聖祥小の一角ではその日、四人の少女たちが集まっていた。
アリサ、すずか、フェイト、はやての四人。
いつもは輪の中心にいるはずのなのはは、今日に限ってはいない。
本人には少しばかり気の毒だが、なのはに知られては台無しになる企画なのだ。
「いい、みんな?」
アリサが、改めて全員に確認を取る。
「いいよ」
「うん」
「オッケーやで」
満場一致の可決。アリサは音頭を取って、高らかに宣言した。
「それじゃ、行くわよ!」

場所は、家庭科室。
なのはの与り知らぬところで、怪しげな動きが始まった。

***


「ふぇ?」
2月13日。
「だから、アンタは明日どうするの、って聞いてるのよ」
何となく空気がピリピリしている学校で、アリサはなのはに問いかける。
「明日?」
とぼけているのか、本気で忘れているのか。
アリサは声を荒げることなく、淡々とした調子で聞いた。
「明日、バレンタインデーでしょ。誰かにチョコ上げるとか、ないの?」
なのはは、『あぁ』と思い出したように遠い目で空を見ると、ポッと顔を赤らめた。
「う、うん。あるには、あるよ。ええっと、例えばアリサちゃんとか……」
「そういう問題じゃなくて」
思わずなのはの机を叩こうとしたが、思い留まった。
そんなことに意味はない。
「ま、アンタの顔見れば分かるわ」
誰にチョコを上げようとしているのか。
そして、チョコを上げただけで終らせようとしているその意図が、見える。
「とにかくっ」
アリサはビシッとなのはを指差すと、
「今年は覚悟しておきなさい」
意味深な言葉だけを残して自分の席へと戻った。
狙ったようにチャイムが鳴り、担任が入ってくる。
なのはには、『覚悟』の意味を聞かれずに済んだ。

もどかしい。
そんな感情がアリサの中で渦巻き始めたのはいつだったか。
ユーノが実は人間だと知らされたその日よりもずっと前に、なのはは知っていたようだった。
普段はフェレットモードで暮らしているそうだが、元は人間。どこにでもいる一人の少年として振舞いたいだろう。
そして実際、皆でユーノと一緒に出かける日もあったが、ユーノとなのはは、どうもお互いを好きあっている。
おくびにも出さないというか、互いに『好きでいること』を躊躇っているようにも見える。
「わたしなんかでいいのか」、「僕なんかでいいのか」。
バカらしい。
好きなら付き合えばいいではないか。
大体、『好き』な気持ちを伝えるのに、身分の相応不相応もあったものではない。
ユーノとなのはは、ロミオとジュリエットではない。はずだ。
ちょっと出自が違うけれど、それだけのこと。というか、そこが問題ではない。
要するに、お互いがお互いを怖がっているのだ。
「『ごめんなさい』と言われたらどうしよう」と。
「当たって砕けろ」とまで言うつもりはないが、かといって微妙な仲の友達以上恋人未満を見ているのは、
痒いところに手が届かない辛さがある。文字通り、歯痒い。
だから、アリサは計画した。
何が何でも二人をくっつける算段を。

放課後、全員で示し合わせたように「今日は用事があるから」とバラバラに帰ったフリをし、
そしてなのはが帰ったのを確認した後、こっそりと学校に舞い戻った。
「それにしても、『秘密』っていうのはいつだってワクワクするもんやな」
はやてはチョコレートを湯せんで溶かしながら呟いた。
アリサの指令には一も二もなく真っ先に賛同し、料理の腕も抜群であることから、
本ミッションに於ける最重要人物だった。
とはいえ、アリサから見れば楽しんでやっているようにしか見えなかった。
「でも、アリサちゃんの思いつきは半分遊んでるようなものだよ〜?」
すずかの突っ込みは、アリサにとっては水を差されたようで耳に痛かったが、
まったくその通りであると思い返して苦笑した。
「そういえば、結局このチョコ、誰にあげるんだっけ?」
話半分で参加した──そもそもバレンタインデーを知らなかった──フェイトが、思い出したように聞く。
「ユーノよ」
「え、えぇっ!?」
驚天動地、フェイトは素っ頓狂な声を上げて聞き返してきた。
「バレンタインデーって、好きな人にチョコをあげる日じゃないの!?
アリサ、ユーノが好きだったの? はやても? すずかも!?」
「あぁ、まぁ、うん、そうなんだけどさ……別に好きな人に『だけ』あげる訳じゃないから」
その後、アリサは10分かけてバレンタインデーの何たるかについて、たっぷり説明した。
「──でね、あたしたちがやることは、揃い揃ってユーノにチョコレートをあげることなの。
ユーノが皆にモテモテだと勘違いしたなのはは、先んじられないように告白する、って訳」
改めて、作戦の内容を説明する。
時にオーバーに、時に真面目な顔で。
フェイトはまじまじと聞き入っていたが、やがてポツリと言った。
「皆にモテモテって……ちょっとユーノが可哀想だね」
「そこら辺は大丈夫、もう根回ししてあるから」
「根回し?」
「そ。この作戦のキモは、ユーノとなのはがくっつくためにあるの。ううん、どうしてもくっついて貰わなきゃ困るの!!」
拳を握り締め、熱く語り出すアリサ。
こうなるともう、誰も止められない。
「あいつらったら、見ててイライラするのよ! 微妙な距離でずーっともじもじしてて。
一体いつになったら二人は付き合い始めるのよ? こちとらもう待ち続けるのに疲れたのよ」
「ええで、アリサちゃん! もっと言ったってや!!」
横からの支援に、ますますアリサは語気を強める。
さながら、政治演説のようだった。
「いい、あたしたちに今必要なのは、決断力なの! それも、いつまでも彼氏彼女にならない、
なのはとユーノをくっつけるためのね。あたしたちは、今まさに、二人に『決断をさせる』ための決断を下すべく、
行動を開始しているのよ!!」
「おー!!」
「そのために、ユーノにはもう説明してあるわ。
『あたしたちが一斉にチョコをあげることになるけど、全部義理チョコだから気にしないでよ』ってね」
「流石アリサちゃん! ……っていうか私ら、本命の男の子とかおらんのかいな」
「はやてなら大丈夫よ。いつかきっと、素敵な王子様が現れるわ」
「うぅ、ありがとうアリサちゃん。よっしゃ、気合入ってきたでぇー!!」
テンションをトップギアに入れたままの全力疾走で、チョコレート作りに勤しむアリサとはやて。
すずかは、そんな二人を横目に見ながら、フェイトに語りかけた。
「二人とも、なのはちゃんとユーノ君が大好きなんだよ。だから、二人には幸せになって欲しいんだ。
私も、なのはちゃんが幸せになってくれれば、それだけで私も幸せになれるよ。フェイトちゃんは?」
「私?」
問いを投げかけられ、しばらく考えてから、フェイトは答えた。
「なのはは、私に初めてできた友達だった。今は、誰よりも好きな人、親友、って呼べばいいのかな。
私は、なのはのことを親友だと思ってるよ。なのはが私を親友だと思ってくれてるかは、分からないけど……」
フェイトは、顔を翳らせた。
何事も悲観する傾向にあるのが、フェイトの悪い癖。
すずかは、フェイトの手を握って、保障した。
「大丈夫、なのはちゃんは、絶対にフェイトちゃんのこと、一番の親友だと思ってるよ。
それに、フェイトちゃんは、とっても強いから」
「強い?」
「誰かが困ってる時に、手を差し伸べられる強さがあるから。多分、今なのはちゃんは困ってるんだと思う。
だって、せっかくのバレンタインデーなのに、その一歩を踏み出すのを戸惑っているから。
もしかしたら、今頃決心してるかもしれないけど、もしまだだったら、なのはちゃんの背中を押してあげられるのは、
フェイトちゃんだけだから」
「すずか……」
「なのはちゃんを、お願いね?」
「うん」
すずかはニッコリと微笑んで、ボウルを指差した。
早く作ろう、とフェイトにヘラを握らせて、すずか自身もまたクッキーの生地を練り始めた。

だが、すずかの思惑とは裏腹に、事態は少しずつ捩れていった。
この時のアリサたちには、まだ思いもよらないことだった。

「できたっ!!」
しばらく経って、各々作りたいチョコレートが完成した。
アリサはトリュフ。
はやてはウイスキーボンボン。
すずかはチョコクッキー。
そしてフェイトは、
「生チョコか。やるわね」
丁寧にラッピングして、本命かと見紛う程の豪華さに仕立てる。
時は既に夕闇。まだまだ冷え込みの激しい季節、家庭科室から一歩出た瞬間、冷気が制服を通り抜けて肌を刺す。
アリサはコートを着込むと、チョコを大切に鞄の中へしまって、友人と別れた。
表に出ると、さも心配そうな顔をした鮫島に早く車に乗るように言われ、大人しく従った。
今日はバイオリンの日だ。すずかとは一旦バイバイをしたにせよ、すぐにまた会える。
車が滑り出して、アリサは何となく空を見上げた。
一番星だろうか、明るい輝点が夜空にぽつんと浮かんでいる。
月は見えない。まだ出ていないのか、もう沈んでしまったのか。
まるで、なのはのようだ、とアリサは思った。
どうしてそう思ったのかは分からない、ただ何となく印象で、だ。
二番星がどこにもない。一体ぜんたい、ユーノはどこにいるんだろう。
「バカ」
誰にともなく、アリサは呟いた。
鮫島にはもちろん、誰にも聞こえなかった。

***


2月14日。
バレンタインデー当日。
下駄箱にチョコ、というありきたりなパターンは、しかし言葉を変えれば王道と呼ばれる。
その日、何人かの男子生徒が歓声を上げて喜んでいたのを、アリサははっきりと耳にした。
学園のアイドルなんてのは残念ながらいないが、モテる奴はいる。
そういうのに限ってキザに振舞って嬉しくない振りをするのだから──自分を見ているようで何だか笑えてきた。
失敗作の中では食べるに値するものをクラス全員と担任に渡す。
見たところ、手作りでチョコを作った女性陣は皆似たり寄ったりの行動だった。
捨てるのはもったいないが食べるには多い。よくある結果だ。
アリサもまた、鞄へ密かにチョコをしまい、その時をジッと待ち続けた。
一時間目、二時間目……昼休みには緊張が最高潮に達し、
本当に作戦が成功するのか、些かの不安を覚え始めていた。
嫌いではないが、恋してる訳でもない男の子に、集団で気合の入ったチョコをあげる。
端から見ればシュールな光景だろう。罰ゲームの一環かと思われるかもしれない。
それでもいいかと思いつつ、中々弁当に箸が進まなかった。

今日の授業はまともに聞いてはいなかった。
算数で何をやったのか、国語で何をやったのか。それ以前に、今日の科目は何だったか。
それさえもあやふやになるほど、アリサの心はチョコでいっぱいだった。
まさかここまで緊張するものとは思ってもみなかった。
これで、本当に好きな人が現れたらどうなってしまうのだろう。
しかし、今それを考える余裕はない。
「にゃ、なのは」
だから、名前を呼ぶ時に思わず噛んでしまった。
「なに、アリサちゃん?」
なのはが平然、否超然とした顔で聞いてくる。
これが噂のポーカーフェイスかと、アリサは勘繰った。
「あ、あのさ……ユーノって今なのはの家にいるわよね?」
「うん、多分。買い物とかに行ってなければ、だけど」
単調な返事。いつもより大人しい。
「それでさ、今日、ユーノを呼んで来てくれない?」
「え?」
瞬く間に、なのはが怪訝な顔をする。
狙っていた通りの反応だ。
「あいつにもチョコをあげないと不公平かしら、って思ったのよ。それだけ」
「あ、う……うん。分かった。呼んでみるよ」
そして、念話とやらで会話を始めるなのは。
電話代ももパケ代もいらないのだから、便利なものだ。
しばらくすると、なのはは怪訝な顔をもっと不審そうな顔にして、首を縦に振った。
「アリサちゃん、何時ごろに?」
「うーん、できれば今すぐ」
なのはは困惑を隠せないようだ。
だが、それでいい。
「ユーノ君、こっちに来てくれるって。丁度買い物の帰りだったみたいだから」
「恩に着るわ、なのは。それじゃ、あたしは先に行ってるから」
そう言って、アリサはそそくさと荷物をまとめて教室を後にした。
はやて、すずか、フェイトと、狙ったようなタイミングで次々に話しかけていることだろう。
しかし、それを間近で聞いていては余計に怪しまれる。
四人の間で勝手に成立した罰ゲームだと思われてしまえば、元も子もないのだ。
足早に廊下を歩き、昇降口を出る。
下駄箱には、同性かららしいチョコが幾つか入っていた。
鮫島の土産にでもしようと、アリサはそれらを鞄に詰め込んだ。

校門でしばらく待つ。
四人が固まっているところを見られると困るので、壁の外側で。
秒針の動きさえ止まって見えるような、のろのろとした時間が過ぎていく。
それに比べ、起き抜け後の数分が何とまあ矢の如く疾走して行くことか。
右を見て、左を見て、そして溜息を吐く。
「アリサちゃん」
「ああ、すずか……」
すずかの目は、『大丈夫、きっと成功するよ』と言いたげだった。
だが、そうは言わず、すずかはクスリと笑った。
「アリサちゃん、本当に恋する乙女みたい」
「う、うっさい!」
「だって、あっちこっちキョロキョロして溜息吐いて。ホント、デートの待ち合わせみたいだったよ」
「そ、そんな訳ないじゃない! あたしはただ──」
「アリサ、頑張って否定するのは図星の証拠だよ、ってエイミィ姉さんが言ってた」
「ひゃあっ!!」
突然現れたフェイトに、アリサは驚いた。
危うくひっくり返りそうになりながら、フェイトに詰め寄る。
「ビックリさせないでよ、もう!」
「ごめんなさい。でも、緊張は解けた?」
「え?」
そういえば、喉から心臓が飛び出てきそうな程緊張していた心は、嘘のように消え去っていた。
その瞬間、ユーノが通りの向こうに姿を現した。
「あっ、ユーノが来たわよ。それじゃ皆、作戦通りにお願いね」
「分かった」
「了解です」
「ラジャーや」
「よし、散開!!」
腕を大きく広げ、アリサは戦闘開始を下令した。

「ごめん、待たせちゃって」
「ううん、いいわ。あたしも今着たばっかりだから」
このやり取りは絶対に逆だろうと思いつつ、アリサは校舎を指差す。
「あそこの裏っ側。ちょっと来て」
ユーノの手を引いて、歩き出すアリサ。
「あ、ちょ、ちょっと、僕部外者だけど」
「大丈夫大丈夫、少しならバレないって」
薄暗く湿った一角へ、ユーノを引っ張り込む。
丁度周囲からは死角になっていて、誰からも見られることがない。
ただ一人、なのはを除いては。
背後に強烈な気配と目線を感じる。ユーノにアイコンタクトを取ると、小さく頷かれた。
どうやら、なのはは影から様子を伺っているらしい。

──多分アリサちゃんのことやから、校舎裏にでも連れ込むんやろな。

はやてには、何気なくを装ってそんなことを言わせておいた。
様子を見に来てくれなかったらそれはそれで修正したが、今のところ流れはバッチリだ。
「そ、その、ユーノ」
「どうしたの?」
まるでマニュアルのような会話。ユーノには『義理チョコ』と事前に連絡しておいたが、
いざこうやって二人きりになり、顔を合わせると、演技ながらにどぎまぎしてしまう。
「その、何ていうのかしら……ほ、ほら、今日バレンタインデーじゃない?
それで、あたし、チョコ作るの失敗しちゃって、だから、その余り、あげる」
そして突き出したのは、とても失敗したチョコを包んだとは思えない、綺麗な包装紙とリボン。
つっけんどんにそれだけを言うと、アリサはユーノの肩越しにすり抜けていった。
「アリサ」
それを、ユーノは呼び止める。
「何?」
「その……ありがとう」
「ば、バッカじゃないの!? 義理って言ってるでしょ! ぎ・り!!」
脱兎の如く、アリサは走り出す。校門を抜けて、家まで全力で走って。
「はぁ、はぁ……」
バタリと部屋の扉を閉めて、一人きりになる。
はやてたちの戦果がどうであったか、聞くのも怖かった。
そのままベッドに倒れ込んで、呼吸を整える。
「ユーノ、かあ。どうしてなのはと付き合わないのかしら」
既に結論が出た答えを、何度も何度も反芻する。
自身がユーノに何ら特別な感情を抱いていないと再確認すると、意を決して携帯を取った。
「フェイト、アンカーのアンタはどうだった? なのはが」
と、ここまで文を打った時、不意にメールが来た。
差出人は、はやて。
「ん、何かしら?」

『今、ちょっと宜しくない事態になってます』

背筋に嫌なものが走った。
フェイトが卒倒したとか、いつもの話でありますようにと詳細を聞くメールを出す。
程なくしてやってきたメールは、アリサを愕然とさせるのに十分すぎた。

『なのはちゃんが…ショックで家に逃げ帰ってしもうた』

事の顛末を電話で聞いた。
何でも、はやてとすずかまではテンポ良くチョコを渡せていたのだが、
フェイトが自前の赤面症を披露してしまったのが決定打になってしまったらしい。
泣き顔とも困惑とも取れない複雑な顔を作って、なのはは学校から走り去ってしまった、と言うのだ。
「……」
一瞬にして、罪悪感が噴き出す。
また、調子に乗ってしまったのか。
いつかのように、知らず人を傷つけてしまったのか。
「と、取り敢えず、明日、ううん、今日にでも謝りに行こう?
バレンタイン大作戦やー言うて悪乗りしすぎた私にも責任あるし」
「うん……」
それだけ言って、電話を切る。
またベッドに倒れ込んで、頭を抱えた。
「どうしよう……あたし、なのはを……大切な友達なのに……一番の親友だったのに……」
身体が震えだす。
なのはを、泣かせてしまった。
背を丸めても、頭を振っても、何も起きない。
ただ、沸いてくるのは絶え間ない十字架の影のみ。
「ごめん、なのは。ごめん……」
シーツを掴む手の感触が、妙に薄かった。

***


高町なのはは、自室のベッドで、奇しくもアリサと同じようにシーツを握り締めていた。
「お似合いだよね……アリサちゃんも、フェイトちゃんも。すずかちゃんも、はやてちゃんも。
どうしてわたしだけ、チョコが渡せないんだろう……」
一応、チョコはあるのだった。
けれど、それをクラスメイトに渡すのは苦もなく出来ても、何故かユーノにだけは渡せない。
そう、製菓用のチョコを買おうと買い物カゴに入れた時から、ずっとシミュレーションを重ねてきた。
そして、できなかった。
「ユーノ君は、誰と付き合うんだろう? フェイトちゃんだったら、ちょっぴりショックだな……」
仲良し五人組、皆でユーノが好きだとは思わなかった。
一番の親友、フェイトまでも──それ自体は構わないと思っていたが、
いざチョコレートを渡す場面を見ると、中々どうして納得できない。
友達と同じ人を好きになる。ドラマでは良くある話題だが、まさか自分の身に降りかかると、
「こんなに苦しいなんて……」
何より、自分はユーノに相応しくないのではないか。
今、ここで誰かと付き合い始めるというのであれば、それを祝ってあげるのが筋ではないのか。
けれど、感情がそれを拒絶する。
認めたくない。納得したくない。
なのはの心は完全に渦を巻いてなのは自身を飲み込み、果てしない思考のループへと追いやった。

わたしは、ユーノ君が好き。
でも、皆もユーノ君が好き。
この二つは、同じものなの?
わたしは、チョコをあげられなかった。
わたしは、チョコをあげたかった。
でも、皆がチョコをあげている。
わたしが今更あげても、きっと迷惑なんだ。
フェイトちゃんがチョコをあげた時点で、締切。
わたしは、それに間に合わなかった。

でも、
でも、
でも、
「ユーノ君にチョコ、あげたかったなあ……」

ガチャ。
「ひゃあっ!?」
突然の音。
反射的にドアの方へ振り向くと、そこにはユーノがいた。
「おかえり、なのは」
「た、ただいま……」
心臓がバクバク言っている。
驚きのリズムが沈んでいくと、今度は別な鼓動がなのはの呼吸を早めた。
「あ、あの、ユーノ君、どうして……?」
「どうしても何も、ここが僕の帰る場所だから」
サラリと言って、ツカツカとなのはのベッドに歩み寄ってくる。
「い、いや、来ないで……」
「どうしてさ?」
どうしたらいいか分からない。
なんて言えばいいのか、てんで分からない。
だから、とにかく来て欲しくない。
「いいよ、なのはは何も言わなくても」
なのはの心を悟ったようにユーノが優しく語りかけると、なのはの傍にポフッ、と座った。
「今日、僕は皆からチョコを貰った。正直、食べきれないくらいだよ」
名前を挙げて行くユーノ。それは、さっき校舎裏で見ていた名前と同じだった。
それから、なのはの母、桃子。
クロノの恋人、エイミィや、母のリンディからも。
「でもね、全部義理チョコなんだって」
「え?」
頭が混乱する。
あのラッピングは? アリサのつっけんどんな物言いは? フェイトの赤らんだ顔は?
「だから、まだ貰ってないんだ。……なのは、君から」
はやての、すずかの、と疑問符が湧き水のように頭の中をグルグル回る中、
ユーノはしっかりとなのはを見つめてきた。
初めて見る、いつになく真剣な顔。
それでいて、ユーノの言葉は、余りにも簡単なものだった。
「男の僕から言うのはちょっと変な気がするけど。もし良かったら、なのはのチョコ、食べたいな」
「え……?」
「君じゃないとダメなんだ。他の四人から貰ったチョコより、なのは、君のが食べたいんだ」

言葉が心に染みていくのに、随分な時間がかかった。
「君のチョコが食べたいんだ」、たったそれだけの言葉なのに。
世界がグルンと一回転したような感覚が鳩尾から走った後、
カッカと燃え盛る何かが、ふつふつと心の底から沸いてきた。
顔が紅くなるのが分かる。ドキドキが止まらない。
手も足も、自分の思う通りに動いてくれない。
たどたどしく、右手と右足が一緒に出るような歩き方で机に向かうと、その上に置いてあった包みを取り上げる。
ユーノの元へ戻ると、両手にチョコレートを載せて、差し出した。
「お、美味しくないかも知れないよ? すっごく苦いかも知れないよ? もし、もしも、お腹なんて壊したら──」
なのはは、最後まで言い切れなかった。
その前にユーノがチョコを取り、しげしげと見回してから、逆に問いかけてきたのだった。
「食べてみてもいい?」
「う、うん」
作ったのは、ピーナッツやマカダミアナッツをチョコレートで包んだ、いわゆるシェル型。
コロコロと大きめにカットしたナッツが入ったチョコを、ユーノは一つぱくりと食べる。
しばらくもぐもぐやって、飲み込んだのを、なのはは固唾を呑んで見守った。
止まったような時間の中、ユーノの感想を待つ。
「うん、おいしいよ、なのはのチョコ」
「ホント!?」
「僕が保障するよ。他の四人より、もっと、ずっと」
「ホント、ホントに!?」
なのはは、飛び上がって何度も問いかけた。
同じことを、何度も、何度も。
「大丈夫、本当の、本当に、美味しいから」

そして、『それと』とユーノが続ける。
「バレンタインデーってさ、女の子がチョコをあげる日だって聞いたよ。それと……想いを伝える日だ、って」
「うん、うん」
「皆、僕に思いを伝えてくれた。『ユーノは一番の友達だよ』って、皆からね」
そこから先、ユーノは無言になった。
目を瞑り、足をブラブラさせて、なのは自身の言葉を待っている。
今まで、ついさっきまで、一歩を踏み出す勇気がなかった。
けれど、今なら言える。
心臓が口から飛んで行きそうな脈動を抑えて、一つ一つ、言葉を紡ぐ。
「あのね、ユーノ君」
「うん」
「わたし……わたし、ユーノ君が好き。大好き。誰よりもユーノ君を……愛しています」
やっと、言えた。やっと、想いを伝えられた。
やっとやっと、言いたいことが、言えた。
逃げずに、口に出せた。

ユーノは静かに聞いていたが、やがて口を開いた。
「なのは。僕も、なのはが好きだ。女の子として、誰よりも。だから、僕と……付き合って欲しい」
「ありがとう、ユーノ君……でも、本当にわたしでいいの?」
「違うよ、なのはじゃないとダメなんだ」
なのはのチョコレートは、まだ幾つか残っていた。
その一つを取って、なのはの口元へ寄せた。
「なのはも、食べてみる?」
「う、うん」
あーん、と口を開けたところに、ユーノはちチョコを──食べさせてくれなかった。
代りにユーノ自身の口へ放り込む。
「えぇーっ」
ぷー、と頬を膨らませたなのはだったが、次の瞬間、
「んっ……」
ユーノの顔が間近に迫ってきた。
そのまま唇を奪われ、チョコの甘い香りが鼻に抜けてくる。
舌が割り込まれて、ユーノの唾液と一緒にカカオとナッツが雪崩れ込んで来る。
チョコを食べているのか、ユーノに身体ごと食べられているのか、まるで判らない。
「なのはの身体、温かい」
ベッドに優しく押し倒される。
「チョコもいいけど……なのはも、食べてみたいな」
キスは、やがて唇から首筋に及んだ。

***


夕方、心配しきりのアリサたちが出かけていってみれば、そこには見事な封鎖空間ができていた。
それどころか、桃子に門前払いを喰らってしまう有様だった。
「ごめんなさい、今ちょっと二人とも忙しいらしくて……ただ、これだけは伝えてくれって言われたわ」
一同が不安に思う中、耳に入ってきたフレーズは一瞬理解し難いものであった。
「『ありがとう、みんな』って」

翌日、なのはの顔がニヤけていたのを、誰もが不思議に思っていた。
昨日まであんなに不安そうな顔をしていたのに、と。
チョコレートの魔力がなした奇跡だろう、という推測は当然のように立ったが、
それ以上は、何があったのか訊いても「ないしょ」と言われるばかり。
「一体何があったのよ?」
「さぁ……誰にも話したがらへんみたいやし」
アリサとはやては、首を傾げながらも、
結果オーライに終った「チョコレート戦争」を満足げに眺めていた。
キューピッドになれて、幸せの花を咲かせられた。
それで総て、十分だった。
「しっかし、なのはちゃんにはやっぱり笑顔が一番似合うと思わへんか?」
「まったく同意ね。ユーノがあの顔を泣かせたら、ぶん殴ってやるんだから」


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