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「あー、またこんなところで寝ちゃって」
仕事を終えたなのはがユーノの部屋に入った瞬間、デスクに突っ伏している彼の姿を見つけた。
歩いて数歩のところにベッドだってあるというのに、ユーノはもう寝息を立てていた。
モニターをそっと覗き込むと、管理局に提出するらしいレポートが絶賛書きかけ中のまま放置されていた。
「ユーノ君、ほら起きて。ベッドで寝ないとダメだよ」
肩を揺すったが、一向に目を覚ます気配がない。
むしろ、安楽椅子か何かに揺られてもっと深い眠りへとはまり込んでいくかのような?
「んもう、起きてくれないと……」
目覚めのキス、しちゃうぞ。

──効果はなかった。
ほっぺたでも飽き足らず唇にもキスしてみたが、多分本人はそんなことを一ミリも思い出すことはないだろう。
たった数歩の距離とはいえ、大の男を担いで歩くのはちょっと無理だ。
なのはは仕方なく諦めて、別の手段を行使することにした。
「どうせまた栄養剤ばっかりの生活なんでしょ、ユーノ君?」
眠れる頬をつんつん突きながら、なのはが語りかける。
モニターの横には、強力な栄養剤が半ダース。コーヒーカップに至っては一体何杯注いだのか分からない。
それでも力尽きてしまうほど疲れているのに、誰にも助けを求めようとはしない。
まったく、一人で抱え込むのが好きな人だ。
「たまには、わたしを頼ってもいいんだよ? ちょっとドンくさいけど……」
そんな独り言も、眠れる王子様には届かない。
なのははキッチンに入って、小さな夜食を作り始めた。
冷蔵庫は空っぽに近い状態だったけど、まだ辛うじて一人分は作れそうだ。
フライパンに包丁、まな板に鍋。いつ買ったのやら、どれもこれも新品に近い有様だ。
「よしっ!」と気合を入れて、なのはは料理を作り始めた。

そうして出来上がった、ホカホカの夜食。
豚肉と野菜を合せて炒めたものに、卵のスープ。
ご飯は辛うじて残っていた──今度地球から送って貰わないと。
ユーノの前に持っていくと、いい匂いに釣られたのか少しむずがった。
だが、まだ目を覚ますには至らない。まったく頑固な睡魔だ。
「ねぇ、わたしと一緒にいるより、寝る方がいいの?」
いつまでも起きないのでたまらなくなったなのはは、次の手段に出ることにした。
これでも起きなかったら……それはその時考えよう。
いつもヴィヴィオに作っているようにミルクキャラメルを作り、少しだけ残ったコーヒーに継ぎ足す。
いつもより、上手くできた。
ユーノの鼻先に持って行って、甘い香りを嗅がせる。
「ほら、ユーノ君。起きて?」
「……ん」
ぱちくり。寝ぼけなまこの半開きな目でむっくりと起き上がり、辺りを見回す。
そのまま、なのはをスルーしてベッドまで歩いていき、そこで潜り込んだ。
「ってちがーう! ユーノ君、起きて、起きて!」
「ん? あ、ああ、なのは。どうしたの?」
「どうしたの、じゃないでしょ。そんな不規則な生活してて」
被りかけていた布団を引っぺがすと、ユーノをテーブルに着かせた。
こうでもしないとご飯一つまともに食べてくれないのだから、ひどいものだ。
「で、今度は誰のお仕事?」
問い詰めるような口調でなのはが詰め寄ると、ユーノはぼそりと一言、「はやて……」と答えた。
もくもくと動かす箸の動きが、少しだけぎこちなかった。

数分後、ユーノは向こう二日分の有給を手に入れた。

「うんうん、はやてちゃんはお話すればちゃんと聞いてくれるから嬉しいよ」
さっぱりした顔でなのはは戻ったが、ユーノは引きつった笑いを浮かべたまま固まっていた。
ふと目を下ろすと、そこにはほとんど手のつけられていない食事。
仕方ないな、となのはは食器を取り上げ、まずはスープを一口、
「あーん」
ユーノの前に差し出した。
「え、えっと……」
ユーノは目をぱちぱちとさせると、急に真っ赤になって顔をぶんぶん振った。
「い、いいよ、そんなことしなくても! 大丈夫、自分でできるから──」
「いつもそう言ってるけど、結局食べなかったりするよね」
ジト目でユーノを睨むと、ユーノは観念したように肩を落とした。
「もう、どうにでもして下さい」
改めて、ユーノにレンゲを差し出す。彼はほんの少しだけためらった後、おずおずとそれを口の中へ入れた。
ちょっぴり冷めていたけれど、ユーノはニッコリと笑って、「おいしいよ」と言ってくれた。
なのはは「ありがとう」とお礼を言いつつ、ご飯に野菜炒めと順繰りにユーノの口へ運んでいった。
誰もいない夜の中で、穏やかな時間が流れていく。
ちゃんと全部を食べ終らせると、ユーノはようやく元気を取り戻したようで、身体のあちこちを伸ばしながら立ち上がった。
「ね、ちょっと散歩しよう」
「……うん!」

季節は夏を超え、まだまだ昼の暑さが残る一方で、日が暮れてからの肌寒さが実りの気配を感じさせていた。
ふんわりと夜空に浮いている月の下で、なのははユーノに寄り添って歩いていた。
そういえば、こうやって外に出たのは何日ぶりだろう。このところ、忙しさを口実に、あまり接触を持っていなかった。
ご飯を作ったり、様子を見に行ったり。こうやって、じっくりと一緒にいるのは久しぶりだ。
そっと、腕に絡みつく。ユーノは少し歩きづらそうにしていたが、今日はちょっとわがままだ。
そして辿り着いた夜の公園には、誰もいなかった。
ブランコに滑り台、鉄棒にジャングルジムが、月明かりを受けてひっそりと静まり返っている。
小さな街灯が一つあるだけで、家々はみな灯りを消して眠っていた。
ベンチに座って、空を見上げると、月に混じって星が散りばめられていた。
その中でも、一つだけ白い星が月に負けじとキラキラ煌いていた。
「あ、良く見るとちょっと欠けてる」
なのはが指を差す。月は左側に僅かな輪郭を作っていた。満月は明日だったのだ。
「綺麗だね、ユーノ君」
うっとりと月を眺めるなのはに、ユーノはぼそりと言った。
「なのはの方が綺麗だよ」
「……ユーノ君、それで上手いこと言ったつもりだったり?」
「いや、そうじゃないよ。だって事実だから」
至極真面目な顔で、なのはに向き直るユーノ。何故だか、胸がトクトクと熱くなる。
「にゃ、にゃはは……改まって言われると恥ずかしいな」
真剣になのはを見つめてくるユーノは、柔らかな光の下で、凄く格好良く見えた。
ドキドキと心が高鳴る。こんな感覚は久しぶりだった。
風が止んだ。二人を邪魔する存在が、この世からさっぱり消えてしまったようだった。
そのまま長らく見つめ合っていると、ひくひくとユーノの顔が引きつってきた。
多分、ずっと真面目な顔をしているのに限界が来たのだ。
プッ、と笑ってごまかしてもよかったが、なのはは別の道を選ぶことにした。
さっきまでわがままを聞いて貰ったお礼だ。
「ちゅ」
元々近かった顔をゼロ距離にする。恋のショット、大成功。
ユーノの顔は一瞬驚いたようだったが、すぐにお返しのキスと共に抱きしめてきた。
耳元で「愛してる」と囁かれる。その一言で、肌寒さすら感じていたなのはの身体が、急に熱を帯びた。
「わたしも。大好き、ユーノ君」
二度目のキスは、もっと互いを求めるように。
三度目は、名残惜しいけれどじっくり。
大きな月の下で、また一つ思い出が増えた。

***

ユーノに部屋まで送り届けられると、もう一度だけキスをして別れた。
シャワーを浴びて寝室に行こうとすると、ヴィヴィオがくいくいとワイシャツの袖を引いていた。
「ままー……どこ行ってたのー……?」
すっかりお寝ぼけさんだ。待ち疲れて眠ってしまい、帰ってきた時の物音でウトウトと起き出したのだろう。
ちょっと可哀想なことをしてしまった、正直に白状することにしよう。
「パパとお散歩」
「えーいいなー……ヴィヴィオも、お散歩……したかった……くぅ」
ヴィヴィオはワイシャツの袖を握ったまま、また眠り込んでしまった。
立ったまま頭をカクリと落とす姿が、またいじらしい。
なのはは可愛い愛娘を抱き上げて、ベッドに連れて行く。
少しずつ重くなってきたヴィヴィオの身体。きっと、美人に成長するだろう──そう、ゆりかごの時みたいに。
まだまだ小さな女の子をベッドに寝かしつけると、なのはも一緒に横になった。
「おやすみ、ヴィヴィオ」

そうして、部屋に点いていた最後の豆電球が消えた。

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