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「あたし、さ。ずっと羨ましかったんだ。あたしの背中に翼があったらって。あたしに魔法が使えたらな……って」
少女は空を見上げて、数多ある星の一つを指差した。傍らには、自身よりも多少くすんだ色の金髪を持つ少年。
二人のいるベランダは少女の屋敷で、通りとは反対向きに構えられていた。
だから、目に直接入る光が少なくて、星がちょっぴりよく見えた。
「そうだ、なのは達が正義の魔法使いなら、あたしが悪の魔法使いっていうのはどう?
 皆に呪いをかけて、眠らせちゃうの。ずっとずっと……あたしの『枷』を外してくれる、その日まで」
愚にもつかない夢物語。それを、まるでもう掴み取ったみたいに話す。
でも、結局そこにあるのは絵に描いた餅で、絵から餅が飛び出してくることはなかった。
少年は優しい顔で頷くと、小さな石を懐から取り出した。丸くてツヤツヤしてて、宝石にも見える。
すると、おもむろに彼は手を取ってきて、その石を載せた。ライトグリーンで思ったよりも重くて、不思議な温かさを感じた。
「魔法の力が込められている石だよ。パワーストーンみたいなものだけど、アリサ、
 君が『魔法』への気持ちを強く持っていれば、或いは……ね」
少年の顔は本物だった。キラキラした目がまさしく物語っている。ウソでも本当でも、ここは一つ騙されてみようと思った。
「ウソだったら、あたしただのイタい人だから……そう、あたしを嫁に貰いなさい!」
「ホントだったら?」
「うっ……ユーノのいじわる! べーだ!」

***

その宝石は、ペンケースに入れて毎日持ち歩いた。
不思議なことに、触ってもいないのに微かな温もりがいつもあって、グリーンの丸みは、まるでユーノが近くにいるように感じられた。
「ね、ユーノ。あたしにも魔法の力はないの?」
「あの石は魔力を持つ者に対しては赤く見えるんだ。アリサは何色に見えた?」
心底残念だったの気持ちを、何年経っても忘れないだろう。
でも、時々なのは達が学校を空けて魔法の事件に立ち会っているのを聞いては、密かな嫉妬を覚えたりもした。
どうにもならないもの程、割りきれない思いを抱いてしまうことに気付いたりもした。
それから二年程経つと、魔法の石は机へ大事にしまわれた。以来一度も握っていない。
分別盛りになったアリサは、魔法はなのは達のものであって自分のものではないと悟るようになった。
それもそのはず――なのはが空から墜ちた直後から、特にそう感じたのだ。
もう、魔法の幻想的な魅力の面だけ見ていることはできなくなった。
その代り、持てる時間の半分は、ユーノと一緒に過ごした。キスだってしたし、その他のこともした。
結論としては、ユーノはやっぱりヘタレだった。
『ちょっと、アンタこれ本当に大きくなるんでしょうね?』
『緊張してたら、なるものもならないんだよ……』
今でも、顔が赤くなる瞬間だ。あの時のことはお互いなるべく思い出さないようにするのが暗黙の了解だったりする。
もう、随分時間とが過ぎてしまった。
なのは達は揃ってクラナガンとかいう世界に行ってしまうし、こっちにいるのはすずかと二人みたいなもんだ。
たまに皆が帰ってくると、全員でパーティーを開いたりもした。前回からは遂に『公式に』アルコールが解禁された。
「でアリサちゃん? 私らそろそろお開きにしとう思うてな。ユーノ君とのお楽しみタイムはこれからやん?
 さぁ早くくんずほぐれずの愛憎劇をちょっとなのはちゃんフェイトちゃん何で私の腕掴んどるんやめてたすけてめがこわいがなふたりともいやだまだしにとうないぎゃああああああああやたすけてええええええええぇっ!」
あの後すずかが機転を利かせて退席してくれたから、二人でゆっくりできたんだっけ。
中学を卒業して、アリサとすずかだけが聖祥の高等部に残り、なのはとフェイト、はやて、そしてユーノはクラナガンへ旅立っていった。
それでも、時たま戻ってきてはパーティーをして遊園地に行き、楽しい週末を過ごすことができた。
大学にまで上がるとそれも減り、折々に会って近況を語っては昔話に花を咲かせるのが多くなった。
それでも、不思議とユーノとは別れることなく、今に至っている。
「ふふっ、あの頃とは大分違っちゃったけど、皆根っこのところは変わらないわね。あたしも、ユーノも……ね、すずか」

海鳴の夜景を見下ろせる、駅ビルのバァ。二人は開放されたベランダから街を見下ろしていた。
ルシアの柔らかい匂いが、風に乗って運ばれていく。彼女は目を閉じると、優しい目でアリサを見た。
「私は、二人を応援してるよ。どんなに世界が変わっても、アリサちゃんがユーノ君を好きなのは変わらないんだ、って、私は信じてる」
そして、ニッコリ微笑むすずか。アリサは反対に顔を赤くして、ロゼを一息で飲み干した。
唇に残るのは、タンニンのほろ苦さ。まるで、今の自分自身みたいだ。
「うるさいわね、アンタに言われなくたって、あたしはユーノを幸せにしたげるわ!」
何だか逆、とすずかに笑われる。今まで何度か同じ台詞が飛び出したが、その意図までは見えない。
ユーノがアリサを幸せにする――もちろん言いたいことは分かるが、すずかの口調にはそれ以上の成分が含まれていると感じた。
でも、何だろう。分からない。すずかはいつでも、ニコニコ笑っているだけだ。
大切なことはいつもそう、ズバリ答えを言うことがない。それが彼女なりに掴んだ考え方なのだから、アリサもいつもと同じように、
「ふんっ、逆玉じゃない。あたしの代で会社は世界一、いえ、太陽系で一番になるのよ!」
強がっておいた。
ルシアの残り香が鼻に抜ける。すずかは左手をまくると時計を見て、そろそろ帰る時間が近づいていると告げた。
「アリサちゃんとユーノ君なら、きっと上手くいくよ。頑張ってね、応援してるから」
「ありがと、すずか」

***

それから、一月もしない頃。
「おそーい! 女の子を待たせるなんてサイテーでしょ!」
「ごめんごめん。ちゃんと埋め合わせるよ」
アリサ・バニングス。今をときめく二十歳である。大学で学友と昼ごはんを食べていたところ、突然のメールが来た。
とっても単純な、『着いたよ』の一言。でも、それでアリサには十分だった。カバンを持って、大学を飛び出す。
「ごめーん、代返取っててー!」
普段なら真面目に受けている授業だが、今日ばかりは特別だ。
大学最寄りの駅に向けて、ひた走る。周りが見えないくらい速く、鳥よりも速く!
息を切らせて着いて、辺りを見回す。まだ来ていないようだ。それもそうかと、壁に背中を預ける。
まだメールを貰ってから十分かそこらだ。海鳴からだと電車で三十分はかかるだろう。
金曜の今日に来て、日曜日の夜には帰るという。何とも忙しいスケジュールだが、仕事とあればそうも言ってはいられない。
アリサは今か今かと待ちかねて、時計と改札を交互に見ていた。
そしてたっぷり三十分も待って、現在に至る。
時間通りといえば時間通りだが、アリサの心としては丸一日待たされたにも等しいくらい焦がれていた。
ただ、それはユーノも同じだった。
「さ、行こうかお姫様。僕だって……一緒にいたいよ。久しぶりだしね」
ユーノ・スクライアはアリサの手を引いて歩き出した。遠慮がちな、ゆったりとした歩調。
きっと、合わせてくれるのだろう――そんな遠慮なんて要らないと、言っても聞かない。まるで鏡を見ているようだった。
「そんなトロくさいんじゃデートにならないわよ! せっかくこっちまで来たんだから、楽しんでいかないと損なんだから!」
アリサはニカッといたずらっぽい笑みで走り出した。繋いだ手はもちろん離さない。
ユーノも苦笑しながらだが、ちゃんと着いてきてくれた。
そういえば、と振り返る。
「ユーノはもうご飯食べたの?」
「いや、まだだよ。実はぺこぺこなんだ」
それならそうと早く言いなさいよ、と手拍子で言いかけて、やっぱり口をつぐんだ。
せっかく遠くクラナガンからやって来てくれたというのに、それではあんまりだろう。
「どうしたの?」
「え? う、うん、何でもない! それより、どこか食べに行きましょ」
商店街方面に向けていた足を、少しだけ早める。昼食時は過ぎかけていたから、店によっては閉まってしまう。
その代り、夜は至極豪華なレストランを既に予約してある――社長令嬢権限だが、この際手段は問わないのだ。
ユーノの驚いた顔か、それとも嬉しい顔か、どっちにしても今から楽しみだった。
そして明日の朝はアリサの手作りである。プランは完璧だ。

商店街で適当な店に入り、めいめいに注文する。アリサはさっき学食で食べたのでサラダだけ。
ユーノは流石は男というのか、定食を大盛りで頼んだ。
「よっぽどお腹空いてたのね。今日の朝になってから『帰るよ』なんて言わないでもっと前から言ってくれたら、お昼くらい沢山作ったのに」
「僕だって急に言われたんだよ。一週間もどさっと有給を貰っちゃってさ。
暇になりそうだったからすぐに地球行きの手続きをしに行ったって訳。だって…アリサに会いたかったからね」
アリサはワンピースの裾をきゅっと握った。そんな無邪気な顔で『会いたかったからね』なんて言うなんて、ずるい。
そっぽを向いて「ふんっ、当然じゃない! あたしみたいなのと付き合えるんだから、感謝しなさいよね!」と吐いておいた。
できる限りユーノを動揺させるように、でも傷つけすぎないように、言葉を選んだつもりだった。
しかし、だ。
「うん、感謝してるよ。だって、僕があの時、あの瞬間にこの世界にいなかったら、きっとアリサに会えなかっただろうから。そうでしょ?」
「そ、そうね……確かにあの時なのはが拾ってくれなかったら、アンタ行き倒れてたでしょうね」
だからこそ、今ではちょっぴり悔しかったりする。
あの時もしユーノを助けて、家の中にいさせたら、もっと一緒にいられたのではないか――と。
詮なきことではあるが、会う回数も減ると、自然と想いは過去へと遡り始める。
「あはは、でも今は、アリサと付き合えて凄く嬉しいよ。拾ってもらってね」
軽くウィンクされる。途端に頭に血が回ってきて、顔がどんどん紅潮していくのがありありと分かった。
ただ一つ言えたのは、「うるさい!」の連呼だけ。まったく一本取られた。
「ヘタレのくせに生意気よ!」
「そうだね、お嬢様」
涼しい顔でサラリと言ってのけるユーノ。これは相当向こうで鍛えられなければできない芸当だ。しかしこっちも負けてはいられない。
「ユーノ、ご飯の後は色々付き合って貰うわよ。絶対ぜぇったい逃がさないんだからね!」

その後は文字通り引き連れ回した。
商店街を練り歩いて欲しい服を買ったり、本屋に寄って新刊を二人で読んだり。
ランジェリーショップに行って困らせたりもしたし、「どっちが似合う? むしろどっちが好み?」なんて聞いてドギマギさせたりした。
やっぱりユーノは今までと同じユーノで、彼は少年の頃と同じ、曖昧な笑みと共についてきた。
「流石にアリサは違うね。僕じゃ手が届かないや」
「冗談言わないで。それに勘違いしないでよ、これでもバイトしてるんだから。
 自分の欲しい物は自分で手に入れなくちゃ! バニングス家は厳しいのよ!」
宵闇が迫ってくると、鮫島を呼んで荷物を預けた。執事は二人の顔を交互に見て、柔和にお辞儀をした。
「デビッド様が『早く孫の顔が見たい』と仰っています」
ユーノを見る。ユーノもアリサを見る。彼の顔は茹でダコと大差なかった。
親公認になってから何年も経つが、普通ここまで言われるものなのか?
荷物をしこたま詰め込んで、鮫島は去っていった。
行きがけに思い出したようにアリサの許へ歩いてくると、おもむろに懐から何か取り出した。
ユーノには死角になる怪しい位置で、アルミの包みを渡された。
「……親バカの二人に伝えておきなさい、『死ね!』って」
「これは特注品です。全て目に見えぬ微少な穴が開いておりますゆえにきっとご懐妊、
 いえそうして頂かなければわたくしが解任ごはっ」
右ストレートを決めると、アリサは涼しい顔を装ってビシッと指を突きつけた。その横でユーノはしきりに首を傾げている。
「あたしの人生はあたしで決めるわ! 行くわよユーノ!」
「う、うん……」
何を話していたのか、ユーノは聞きたがっていたが、そっぽを向き続けたらようやく諦めてくれた。死んだって教えてなるものか。

「さて、向こうにいた時の話をじっくり聞かせてもらおうじゃないの」
一人当たり諭吉が羽を生やすレストランで、二人はワイングラスを鳴らした。
歩き回った身体と親バカに付き合わされた精神が、ゆっくりと癒されていく。
「そうだね……無限書庫でもそろそろ古株になりつつある感じかな。
 もっと効率的なアルゴリズムで書物を整理できるような術式の開発に駆り出されたり、志望者の面接とか新人の教育もやってるよ。
 そうそう、この前なんかはやてがね――」
相づちを打ちながら、話に耳を傾ける。相変わらず、少年の目のままだった。
自分だけの興味に突っ走って、目をキラキラさせている。アリサは、そんなユーノの翡翠色をした瞳を見ているのが大好きだった。
たまには、聞き役に徹しないと。
前菜の皿が片付けられると、ユーノの話は私生活に移った。
独り暮らしに慣れてきたこと、スーパーの品揃えに始まり、料理の腕が上がったことも教えてくれた。
からかってからかわれて、楽しい時間は一瞬で過ぎていく。
メインディッシュが運ばれてくると、しばし二人は無言になった。
ナイフとフォークが静々と音を立てるだけで、談笑する人々の声が際立っていた。
「アリサ、今度は君の番だよ。大学生活とか、聞かせて欲しいな」
「ふふふ、そんなに聞きたいかしら?」
艶を込めた目でユーノを見つめる。アルコールの力も手伝ってくれたのか、ずっと恋人の目は釘付けだった。

食事もつつがなく済んで、いよいよお別れ――とは言わせない。今日は嬉し恥ずかしお泊まり会である。
とはいえさっきから心臓がバクバク叫んでいるのも事実で、右手と右足が一緒に出た。
「着替えを取ってきなさい。ほら早く! 一緒にお風呂入るんでしょ?」
「い、いや、僕は……」
まったくとんだヘタレである。こっちの気も知らないで。こうなったら脱がすしかない。
指をパチンと鳴らしただけでかけつけた若執事に担がせ、脱衣所に放り込む。
「あ、アンタ達。あたしの分の着替えもよろしくね。二人分」
ユーノの盛大な抗議は右の耳から左の耳に抜けた。
できるだけゆっくり、優雅に、緊張を気取られないように服を脱いで、浴場へ入っていった。
まぁいくらヘタレでも男は男だ。やる時はやるだろう。
案の定、シャワーを浴びている真っ最中にユーノはやってきた。
タオルで前を隠しているのが実にユーノらしい。本人に言ったら今度こそ怒られそうなので黙っていた。
「ねぇ、アリサ」
「どうしたのよ藪から棒に」
ユーノの背中を洗っていると、前から声がかかった。
当たり前と言うか、やっぱりと言うか、ユーノは華奢に見えても背中は思ったより遥かに広くて、一体いつ身長を抜かれたのか、
真剣に思い出そうとした。
「疑ってる訳じゃないんだけどさ、アリサ。どうして僕を選んでくれたのかなって」
意味の薄い思索も、その一言で急に現実へ引き戻される。彼の声に不安や不満の影は見えない。
でも、とても重要な話だと直感した。
「僕は……アリサが好きだよ。他の誰でもなくて、アリサがね。アリサはどう? 僕のこと、どう思ってる?」
何だか少しおかしい。話の軸が、「当然」の領域に行っている。アリサはユーノが好き。
ここにいて一緒に風呂に入っている以上、ユーノがアリサを好きなのも同じ。当たり前ではないか? どうしてそんな話を?
心の中に、恐ろしい感情が浮かんでいく。まさか。言わないで、そんなこと。お願いだから、口に出さないで……
「僕の気のせいであればいいんだけど、今日のアリサはつっけんどんというか……もしかして、僕の他に好きな人が」
「バカ!」
スポンジを床に叩きつけたのと、ユーノの意図に気が付いたのは同時だった。
どうしてそんなことを思ったのか、どうしてそんなことを言ったのか。
バカなのは……自分の方だ。

思っていること、考えていること、何故か反対の言葉と態度になる。
どっちが本当の自分なのか、考えなくても分かることなのに、口だけは天邪鬼のままだ。
ユーノは大好きだ。好きで好きで危うく大学に落ちかけるくらい大好きだ。
出せなかった手紙、出せなかったメール、いくつあるのか数えたくても数えきれない。
でも――結局は、言わなければ伝わることはないのだ。
顔を和らげて、肩越しに抱きつく。ボディソープの泡がくすぐったくて、自然と表情が綻んだ。
「ふざけないでよ、ヘタレのくせに。そんなに分からないなら教えたげるわよ」
一切トゲのない、愛しさ全開の言葉。一緒にいられなかった時間の全てを込めて、アリサはユーノの耳元で囁いた。
「……寂しかったのよ。バカ。バカバカバカバカ。わがままばっかりよ。アンタを独り占めしたいの。
 他の女になんか絶対渡さないんだから」
初めてユーノを見た時は、確かにフェレットだった。
それが人間だと知って、気が付いたらいつもの仲良しグループにフェイト共々入っていた。
ゆっくりすぎて境目が見えない程、二人の距離は近づいていった。そういえばあの時から、すずかはずっと微笑んでいてくれた……。
「あは、あはは、そういうことなのね、すずか。ありがと……」
つまりあの微笑みは、全てを見抜かれていたそれだったのだ。
寂しかったのは他でもなくアリサの方で、だからこそずっと支えてくれた。
笑っては泣いて、肩を震わせていたら、彼の手が腕に絡んできた。湯冷めしかけた肌に、温かい感触が戻ってくる。
「アリサ。敢えて言わせてもらうけど、今さらだろう? 僕はアリサの性格、知り尽くしてるつもりなんだけどな」
「だって、あたし、ずっと酷いことばっかり言ってて……! 『ありがとう』って言いたいのに、あたし、ずっと言えなかった!
 それなのに、ユーノは、あたしとずっと付き合ってくれて……それで……」
苦笑ではない、本物の笑みでアリサの髪を梳いてくれる。身体を預けて、ユーノの好きにさせる。
前髪がくすぐったくて、安堵にも似た溜め息が零れた。
「いつもの勝ち気なアリサが、僕は好きだよ。そして僕がいつも怒られて、アリサが僕を引っ張っていって……」
あと、とユーノは付け加えた。真顔で言ってはいるものの、どれくらい冗談が混じっているのかは測りかねた。
「女の子は少しくらいわがままでちょうどいいよ」
それならと、わがままついでにユーノの前へ回った。これくらいなら、許されてしかるべきだ。
どっち道、この後すぐにでも、もっとわがままいっぱいになるのだから。
「ちゅっ」
真正面から、唇を重ねた。何も考えず、ユーノを貪る。
勢い余って押し倒してしまったが、溢れて溢れて止まらない愛しさの前には、何の障害でもない。
はぁはぁと息が荒れる。舌を潜りこませていく。ようやく口を離した時には、顔がお互いにすっかり紅潮していた。
「お、お礼よ。今まで付き合ってくれたことのお礼と、そして……これからもずっと」
もう一回、今度はついばむようなキス。お腹に当たる、ユーノの熱い感触。もう、我慢できるだけの気力はなかった。
「もちろん、お風呂から上がっても愛してくれるわよね、ユーノ?」

***

朝は、澄み渡る青空だった。雲はどこにも見えず、放射冷却で肌寒いが、それが却ってすっきりした空気になって、目を覚ましてくれる。
結局、鮫島の渡したモノは使わなかった。いや、むしろ何も使わなかった。これで多少は親バカも大人しくなるだろうか。
どっちかといえば今度は孫のために何をしでかすか分からない。
自分の選択に後悔はないものの、未来のことを考えるとユーノみたいな苦笑が漏れてしまうのは仕方のないことだった。
横を見れば、すやすや眠るユーノ。こうして見るとあまりにも無防備で、思わずほっぺたにキスしてしまった。
続いて、唇に──というところで、ユーノが目を開けた。
「んあ?」
「な、なななっ!」
がちん、とぶつかる二人のおでこ。特にアリサは意識がはっきりしていただけに痛みが強烈で、涙目になってユーノを睨みつけた。
でも、それもすぐ笑いに変わった。
「あはは……ホント、ばっかみたい!」
タオル一枚を纏って、シャワーを浴びに行く。使用人達は誰も彼も訓練されていたから、途中ですれ違うことは一切なかった。
朝食は尽きたスタミナを回復させるようにと計らっていたのか、豚肉とスッポンのスープだった。
ところがどっこいこれが美味しいからバニングス家のコックは侮れない。約束の朝ごはんは日曜に持ち越しのようだ。
時計は既にブランチの位置を指していた。
約束は、明日まで。土曜日は水族館に行ってイルカのショーを見て、日曜日は家でゲームでもしながら紅茶を飲んで過ごした。
待つ時間は石のように動かないのに、楽しい時間はあっという間だ。

三年目に入った免許を手に、車を駅まで走らせる。改札で軽く抱き合うと、名残惜しそうに小指を差し出した。
「また、会いましょう。今度はクラナガンでね。はい、指切り」
子供っぽくてもいい。むしろ、子供らしいほうがいい。この週末は何だか、久しぶりに十年前に戻ったような気がした。
ユーノは真剣に笑ってくれて、小指を絡めてきた。指きりげんまん、嘘ついたら針千本飲ます!
終りはあっけなかった。ばいばい、とお互いに手を振って、彼は階段を登っていった。
一分もしないうちに、電車がホームへと滑りこんでくる音。アリサは駅を飛び出した。
駅前の広場からは電車がよく見えるし、逆に電車からは広場がよく見える。
この広場で金髪の女の子がいたら、すぐに見分けがつくはずだ。
こちら側からは見えないのが残念だけど、クラナガンに行く時は立場が逆になるのだからお互い様だ。
やがて滑り出した車体に、アリサは精一杯手を振った。
どこにユーノが座っているのか、立っているのか、ここからではまったく見えない。
魔法なんて使えないけど、子供には戻れないけれど、それでも、ユーノと過ごした思い出と、これからの期待があれば、きっと大丈夫。
「またねー! ユーノ、浮気なんてしたら許さないんだからー!」
電車が行ってしまうまで、アリサはずっとそこで両手を振り続けていた。
やがてモーターの音も聞こえなくなると、車に一人乗り込んで自宅に帰った。

部屋に戻ると、引き出しを開けて、ライトグリーンの宝石を取り出した。
今でも、ほのかに温かい。丸くて小さな宝物をペンケースに移し替えて、そっと引き出しを閉じた。


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