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「……はっ」
理樹達が事故に遭い、最初に目覚めたのは、病院のベッドで、事故から丸々一週間以上が過ぎていた。
真っ白な天井に、真っ白な壁。調度品は木目の鮮やかな薄茶色で、その上には何本も花が刺さった花瓶。
身体が物々しい機械に繋がっていて、医療ドラマでよく見るようなものもあった。
ピッ、ピッ、と規則正しく音を立てる機械のモニターには、心音らしい鼓動がグラフ化されている。
ただ、それが正常なのか異常なのかは分からなかった。
十分ほど外の景色をぼんやりと見ていると、看護婦が一人、部屋の中に入ってきた。
「あっ、起きたのね。先生、先生ーっ!」
慌しい。理樹が最初に感じたのはそんな周囲の焦りだった。
訳が分からないまま、病院で生活を送る。
それは不思議な光景で、理樹は自身が夢の中から抜け出せていないのではないかと強く思っていた。
けれど、現実は現実だった。
時折来るクラスメイトや大人達に、恭介を始めとしたみんなはどうしているのか、と聞いたが、答えてくれなかった。
揃いも揃ってはぐらかしたり、急用を思いついたりするのだ。
そんなのが続けば誰だって分かる。理樹は、皆が死んでしまったらしいことに気付いた。
──でも。
「理樹……っ!」
ようやく動けるようになったらしい鈴が部屋に飛び込んでくるなり、少女は理樹のベッドにくず折れて泣き出したのだ。
「理樹……こまりちゃんが……真人が……謙吾も、はるかも、クドも、くるがやも、みおも……
あの馬鹿兄貴だって……皆、皆、死んじゃった……」
死、それは永遠に帰らないもの。死、それは必ず訪れるもの。
でも、こんなに早く、しかも理樹と鈴とを除いて全員突然、なんて俄かには信じられないできごとだった。
奇跡的にかすり傷と打ち身をいくつか拵えただけだった鈴の身体には、真人や小毬が覆い被さっていたのだという。
理樹には、謙吾と唯湖。
遅い葬式が終った後、理樹はまだ呆然とし続けていた。死んだっていうのは事実無根で、
いつか真人と葉留佳辺りが「ごめんごめん、ちょっと性質の悪い悪戯だった」とばかりに再登場するものとばかり思っていた。
でも、そんなことは一切なかった。悲しいくらいに、まったく全然。
ある意味で、鈴の方がよっぽど現実を受け止めていたのだと思う。
しかし理樹は、現実感がないという不思議な空間の中に放り込まれていたお陰で、
悲しみを強く意識しないまま、鈴を受け止めることになった。
人は、動揺してる人間を目の当たりにすると自分は却って冷静になるらしい。
特に、小規模な集まりや差し向かいの時はそうだ。
理樹はちょうどその心理が上手いこと働いて、鈴が泣きじゃくるのを黙って抱いていることができた。
けれど。
「……なあ、理樹」
「どうしたの?」
「どうして、理樹は、悲しくないんだ?」
鈴が、あまりにも至極当然の疑問を投げかけてきた。そう、理樹は悲しくなかったのだった。
そのことが悲しくなるくらい、誰がいなくなっても、感情が動かない。いや、認めていないのだ。
皆が、リトルバスターズどころかクラスの大半が、死んでしまったことを。
「ごめん」
どういう訳かは知らない。けれど、理樹は鈴に対して謝ることしかできなかった。
「理樹の、馬鹿ぁっ!」
鈴が病室を飛び出していったが、満身創痍の理樹には追うこともできなかった。

***

理樹は包帯が取れて、学校に通えるようになった。
隣のクラスの友人なんかは口々に心配してくれるが、
理樹にとって全ての言葉は右の耳から入って左の耳から抜けていくか、でなければその逆だった。
担任も生活指導も、全部ぜんぶ素通りしていった。
こんなにも他人に、自分以外の世界に無関心な人間だったっけ、と理樹は自問した。でも、答えは返ってこなかった。
「理樹……ご飯、食べに行こう」
唯一の救いとも言えるのが、鈴がこうやって理樹を誘うことだった。
ただ、鈴は無理やり腹に突っ込んでもおにぎりの一個が限界な身体になっていた。
精神が受け付けてくれないのだ、まるで大食い選手が残り最後の一口というところでダウンするのと同じように、
身体の中に食物を入れることを何かが拒否しているらしい。
ごちそうさま、と言って箸を置く鈴。おにぎりが二つと沢庵、それに味噌汁といった一番簡単なメニューでも、
理樹がおにぎりを一つ貰わなければ完食できなかった。理樹だって、食欲旺盛な方ではない。
真人がいれば──そう、真人がここにいれば、ほとんど問答無用で人のおかずを取っていっただろうに。
「真人、あたしのおにぎり、食べて良いんだぞ?ほら、取りに来いよ。はるかも、乱入して騒ぎに来いよ。お願いだよ、来てよ……」
そして今日もまた、鈴は理樹にしがみついて泣きじゃくるのだ。この癇癪を起こしたら、もう手がつけられない。
「あ、笹瀬川さん」
気を抜いたらがくりと崩れてしまいそうな鈴の身体を支えて、理樹は佐々美にお願いをした。
このまま早退するから、担任に伝えて欲しい、と。
「ええ、確かに承知しましたわ」
「ありがとう、笹瀬川さん。ほら、鈴、行くよ」
食堂を出る直前、佐々美にぼそりと聞かれたことを、理樹は未来永劫忘れないだろう。
きっと、それは独り言。本当は、理樹に聞かれるはずのないフレーズだったもの。
「直枝理樹、どうしてあなたは、棗さんほどまでと言わなくても悲しみませんの? わたくしだって人並みに悲しんだつもりですが……」
同じくらい小さい声で、理樹も答えた。今度こそ間違いなく、佐々美には聞こえていないであろう、小さな小さな声。
「僕はまだ、信じられないんだ。みんな旅行かどこかに行って、いつかフッと帰ってきてくれるような、そんな気がするから」
認められないことが何よりも辛かった。
悲しみを鈴と分け合えるはずなのに、それが叶わないなんて、それ自体が悲しいことだ。そのはずなのだ。
だが、最後に理樹の両目から雫が溢れたのは、絶対に病院で目覚めるよりも前の出来事なのだった。


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