アリサ・バニングスの我慢は限界に来ていた。
「なーんーでーこの二人は!!」

約束は、10時だった。
それよりずっと前からいたと思われる、フェイト。
ピッタリ5分前にやってきたアリサ。
そこからほんの僅かに遅れてすずか。
時間通りに、はやて。

「……で、なんで歩いて10秒のなのはが家から出てこないの?」

問題は、集合場所に肝心の人間がいないことだった。
5分経っても現れる気配すらない。
チャイムを押して出てきたなのはの母、桃子にも、『ちょっと待っててね』と言われるばかり。
その顔がちょっと苦笑いだったのを、アリサは見逃さなかった。
「二人は、何してるんですか?」
「今、お風呂に入ってるみたいなんだけど、ちょっと出てくるのが遅くて」
「……なるほど」
風呂の中でもいちゃいちゃしている訳だ。
「まぁ、なのはたちが出てくるまで待ってますから」
「ごめんなさいねぇ」
「いえ、お構いなく」
これはどうしても、詰問の一つでも浴びせなければならなかった。
キッチリ7歩ずつ歩いては折り返し、なのはたちの出現を待つ。

「ごめ〜ん、遅れちゃって」
そして、件の人物がやってきた。
「何やってんのよ、アンタ普段は遅刻、なんて……」

「しないじゃないのよ……」

それはもう大遅刻をする訳だ、とアリサは思った。
なのはは、両手をユーノの腕に絡み付けて登場した。
まるでユーノに寄生しているようだ。
「バッ、バカじゃないの!? そんなことであたしたちを待たせた訳?」
「そんなことって、アリサちゃんひどいな……確かに、遅れちゃったのはごめんなさい」
ペコリ、と頭を下げてなのはは謝ってくるが、それで腹の虫が収まったら困ることなどない。
反省の色は見えている。申し訳なさそうな顔をしている。
「ごめん、アリサ。他の皆も、待たせちゃって」
ユーノは許してもいい。これだけは譲るのにやぶさかではない。

だが、なのはの顔はそれ以上の何かを話し出しそうな雰囲気だった。
「でもね、アリサちゃん」
おずおずと切り出してくる辺りが、またイライラする。
なのははこんなにもじもじした女の子だっただろうか? そんな役割はこの仲良しグループにいない。
「なんていうか、恋の炎が止まらないの……」
チュッ、とユーノの頬にキスして、腕をしっかりと抱き直すなのは。
「お昼はおごるから、許して?」

ダメだこのバカ、周りがまったく見えてない。
「あぁ、もうっ!」
アリサのモヤモヤした怒りは、頂点に達したところで、急速にしぼんでいった。
「行くわよ、すずか、フェイト、はやて!!」
「え、わたしたちは?」
「アンタら二人はどっか他所でいちゃついてなさーい!!」
彼氏の一人もいないアリサ。
世間で何と形容されているかぐらいは知っているが、現実の性格として『それ』が受け入れられないのは知っている。
先を越されたのが悔しい自分が、なのはに対して八つ当たりをしているのは十分分かっていた。
でも、どうすることもできなかった。

***

取り敢えず駅前まで来てみた。
やることは、まったくない。
映画でも観てみるか、それともショッピングでも楽しんでみるか。
「ひょっとして、まさか」
後ろを振り返る。

「ねぇ、ユーノ君。何か食べる?」
「なのはの食べたいものが食べたいな」
「えー、わたしはユーノ君が食べたいものを一緒に食べたいよ」
「困ったな……どうしよっか」
「それじゃ、じゃんけんして決めよ♪」
二人がいちゃついているのは、まあいい。
しかし、問題はそこじゃない。

「えーなぁ、私も素敵な彼が欲しいなあ」
「大丈夫、はやてならきっと良い人が現れるよ」
「そこ、そこなんよフェイトちゃん。何が問題かって、『ええ人』しかおらんのよ。
ユーノ君みたいな同い年の男の子、誰もおらへんもん。管理局には年上過ぎる人ばっかやし。
私らの年齢でもう局に出向してる人、ホントユーノ君とクロノ君しかおらへん……」
「じゃあこの際、うんと年下に目覚めてみるとか?」
「うっはー、大分フェイトちゃんも日本に慣れてきたなぁ」
冷静にバカップルを観察している魔道師二人、こいつらもギルティーだ。
頼れるのは、もはやすずかのみ。
「すずか、アンタがあたしの親友で本当に、本当に感謝してるわ……」
「どうしたの、急に?」
すずかが戸惑うのにも構わず、アリサはその両手をしっかと握る。
「あのね、すずか。あたしは、あたしは……もう疲れたわ」
「ふぇ?」
疑問符が浮かぶすずかに、アリサはゆっくりと真情を吐露した。

「せっかく集まって騒ごうと思ったのに、これよ。あたし、求心力なさすぎだわ。
『なのはたちが戻ってくる』っていうから、嬉しさだけ空回りしたみたいで。
ホントはみんな、それぞれに過ごしたかったのかな」
話しながら、どんどん遠い目になっていくアリサ。
すずかは、その手を握り返すことしか出来なかった。
言葉では、言葉だけでは、何も変わらない。
それを、何年も前から、身に染みて分かっている。

だから、すずかは思い切って声を上げた。
「みんな、あそこに行こう!!」

え、とみんながあっけに取られてすずかの指差す方を見る。
そこには、やたらと高いタワーがあった。
「あれ、すずかちゃん、ここにこんなおっきなビルなんてあったっけ?」
「ううん、ついこの前できたの。30階建てで、1階には本屋さんがあって、2階には喫茶店、それから……」
「それから?」
「屋上には、すっごく見晴らしのいいカフェテリアがあるの!」

***

地上30階の威力は、伊達ではなかった。
「はっはっは、人がゴミのようや!」
「言うと思ったよ、絶対言うと思ったよ、はやてちゃん……」
なのはさえ冷静なツッコミを入れられるほど、雲を衝かんばかりの高さにそびえ立っている。
もちろんそれ故に危険なので外には出られなかったが、窓からの景色でも十分下界を堪能できた。
サンドイッチをつまみながら、口々に感想を言い合う。
「ここって、下の20何階かは何に使ってるの?」
「えっとね、普通の会社とか、あと居酒屋とか。イベントホールっていうのもあったかな?」
「へぇ、色々あるんだね」

ユーノは、テーブルに座る時アリサが接収した。
駄々っ子のように騒いでいた約一名も、しばらくしたら大人しくなった。
よほどの禁断症状と見え、妙にそわそわしていて落ち着きがない。
アリサは溜息をついた。
「ところでさ」
椅子に深く座り込んで、すずかに問いかける。
「どうしたの?」
「いや、ここにいつまでもいるってのもね。映画でも見に行く?」
「今、何やってたっけ?」
すずかが携帯を取り出して、映画館の情報サイトにアクセスする。
「SF、ファンタジー、ホラー、あとはアニメとかも」
「ホラー!」
アリサは急に勢いづいて立ち上がった。
「それよ、それ! よし、今から見に行くわよ」
「え、ちょ、ちょっとアリサちゃん」
「あの二人が強引なんだから、あたしだって強引になる権利があるわ!」
「アリサちゃん、理論そのものが物凄く強引だよ……」
「いいの、もう!」

会計は全部なのはに任せて、歩き出した。
『待ってよー』と後ろからついてくるすずかの歩調に合わせて。

***

「ね、ねぇ……ひょっとして、アリサ、これ観るの?」
フェイトが怯えた声で聞き返す。
「もちろんよ」
誰の目にも楽しげな顔で、チケットを6枚買うアリサ。
「大丈夫だよ、フェイトちゃん。わたしがついてるから」
「う、うん。ありがとう、なのは」
ユーノとは神聖結界を張って何人をも入場させないが、フェイトとは普通の親友だった。
「まぁ、普通じゃない関係ってのもアレやけど」
「ん、何か言った、はやてちゃん?」
「え、何も言うとらんよ?」
思わず呟いてしまって、咳払いを一つ。
「にしても、映画なんて久しぶりやなー。『これが観たい』なんて決めとる訳でもないのに適当に観るなんて初めてや」
「そうだねー、っていうかアリサちゃんノリノリすぎだよ……」
ここに来てやたらと元気を取り戻したのが、どことなく不気味ですらある。
しかし、隣で苦笑いしつつも安心そうにユーノと手を握って──

(手や、ない!?)

はやては愕然とした。
よく見れば、二人は指を絡めていた。
それも、小指を。
「あちゃー、こりゃアリサちゃんもキレる訳や」
「どうしたの、はやてちゃん?」
「え? ああいや、何でもないんや、何でも……」
いつの間にかはやても、頭痛を感じ始めていた。

「いやー、映画ってこの始まる前のドキドキ感が何とも言えんなー」
はやては頬をぴくぴくさせつつ、椅子に座った。
右には今にも火山が噴火しそうなアリサ、左には世にも幸せそうな顔のなのは。
多分、はやては世界で一番温度差のある境界線に座らされていた。
「ユーノ君、あーん」
「あーん」
そして当の本人たちは、周りを──否、アリサをまったく気にせずにポップコーンを互いの口に放り込んでいる。
「ねぇ、すずか。あたし、今ならジェイソンにでもなれそうな気がするんだけど」
「だ、ダメだよアリサちゃん、殺人鬼になんてなっちゃ……」
きっと、アリサが怒っているのはいちゃいちゃバカップルそのものにではない。
二人の世界を作りすぎて、せっかく久しぶりに会った友達とあまり語らいができていないことの方に怒っている。
そりゃ、誰だって苛立つだろう。
「あ」
部屋が暗転して、いくつかの広告映像が流れる。
次期作の宣伝、新作のお菓子、映画館での注意事項、そして最後に配給会社のロゴ。
すっかり暗くなった室内で、ぺた、ぺた、と水気を含んだ足音が聞こえ始めた。

「キャーッ!!」
映画の街で億単位の金を注ぎ込んだホラー映画。
ひたり、ひたりと人あらざる影が背後に迫る。
「やぁーっ、いやーっ!!」
閉ざされたペンションの中で、一人、また一人といなくなっていく。
「やめてっ、おねがい……助けてぇ!!」
そして最後の一人が暗闇の彼方へ消えていった時、

「……ふみゅー」
フェイトが気絶した。

***

「怖かったなぁ」
「怖かったねぇ」
「わたしは、ユーノ君がいたから怖くなかったよ♪」
「……私は覚えてない」

あれから、医務室のような場所で起こされた。
映画館の人曰く、『怖い映画を見て気絶する人はたまにいる』とのこと。
でも、やっぱりちょっと恥ずかしい。
いつもなら戦えるのに、それすらできずただひたすら恐怖に追い回されるだけ。
そんな経験、生まれて初めてだった。
普通の人、アリサやすずかがいかに無力で、それでいて無力でも安全な世界に住んでいるのだと、改めて実感した。
「フェイトちゃん、大丈夫?」
「うん、もう平気。心配かけてゴメンね、なのは」
「そんなことないよ。私がビックリしちゃっただけだから……」
なのはが水を持ってきたので、飲む。
「ふぅ」
一息ついて、立ち上がる。
「もう立ち上がってもいいの、フェイトちゃん?」
「大丈夫。ホント、大したことないから」
色んな人に心配されてしまった。
倒れて、介抱されて、水まで持ってきてもらって。

でも。
「ありがとう」
ここは、感謝の気持ちを表すべき場所だ。
「みんな、助けてくれて」
頭を下げると、皆が次々に肩を叩いてきた。
「いやいや、水臭いやないかフェイトちゃん。困った時はお互い様やで」
「そうよ。こんなことで感謝されても世話ないわ」
「フェイトちゃん、いっぱい心配させてもいいんだからね?」
「いつでも頼ってよ、フェイトちゃん。私たちはいつも一緒だよ」
「フェイト、君は一人じゃないんだからね」

一人ひとり、手を握られていく。
「ありがとう、ありがとうみんな」
知らず、涙がポタリと落ちた。
フェイトは泣きながら、ありがとうを繰り返した。

それから先は、多少バカップルっぷりは改善されたようだった。
「っていうか初めて見たわ、こんなグループの中でいちゃついてたのを見たんは」
「あはは。でも私は、そんな二人を見てるの、大好きだよ」
「フェイトちゃん、随分落ち着いてるね」
すずかにも同じことを言われる。
「私は、なのはとユーノが幸せにしているのを見るのが、幸せなの。
大好きな人が幸せでいてくれることが、私の幸せだから」
だから、同じことを返す。
「フェイトちゃん……」
「ははは、フェイトちゃんと友達になれた私らは、一番の幸せものっちゅうこっちゃな!」
皆で笑いあって、そして走り出す。
「ご飯、食べに行こう!」
「そうだね。どこがいい?」
「イタリアン!」
「私も! みんな、異論はないん?」

はやてが聞くと、全員が一斉に答えた。
「ないでーす!!」

***

「ヴェネツィア風海鮮ピザ、季節の野菜スパゲティ、チーズのサラダ、それから──」
「アリサちゃん、そんなに食べられるの?」
「食べるの!!」

六人がけのテーブルには到底収まりきらないほどの料理が、次から次へと運ばれてくる。
「なのは、アンタはもうそこいらのバイトより稼いでるんでしょ? ならこれくらい訳ないわよね?」
「う、うん。お金は大丈夫だけど」
「じゃあ問題なし!!」
ぱくぱくと、アリサは明らかに身体の大きさを越える量を腹に詰め込んでいる。
「アンタらの、もぐ、いちゃいちゃっぷりったら、はむ、ないわよ、むぐ……」
自棄食いにもほどがある。
「アリサちゃん、ほどほどにしないと」
「ええい、すずかは黙ってて! どうしても、どうしても食べまくらないと気が済まないのよ!!
あ、店員さん、このピザおかわり!」

結局、1人で残りの5人よりも多く食べて、アリサは店を出た。
「うっ……流石にやりすぎたかしら」
「ちょっ、あ、アリサちゃん!」
よろめくアリサを、すずかは慌てて抱きとめた。
「あぁ、ありがと、すずか。でもこれは流石に……うっぷ」
「アリサちゃん、アリサちゃん!!」
倒れかけるアリサを支えて、楽な姿勢にさせる。
「やっぱり言わんこっちゃないな、すずかちゃんの警告、ちゃんと聞いておけばよかったのに」
後ろからはやての声がする。

……確かに、アリサはすずか以外の人間に止めることはできない。
でも、だからこそ、すずかの前では素直になる。
「あは……落ち着いてきたわ。おなかも、こころも」
「大丈夫、アリサちゃん?」
「ええ、このまましばらく安静にしてれば。すずか、アンタたちは先に行ってなさい。あたしもすぐ行くから」
「ダメ」
今日は、今日こそは。
「アリサちゃん、さっき自分で言ったでしょ。私たちは、皆で『私たち』なの。
アリサちゃん一人が欠けても、ダメなんだよ」
すずかは、アリサの手を握りしめる。
「だから、お願い。『先に行って』なんて、言わないで」

すずかは、めいっぱいの勇気を振り絞ったつもりだった。
いつも鶴の一声で全員を纏め上げるアリサに、ついていくだけだったから。
だから、今日は、今日こそは、どうしても言いたかった。
アリサへ、自分の気持ちを。

「ね?」
「分かったわよ。でも、みんなに悪いから少ししたら行くわよ?」
「ダメだってば。ちゃんと身体が落ち着くまで、待ってないと」
「……はぁ。すずかには敵わないわ」

何が敵わないのか、すずかにはいつまでも分からなかった。

***

結局、ユーノとなのはは顔を合わせる度にずっと一緒だった。
けれど、それをもう悔しいとも何とも思わない。
「フェイトのいう通りかも知れないわね」

いちゃいちゃベタベタしている二人だけれど。
腕も指もみんな絡めてるけれど。

「アンタたちの顔、幸せすぎるわ」


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