。その瞬間、フェイトはギリギリまで小さく制動し、常人を超えた反射神経で魔力弾を避けた。
「……?」
 口には出さなかったものの、シグナムは首を傾げた。今の射撃が避けられるのならば、何がフェイト・テスタロッサを打ち破ったのだろうか……
 魔力弾が当てずっぽうな方向へ飛んでいくのを確かめる暇もなく、詠唱を終えたフェイトが改めてバルディッシュを向けた。
「行くよ、バルディッシュ!」
「Yes, sir」
 鮮やかな紫を纏ったフェイトの射撃が、爆発したように鏡へと突進していく。
 そして、そこで映像はプツンと消えてしまった。


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