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「理樹……」
カタカタと垂木が鳴っている。外へ一歩出れば、恐るべき風が二人を連れ去ろうと吹き荒んでいる。
理樹は少女の身体を抱きながら、自らもまた震えていた。
「理樹、怖い……寒い……助けて」
一つの布団に二人、抱き合う。驚くほど気温が低いけれど、二人で同じ場所を身を寄せ合っていれば、ちょっぴり温かい。
けれど、鈴の震えは収まらなかった。きつくきつく身体を抱き締めて、それでも鈴は怯えていた。
誰もいない、世界にたった一人、理樹だけ。他に人は、鈴と理樹を心から理解する人間は、どこにもいなかった。
子猫と同じように震えたままの鈴。
それはまるで台風の中で置き去りにされた捨て猫そのもののようで、理樹はどこまでもいたたまれなくなった。
頭まで包んで布団の中に入れてやり、長い間抱いていると、いつの間にか怯えは消え去り、安らかな寝息が聞こえてきた。
「おやすみ、鈴」
せめて、夢の中だけでも楽しく過ごせますように。そう祈って、理樹も眠りに就いた。かに見えた。
沢山の目に見えない恐怖、漠然とした未来への不安が後から後から湧き出して、
理樹は眠るまでに丸々二時間も掛かったのだった。
世界がこんなにも寒いなんて知らなかったし、誰も教えてはくれなかった。
もう理樹と鈴に心の底から笑いかけてくれる親友が一人もいなくなってしまっただなんて、死んでも信じたくなかったのだ。
でも、現実より残酷なものはこの世にはなかった。

***

理樹が目覚めた時、天井は寮のそれとは違っていた。不思議に思って起き上がり、横を見る。
それは紛れもなく鈴だった。誰よりも大好きで、誰よりも大切で──そして、生き残ってくれた、唯一の人。
バスが横転して、谷底に落ちて、そして爆発した。誰一人、生きてはいなかった。ただ二人を除いては。
半分はほぼ即死だったと、医者が言っていたのを盗み聞きした。意識すら戻ることなく亡くなった者も数多い、と。
しかし、リトルバスターズのメンバーは違った。
恭介を中心にして、意地でも鈴と理樹だけは生かそうと、全員で力を合わせたのだ。
その結果、終らないリフレインが始まった。理樹と鈴が成長するまで終らない、閉じたループが完成した。
どんな時も恭介は絶対的優位にあり続けたし、鈴の精神が壊れそうになる度に、ストップをかけて世界をやり直した。
でも、人間が作った『奇跡の世界』は、完璧ではなかった。いつかどこかで何かが綻んで、二人は現実に戻ってきた。
そう、そこに存在していることが当然の場所、現実に。
死。受け入れることのできない運命。早い、あまりにも早すぎる。
理樹は知り合いの限りを尽くして下宿先を見つけ、そこに鈴と移り住んだ。
寮では男女が一緒に住めないからだ。どんな友達も、鈴を慰め、癒すことはできなかった。
毎晩、外が暗くなると、以前はあんなに明るくて、ハイキックも華麗に決めて、
校庭やら校舎やらを華麗に駆けずり回っていた鈴が、理樹の布団に丸まって震える。
悲鳴を上げてくれた方がまだ救われるのに、声も出ないまま「あ……あぅ……」と嗚咽を漏らすのだ。
理樹だって、真人に謙吾、恭介まで失って、悲しくない訳があろうか、いやない。
鈴が、鈴だけでも生きていてくれたから、理樹自身も鈴のようにならずに済んだのだ。
夜毎、鈴が恐怖と睡魔の戦いに決着をつけるまで、理樹は眠らない。
そして理樹もまた、夢を見る。悪夢とも言えず、かといって正夢にはならない、世界で一番もどかしい夢。
恭介の夢だった。
「よう、理樹」
夢の中で、恭介はまるで生きているかのように話しかけてくる。いや、まるで冥界から戻ってきたみたいだ。
理樹はいつもそう思っているが、恭介はあっさりと肯定した。
「まあ、冥界って言うのともちょっと違うけどな。何、お前らはまだ知らなくていいことだ」
屈託のない笑みを浮かべながら、恭介はいつも聞いてくる。『鈴は元気か?』と。
「ううん。すっかりふさぎ込んじゃって、どうしようもないんだ」
理樹は、どうして恭介が自分のところにだけしか来ないのかを知らない。
それは恭介だけが知っている秘密で、鈴の元には決して現れないのだという。
「まあ、言ってみれば約束事みたいなもんだ。お前が強くなれば、鈴も強くなる。鈴が強くなれば、お前も強くなる。
小毬のスパイラル理論と同じさ」
そうして、またすぐに恭介はいなくなる。一番大事なところを聞く前に、いつもどこかへ消えてしまう。
「あいつらはお前たちを信じて、こことは違う世界に行った。俺ももうすぐ行くだろうが、何分未練だらけでな。
この、紙一枚より薄いはずの壁をぶち破れないのは悔しい限りなんだが、どうしようもねえ……」
恭介はそう呟いて、理樹に微笑を向けた。
「理樹、鈴を救ってやれるのはお前だけなんだ。頼む、あいつの心を支えてやってくれ……」
恭介の姿が霞む。その手を掴もうと、袖だけでも摘もうと、理樹は手を伸ばすのだが、いつもほんの少しだけ届かない。
世界で一番頼りになる、リトルバスターズのリーダーが消えた時、周囲は真っ白になった。
まるで、新しいキャンパスに張り替えたみたいに。


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