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「一日だけ外に出してくれ。ここにいる全員だ。その分だけ事件捜査に協力する」
ある日、ジェイル・スカリエッティが刑務官に掛け合った。
突然態度が豹変した彼の挙動に不審さを隠せずも、刑務官は規約に則って上に話を通した。
「私とウーノしか知らない研究施設がある。そこに行けば下にいる連中の役に立つものも沢山だろう」
スカリエッティは眼下に広がる青い世界を見て、長くなってきた前髪を掻き上げた。
もちろん、たったの一日でも地上に降り立つためだ。
「ドゥーエの五周忌が近いんだ。この通りだ、頼む。ほら、お前たちも」
スカリエッティの一言で、ウーノ、トーレ、セッテそしてクアットロまでもが頭を下げた。
書類担当の局員は、その話を聞いて大層驚いたらしい。
付近に誰もいなくなった静かな監獄で、ウーノはそっと耳打ちしてきた。
「ドクター、あの場所には『ナンバーズ』の機密情報があったはずでは……」
「ん、何を言っているんだ?」
彼は飄々とした顔でウーノに顔を向けると、薄笑いを浮かべた。
その目は、忘れたものを思い出させるような、優しくも鋭い目だった。
「一体いつ、私が『研究所は一つだけだ』と言ったかね?
もっと言えば、君も知らない拠点はいくつかある。リスク分散というやつさ」
そうしてまた、スカリエッティは窓の向こうへと目を戻した。
地上は光点の数が増え始めてきていて、そろそろ夜になりそうだった。

それから約二週間後、クラナガン郊外にある霊園。
物々しい様子の局員達に銃を突きつけられながら、魔力を封じる手錠を嵌められた五人が、墓標の前に立った。
しゃがみ込み、自由にならない腕を腰の前に持ち上げると、スカリエッティは墓標の文字を指でなぞった。
「ドゥーエ、君は素晴らしい『ナンバーズ』の一員だったよ。ありがとう」
ウーノが持ってきたワインを手にし、下の草地に置く。
すかさず差し出されたセッテの栓抜きを受け取って、コルクへ深く捩じ込んでいく。
それは不自由な手では思ったより遥かに難しい行為だったが、何とか綺麗に抜くことが出来た。
「クアットロ、グラスを」
「はぁい」
決して高いとは言えない、小さなワイングラス。そこへ、テイスティングとして少しだけ注ぐ。
透き通るようなロゼを軽く空気にくぐらせて一口だけ飲むと、スカリエッティは大きく頷いた。
「流石は三十年ものだ。深みがある。ゼロファーストの舌は確かなようだな」
一度洗ってもう一杯、今度はグラスの半分よりも多く注いで、墓前に備えた。
と、そこまで来て重大な事実に気がついた。
──墓が綺麗だ。まるで昨日今日、誰かが来て掃除をしていったような?
「ふむ、チンクかな? あいつは姉妹想いだからな」
聞けば、地に降りたナンバーズたちが養子になったナカジマ家の面々が、一同に会していたという。
そこには、彼女の姿も。
「ふっ、イクスヴェリアにまで参列されるとは、因果なものだ。なあ、ドゥーエ?」
「75」で止まった、彼女の時間。トレディアから続く人間関係というものは、どこでどう縒れるか分からない。
チンクの話によると、イクスヴェリアとスバルが恋仲にあるという。
ノーヴェの片割れだった存在がこんな形で冥府の炎王と関わり合うなどと、誰が予想できただろうか。
「奇跡か……時には信じたくなるものだよ。イクスヴェリアが私の生きている間に目覚めたように、
ドゥーエもまた眠りから覚めてくれるように、と……ま、決して叶わない奇跡だがね」
ウーノに目配せをして、ワインにはちょっと似つかわしくないショットグラスを取り出させた。
ドゥーエのグラスならさておき、生者が飲む分には例えビーカーでも同じことだ。
その中に少しずつ注ぎ、ボトルを置く。
全員に行き渡ったのを確認すると、盃を高く掲げた。手錠のせいで少々不恰好だが、これも致し方あるまい。
頭上で杯を交し合う。ガラスの互いにぶつかる音が、鋭く霊園に響いた。
「ドゥーエの冥福を祈って、乾杯」
ショットグラスに入ったワイン。スカリエッティは苦笑と自嘲を込めながら、時間をかけて飲み干した。
戦闘機人に人間の年齢など関係ないから、法に触れる心配もない。
空になったグラスへ、順に二杯目を注ぐ。三杯まで口にしたところで、ほのかな酔いが浮き上がってきた。
「ふむ、まだ半分は残っているな……残りはチンクやディード達に分けてやろう」
固く栓を締め直すと、ウーノに渡す。連絡を取れば誰かしらすっ飛んでくるだろう。
と、その時、肩をすくめたクアットロが質問混じりに嘆息した。
「ねぇドクター、どうしてそんなに丸くなっちゃったんですかぁ?」
スカリエッティは首をぐるりと回した。コキコキ骨を鳴らして、空を見上げる。
そうしてまで出した結論は、「さぁな」だけだった。
「或いは、未来を見たのかもしれないな」
彼女がぶーぶー不平を漏らしていたが、それには答えず、グラスの底でわずかに残っていたワインを舐めた。

***

あっという間の外出が終り、五人はまた元の監獄に戻ってきた。
軌道拘置所の標準時間でいえば夜、既に大体の者は眠っていた。
職員は出払っていて、連絡船も緊急脱出装置もない。外壁に問題でも発生すればその場で処刑だ。
「ドクター、もうお休みになられましたか?」
「いいや、まだだが」
アルコールはとっくに引いていたはずだが、何故か心が高ぶって眠れなかった。
久しぶりに外に出られたというのもあるし、四周忌までは行くこともできなかった墓参りが出来たのだから、当然といえば当然だ。
捜査に協力する限りは、それなりの待遇で扱う──時空管理局の方針に、初めて感謝する日が来たらしい。
「何だか、眠れなくて……ドクターもですか?」
「ああ。色々と考え事をしていてね」
ウーノの方へと、寝返りを打つ。腕枕をして彼女に目を向けると、同じようにスカリエッティに視線を向けてきた。
不思議な時間、見つめ合う二人。やがてクスリと笑みを漏らしたウーノが、囁くように話しかけてきた。
「昼間の言葉……クアットロに言ったことの、本当の意味を教えて頂けますか?」
しっかり聞いている娘だ、と思った。はぐらかしたのを悟られるとは。
スカリエッティは立ち上がると、窓から外を眺めた。
相変わらず青い星は真下にあって、夜の中で輝く人の光が無数の光点になって煌めいている。
横を見た。トーレも、クアットロも、セッテも、皆熟睡していて、不思議と静かだ。
空調の音だけが本当に小さな唸りを残しているだけの空間で、髪を掻き上げる。
重力制御がよくできているために、長い髪はばらばらになることもなく、元の位置に収まった。
クルリとウーノへ振り返って、薄く笑いを浮かべながら言った。
その中には、諦観と、期待と、そして歓喜が少しばかりこもっていた。
「他のナンバーズは、私達と違って未来を歩んでいく。檻の中で一生を閉じることがない。
それが楽しみだと言ったのさ──セッテはともかく、特に私とクアットロには関係のない話だがね。
だから私はあの時言葉を濁したんだ」
「そんな……ドクターがいない世界なんて、私は嫌です! ドクターがここで生涯を閉じるというのなら、私もお伴します」
叫んでから、声が大きいことに気づいて慌てて口をつむぐウーノ。
それがどこか可愛らしくて、スカリエッティは笑った。
「ははは、ありがとう」
だが、それだけではない。大きく息を吸って吐くと、体操の真似事で腰を後ろに逸らした。
背骨がポキポキ鳴り、気持ち良い呻きを喉から漏らす。
そのまま身体中の筋という筋を伸ばした。久々に外へ出て運動するというのは、それなりに負担をかけたのだ。
もったいぶった時間をようやく終らせて、物も言わずに待っていたウーノへ語りかける。
それは同時に、自分自身にも問いを投げていた。
「もう一つある。イクスヴェリアのことだ。彼女が目覚めた今、地上に大きな混乱は起きていない。
いつとも知れぬ眠りに就いたと聞いたのがつい去年で、だ?
同志トレディアの件もあるだろうが、私は楽しみにしているのだよ。イクスヴェリアとスバル──ノーヴェの片割れが行く末をね」
「……女性同士、というところは何も言わないのですね」
驚いたようなウーノの声にも、スカリエッティはまったく動じない。
『性別』、そんなところを気にするようでは永遠に人の上には立てない。
大切なのは『力』──どんなことができるのか、だ。それを把握した時、敵は敵でなくなり、味方は最も効率のよい運営を行える。
それらの全てを言葉にするには、少しばかり長い話になる。
だから、なるべく簡潔になるように言った。『可能性』、そこに的を絞りきった。
「そんなもの、些細な問題だ。そこは本質ではない。最も大事なことは、イクスヴェリアにも恋い慕う感情があったということだ。
それは同時に、戦闘機人たるスバルにも言える。本当に楽しみだよ……」
「確かに、そうですね。そこまでは思い至りませんでした。ドクターは深謀遠慮をお持ちですね」
「おだてたって何も出やしないさ。だが、例は言っておこう。再びのありがとうだ」
喋るだけ喋ったら、ようやく眠りの妖精がまぶたに魔法をかけてくれたようだ。
あくびを一つ、目を擦ってベッドに戻ろうとすると、ゆらりとウーノが枕を持って立ち上がった。
何をするのかと思いきや、おもむろにスカリエッティのベッドまで来て、そこで横になった。
「あの、ドクター……今日だけ、一緒に寝てもいいですか?」
彼女はそう言いながらも、同意を待たずして枕を敷く。こんなわがままを言うなんて、珍しいことだった。
スカリエッティは溜め息を一つ、自分のベッドまで戻ると、そこに寝た。
「好きにするといい」
「あ、ありがとうございます!」

程なくして、衛星軌道にある拘置所は静かになった。
二人分の寝息が増えて、誰かの寝言がむにゃむにゃとこだまもせずに消えていく。
窓の向こう、宇宙の片隅で、彗星が一つ、長い長い尾を引き始めていた。

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