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「いよいよ今日だね……」
「そうだね、なのは……」

朝から深刻な顔をして向かい合っている、なのはとユーノ。
ヴィヴィオは疑問符を次から次へと沸かせて、二人を交互に見やった。
なんだか、箸も進んでいない。ひょっとして、美味しくなかったのだろうか?
ただその雰囲気は、事件の匂いがするというよりも、試験の朝みたいな空気が漂っていた。
「パパ、ママ、今日は何かあるの?」
キョトンとした表情で聞くと、両親は同時に振り向いた。
そして、凄い剣幕になって力説した。声は見事にハモっていた。

「今日は、ヴィヴィオの授業参観だよ!」

「……え、それだけ?」
最近夜遅くまで仕事をすることが多かった二人が、昨日になって突然、「明日は休みになった」と言い出す。
不穏なものを感じていたが、よもや授業参観だったとは。
あんまりといえばあまりにもどうでもいい結論に、溜め息を吐く。
「なんでパパとママが張り切ってるの……」
そういえば、とヴィヴィオは思い出した。同時に顔が青ざめる。
クラス中に『ヴィヴィオの両親はバカップル』という噂がとっくに広まっており、皆がその顔を見たがっていたのだ。
ある者は冷やかし、またある者は冷静に夫婦仲を分析し、
そしてまたある者は両親が共に管理局で重要な仕事をしていると信じてくれなかった。酷い話だ。
両肩を落として、ヴィヴィオは落胆する。この二人、学校で恥ずかしい真似をしてくれないといいのだが。
「お願いだから、パパ、ママ、変なことしないでね。私のこと後ろから呼んだりしたら、絶交だからね!」
血圧の上がる話だ。いつかこの日が来ると知っていても、やっぱり受け入れがたいものはこの世に存在する。
溜め息を一つ増やして、ご飯に箸を伸ばす。
すると、なのはがテンションを上げながらヴィヴィオに言った。
「ヴィヴィオ、溜め息を一つするとね、幸せが一つ逃げていくんだよ」
「そうだよ、僕とママみたいに笑顔でいると、それだけで幸せになれるんだよ」
「わたしは、あなたの笑顔が見られるだけで幸せだよ♪」
「僕もだよ、なのは」

朝っぱらからいちゃつかれるとイライラするのは、ヴィヴィオの精神構造に問題があるのだろうか、いやない。
しかも、
「そのお話は前も聞きました!」
この一週間でもう三度目である。もっと小さい頃にも言われていたから、合計百回は聞いたか。
耳にたこが出来たというか、出来たたこへ更にたこが重なっていた。
「うーん、わたし達としてはヴィヴィオに幸せになって欲しいから」
「そしてヴィヴィオの次はなのはだね」
「んもう、あなたってば!」
ええい黙れ。朝から甘ったるい。
ヴィヴィオは全力でご飯と味噌汁とおかずを残らず口へ掻っ込んで、箸を叩きつけるように置いた。
両手を合わせてごちそうさまをして、さっさと食器を片付ける。
「パパもママも、授業参観はお昼からだからね! 朝から学校、来ないでよね! いちゃいちゃ禁止!!」
子供よりも子供な二人にかっちりきっちり言いつけると、制服を着こんでアパートを出た。
家を出た直後、振り向くと、両親が手を振っていた。
しばらく立ち止まったまま二人を見つめていたヴィヴィオは、やがて大手を振り返して笑顔に戻った。
「いってきまーす!!」
……そう、何も難しいことはない。一度顔を離したら、喧嘩なんてそこで終らせるのだ。
軽快な足音を響かせて、学校に急ぐヴィヴィオ。
コロナやリオと合流したのは、ちょうど校門前だった。

***

「であるからして、ここは……」
理科の授業。太陽がどうして同じ方向から昇り、しかも季節によって微妙に場所がずれるのかということを、
至極単調なメトロノームのリズムで教えられた。
周りの人間は殆ど寝ている。というか、絶対に眠りの魔法をかけながら授業をしているに違いない。
コロナもちょっとばかり船を漕いでいたので、ペンの尻で脇腹を突いて起こしてやる。
ビクッと身体を震わせて、次に頭を二度三度振る。まったく、寝ていた人間がするお馴染みの仕草だ。
左右を見て、ペンを片手にジト目をしていたヴィヴィオに軽く頭を下げ、また前を見る……そして、また眠る。
教科書を眺めればそれで充分分かることを、教師は数十分かけて講義する。無駄な時間といえば、まさに無駄だった。
頼むから、教科書だけでは分からないポイントを教えて欲しいものだ。
ヴィヴィオもまたうとうととしていると、ようやく鐘が鳴った。
不思議なことに、教師が立ち去ると途端に皆の魔法が解けるのである。ある意味、研究の題材になるかもしれない。
待ちに待った昼休みになって、三人がカフェテリアに寄り集まって昼食にぱくつく。
ヴィヴィオだけは弁当だ。母親の故郷から遠く離れたベルカ自治区の地で、それはちょっと珍しい。
「いいなー、ヴィヴィオのお弁当。ママって確か、喫茶店の人なんでしょ?」
「で、ちょっと前までは空戦のエース……世の中分からないね」
リオとコロナが口々に言う。
確かに、ちょっと他の人とは違う出自を持っているのだが、それは何も弁当に限った話ではない。
「ところでぇ……ヴィヴィオのパパとママ、すっごいバカップルって本当?」
「あ、それ私も聞きたい!」
「今日参観日だしねー」
「ねー」
二人がニヤニヤした眼でヴィヴィオをじっと見つめてきた。
こういう時はいつも、ユーノ譲りの曖昧な微笑でその場を乗り切るのが常だったが、今日はどうもその手が通じないようだ。
眼を逸らしてみたが、二人の顔はますます近づいてきただけだった。
最後の一口を口に放り込んでもぐもぐやり、時間稼ぎをしたが、まったく無駄に終った。
「う、うん、自分の目で確かみてみれば分かるよ」
舌を噛んだ。今時どこの雑誌だってやらかさない誤植みたいだ。
取り敢えず凌いだが、正直な話をすると今全部白状した方が楽になれるんじゃないかと感じた。
迫りくる顔二つをじわじわと逸らしていると、視線の先に見慣れた影を見つけた。これはチャンスだ!
「あ、アインハルトさん!」
立ち上がってとてとてと寄っていく。声で向こうも気付いてくれたのか、サッと振り向いた。
キリリと精悍な顔立ちが、ほんの少しだけ緩む。
「ああ、ヴィヴィオでしたか。こんにちは」
「こんにちは!」
ぺこりと挨拶。遅れてやってきたリオとコロナが後に続き、さっきの話はうやむやになった。
軽い世間話の後、予鈴が鳴って四人がいるべき場所へと帰っていく。
ヴィヴィオは心の中でガッツポーズをして、意気揚々と教室に入った。
程なくしてぞろぞろと保護者がやってきて、後ろが埋め尽くされる。
応用数学の授業が始まり、熱意に満ちた文字通り熱血の教師が猛弁を振るい始めた。
ヴィヴィオはそっと後ろを振り返り、父兄の面々を見た。

──甘かった。

両親が来るのは想定の範囲内だった。というか揃って休暇を取ったのに来ないなどという事態は、ない。有り得ない。
そして、フェイトにノーヴェやウェンディ、そしてオットーとディードまでは分かる。
だが。
「どうしてセインさんにシャッハさんまでいるの……」
イクスヴェリアはどうしただとか、そんなことは差し当ってどうでもいい。
セインは「聖王」の実力を見定めに来た──という名目で遊びに来た──ようだし、シャッハに到ってはその保護者だろう。
もう、何がなんだか。
穴があったら掘ってその中に埋まってしまいたいほどの恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、震える手で教科書をめくり始めた。
頭の中に内容が入っていかない。それどころか、緊張で字がぶれ、うまく見えない。
何もあんな大所帯で来なくてもいいのに。
顔から火が出そうになりながらも、少女は紅と翠の目を懸命に動かして、教師の話を耳に入れようとした。
でも、頭に入らない。いつもならこんなに緊張しないことでも、恥ずかしくて上手く自分を出し切れない。
というか、何が恥ずかしいのかも分からない。
「……という訳だ。ここの、xの値が分かる者はいるか?」
話が概論を終えて例題に入ったようだ。方々が手を挙げて、一番に指名して貰おうと躍起になっている。
だが、これは簡単なトリックだ。
『答えの分かる人は右手を、分からない人は左手を挙げる』が、今日共通の合言葉だった。
教室は一見喚声に満たされているが、その中で本当に答えるのは半々という訳だ。
もちろん、教室に集まった生徒も木偶ではなく、得意な教科はそれぞれにあって、
実力を最も発揮できる場所でその真価を父兄に披露するのだ。
一歩後れを取ったヴィヴィオは黒板を凝視する。問題に集中するんだ。
いくつかの暗算で見通しを立てると、解けそうな気配だった。ヴィヴィオは思い切って手を上げ──ちょっと遅かった。
「それじゃリオ、やってみろ」
「はい!」
ヴィヴィオとコロナに軽くウィンクをして、リオはスタスタと壇上に上がる。
チョークを滑らせる音心地良く、筆跡も綺麗で、リオはヴィヴィオが思い描いていたよりずっと鮮やかな解法を導いていた。
教師は答えを見て唸り、実によくできているとリオを褒め、解説を始める。
少し悔しかったヴィヴィオだったが、でもそれをバネに頑張れる。
対抗心は羞恥心を上回り、いつしか教科書や教師との戦いに没頭していた。
ただ一つ気になったのは、その間一度も後ろが騒がしくならなかったことだった。
そろそろユーノとセインが大騒ぎしてもいい頃なのに、不思議でならなかった。
三人娘だけでなく、全員が一致団結して問題に取り組む空気が生まれていて、予定よりも少し早く授業が終った。
教師は生徒達を見回し、父兄たちを見回し、そしてゆっくりと語った。
それは熱血の塊であり、訴えかける力には、どこか怒気のような感情さえも含む強さがあった。
教室は静まり返り、水を打ったように張り詰めた緊張が漂う。
「何も学問だけじゃない、君達は若いのだし、常に挑戦し続ける心が必要だ。
これと決めたらとことんまでやってみろ。それは必ず、君達の糧になってくれる。
──口で言うのは簡単だが、世の中は中々そうもいかない。
だから、皆で力を合わせるんだ。信頼できる仲間と励ましあいながら、限界の先まで突き進め!
君達の夢は、夢のままで終らせるな!! 以上」
ぴったりの時間にチャイムが鳴り、教師は壇から去った。
誰も彼もがほぅと息を吐き、そして束の間の休み時間、あの瞬間に起こった先生の話について、
ワイワイガヤガヤと議論が始まった。
ヴィヴィオは一人、感銘を受けて椅子に座り尽くし、リオとコロナが肩を叩いても、目の前で手を振られても、反応ゼロだった。
古代ベルカ語の授業に移った後も、一人心を打たれてまともにノートなど取れず、
また後ろで保護者たちが何をして何を言っていたのかも、さっぱり分からなかった。

ようやくショックから立ち直った時、もう帰りのホームルームは終っていた。
何かをした記憶はあるのに、具体的なことはすっぽり忘れている。
ハッと後ろを振り向くと、保護者一同は全員出払っていた。この後の懇親会に出席するためだろう。
「帰ろう、ヴィヴィオ?」
親友二人組が誘ってきたが、ヴィヴィオは断ることにした。
ちょっと遠い寄り道をすることにしたのだ。
「ごめんね、二人とも。私、これからイクスのところに行ってくるから」
そそくさと席を立って、教室を後にする。
後ろで二人とも不思議がっていたが、もう一つ大事な理由があるのだ。
「あ、オットー! ディード! ……あれ、セインとシスターシャッハは?」
「陛下、お疲れ様です。二人は今、諸般の事情で『お話』しています」
「そ、そうなんだ……イクスのところに行くから、今日は帰る前に教会まで、って思って」
似てない双子がヴィヴィオを見返ると、揃って一礼し、ディードが手を差し伸べた。
意味が分からずぽかんとしていると、彼女に鞄を渡すよう言われた。
「今日は授業参観もあって疲れているでしょう、私がお持ちします」
その言葉を聞いて、ヴィヴィオはむしろ肩に掛けていた鞄を引っ込めた。
それだけに飽き足らず、ジト目になって長髪の修道女を睨みつける。
「特別扱い、禁止」
一体いつまで経ったら分かってくれるのだろう。
『陛下』と呼ぶのはもういい加減慣れたが、他の事にまで慣れるのは、何故か自分に負けるような気がした。
至極寂しそうな目になって今にもいじけそうになるディード。
ちょっと可哀想だが、ここで心を鬼にしないといけない。多分半分は演技だ。
「二人も間もなく戻ってくるでしょう。さ、僕らも帰りましょう?」
オットーが校門を指し示し、三人は一緒に歩き出した。
セインがただ懇親会に参加していただけと知るのは、教会に行ってからカリムに聞いたことである。
まったく二人とも、どこで冗談なぞ覚えたのやら。でも、ちょっぴり目線が一致して、ヴィヴィオは嬉しかったりもする。

***

カリムと一緒にいたイクスヴェリアと少しだけ遊んで、日が暮れる前に家に帰った。鍵は閉まっている。
ガチャリと扉を開けると、いつもは賑やかな空間が、夕闇も相まって突然寂しいものに思えた。
二人とも、まだ懇親会で会議をしているのだろう、今日の夕食当番は自動的にヴィヴィオに決まった。
「えっと、材料、材料……」
冷蔵庫を漁る。何種類かの料理が作れそうだったが、まずはテレビをつけて天気予報を見た。
夜から冷え込んで、明日は真冬みたいな寒さに戻るようだ。
「シチューにしよっかな」
たっぷり作ろう。そうすれば、明日の夜には熟成したのが食べられる。
早速メニューを決めたヴィヴィオは、エプロンを取り出して首に引っ掛けた。
「よし、パパとママが帰ってくるまでに作るよ! クリス、手伝ってね!」
ポシェットから勢いよく出てきた相棒は、ふよふよと漂いながらグッとポーズを作り、気合を入れてくれた。
ヴィヴィオは士気を上げつつ、シンクから包丁を取り出した。

「あ、パパ、ママ。おかえりなさい」
やがていい匂いが家中に漂ってきた頃、二人は帰ってきた。
何をどうしたことか、互いに落ち着いている。
普段、一緒に家に帰って来ようものならば、一つのマフラーを二人で巻いているくらいのバカップルなのに。
いちゃいちゃ度が低すぎる両親に、今日ばかりは違和感を覚えた。
「ただいま、ヴィヴィオ。授業参観の時のヴィヴィオ、良かったよ。ちゃんと先生のお話も聞いてたし」
「あっ、ご飯作っててくれたんだね。ありがとう、ヴィヴィオ」
そのまま、二人は手を取り合うこともなく、さりとて仲が悪そうな様子も見せず、『普通』の生活をしている。
──そう、その『普通』が、もはや普通ではないのだ。
「パパ、ママ? 何かあったの? 二人ともどうしたの? 今日、全然普通だったけど……」
一応、聞いてみる。特別な事情があったのかもしれない。
だが、なのはからの回答はあまりにも常識的なものだった。
「授業参観だからって、あんまりはしゃぎすぎるのも大人気ないからね。
わたし達大人が後ろで騒ぐようなイベントじゃないっていうのもあるかな」
隠しごとがある。確信なんてないけれど、ヴィヴィオはそんな感想を抱いた。
ユーノも似たり寄ったりのことしか言わない。
行く前と帰ってきた後の、この温度差はなんだ。
常人なら絶対抱かないはずの妙な不審を頭に、ヴィヴィオはシチューを掻き混ぜた。

「うん、美味しいね。ヴィヴィオ、ありがとう」
「また上手になったね。ママ、もう敵わないかもしれないなあ」
同じ食卓に揃ったら、ヴィヴィオがいようといまいと『あーん』を交互にやってたはずが、今宵ばかりはやらない。
それともこれは、新しい種類のペテンなのか?
カレンダーを確認する。なんてことない平日だった。
多分、どこの家庭でも同じことをやっている、はず。
なのに、こんなに不安になるなんて、初めての出来事だった。
「えっ……パパ、ママ、どうしちゃったの? なんでいつもみたいに『あーん』とかしないの?」
口を突いて出た質問は、そんな不安が如実に現れたものだった。
なのはも、ユーノも、仕事を凄く頑張っていることくらいは知っている。
家でくらい、ゆっくりのんびりバカップルをやってても、罰なんて当たらないのだ。
別に、ありのままの二人でいいのに。
「だって、ほら、ヴィヴィオ」
なのはが言う。

「今日の朝、『いちゃいちゃ禁止!!』って物凄い顔で言ったの、ヴィヴィオだよ?」

──あ。
そうだった。
静々と両親はシチューを口に運んでいる。
当たり前、常識的な食事の風景だったが、それが味気ない。
思い描いていた『普通』とのギャップに、ヴィヴィオは戸惑いを隠せなかった。
夕飯を食べ終って部屋に戻り、今日の分の宿題を済ませる。
ようやく数学を片付けた後、本棚から読みかけの文庫本を取り出して読んでいると、なのはがノックしてきた。
「どうぞ」
そろそろと入ってきたその手には、バスタオル。
『早く入ってきちゃいなさい』と言い出すかと思いきや、そうではなかった。
「ヴィヴィオ、一緒にお風呂入らない?」
「あ、う、うん」
三人一緒じゃないお風呂。身長も段々伸びてきて、確かに三人は狭いけれど、二人だと物足りない。
なのはに髪を洗って貰っている間、ぼそりとヴィヴィオは聞いた。
「ねぇ、どうしてパパはいないの?」
答えは返ってこない。鏡を見ても、そこにはニコニコしている母親の姿があるだけだ。
根元から先まで丁寧に梳いてくれていた指が離れると、シャワーの粒が顔を叩いた。
「その前に、少し『お話』しようか」
身体を洗い流して浴槽に入り、なのはを眺める。
養子とはいえ娘が一人いるとは思えないプロポーションだ。
嫌らしくない程度についた筋肉は、胸を支えるのに充分な力を持っている。
それでいて、ふっくらとした身体のライン。なるほど、ユーノが惚れるのも分かる気がする。
「フェイトちゃんも、他の皆も、揃ってママ達のことを『バカップル』なんて呼んでるけど、なんというか、否定できないんだよね」
たっぷりのシャンプーで髪を洗い始めたなのは。
いつものサイドポニーも可愛いけれど、下ろしているのも凄く綺麗。
ヴィヴィオが思う、なりたい女性像の目標そのものだった。
「昔はヴィヴィオを寂しがらせちゃったし、もうそろそろ『熱々』なのはいいかな、ってパパと決めたの。
今日の朝、『禁止!』って言われた時、普段も普通にしてようってパパと話してね。上手くいったかな?」
ヴィヴィオは答えなかった。何か、子供には分からない大きな意思がそこにあるような気がした。
続く言葉を待っていると、なのはは再び話し始めた。
「まだヴィヴィオには分からないかもしれないけれど、ママとパパの『愛の形』をね、ちょっとだけ変えてみようと思ったの。
いちゃいちゃしてるだけが夫婦じゃないんだ、静かに、でもどこまでも信頼しあえる仲ならそれでもいいんだよ、って」
自覚はあったのか。最初に抱いた感想がそれだった。
でも、次に来たのは、言葉にできない寂しさだった。
目の前にいるのに、どこか遠くにいるようななのは。ユーノも、同じように「何か」が違う。
「嫌がってたもんね、ママ達が騒いでること。だからこれからは──」
「違う!!」

声を張り上げたヴィヴィオが自分の怒号に気づいたのは、残響が浴室からすっかり消え去ってしまった後だった。
シャワーに手を伸ばしていたなのはが、はたとその動きを止めた。
言いたいことがまとまらず、頭を左右に何度も振るヴィヴィオ。
子供には分からない大きな意思なんて、初めからなかった。そんなものは、端から気にする必要がなかったのだ。
やがて叫んだ言葉は、心の底から出てきた。
「そんなの、勝手だよ!!」
湯船を思い切り叩きつけ、派手な水しぶきが上がる。
顔が濡れるのも構わず、ヴィヴィオは激情を吐いた。
「私のためでも何でもない! 変に気を使ってくれるなんてごめん!!
パパとママは、もっといちゃいちゃしてていいの! もっとお騒がせなパパとママでいて欲しいの!」
真っ赤になった顔であらん限りの声を張り上げるヴィヴィオ。
目をぱちくりさせながら、なのはは固まっていた。
とどめに一言、本当に心から、精一杯の気持ちを込めて叫んだ。
「私は、愛し合ってるパパとママが大好きなの!!」
ぜぇぜぇはぁはぁと、肩で息をする。
言いたいことを言い終った後、熔けた鉛を垂らしたような沈黙が訪れた。
目尻に涙を浮かべながらなのはを睨みつける。
止まっていた時計が再びその針を動かした時、なのはの手はヴィヴィオの頭に乗った。
「ありがとう」
それだけ。たったそれだけの一言が、猛っていたはずの心を鎮めていった。
自然な仕草で髪を洗い始めたなのはが、ヴィヴィオには手品か何かのように見えた。
「ママ……」
シャンプーの泡が残らず排水溝へと消えて、なのはが湯船に入ってくる。
一気に増えた湯嵩が湯船の縁を超えて、ざばざばと溢れ出した。
胸ですかか、胸の体積が原因ですか。
羨ましげに膨らみを見つめ、そして自分のぺたんこ具合を見ては嘆息していると、なのはの両手が頬に当てられた。
見上げると、そこには笑っている母親の顔があった。
「ありがとう、ヴィヴィオ。こんなママ達でも好きでいてくれて」
「そんなことないよ!」
負けじとヴィヴィオもなのはの頬を包み込み、うにうにと揉む。
なのはもまた、ヴィヴィオのほっぺたをうにうにと揉み返し、しばらく風呂の中で遊んでいた。
「ねえ、ママ」
「なぁに、ヴィヴィオ?」
身体も温まってきて、海月のように湯の中でたゆたう。
そっとなのはの側に寄っていったヴィヴィオは、耳元で囁いた。
「大好き、ママ」
ちゅ、と頬にキス。もちろん、後でパパにもしてあげるのだ。
そっとなのはの腕が伸びてきて、ヴィヴィオは抱きしめられた。
何よりも暖かい、母親の温もり。
できることなら、いつまででもそうしていたいくらいの安らぎが、ヴィヴィオを包む。
ヴィヴィオはずっとなのはに寄り添ったまま、その鼓動を聞いていた。

***

入れ替わりでユーノが入り、二人はなのはの寝室でベッドに入っていた。
他愛もないおしゃべりに興じていると、やがてユーノも風呂から上がって戻ってきた。
「あれ、今日はヴィヴィオ、僕らと寝るの?」
「うんっ!」
「甘えんぼさんだな、ヴィヴィオは。ママに似てきたね」
「うーっ、あなたってばもぅ」

いつの間に意思疎通できたのか、とっくに元のバカップルに戻っていた。
ありえない、何かの間違いではないのか?
──でも、まぁいいか。

「ヴィヴィオはね、パパも大好きだよ」
隣に潜り込んできたユーノに抱きつき、頬に軽くキスする。
久しぶりに川の字になって寝るのは、どこかワクワクさせるものがあった。
「パパもね、ママもね、無理しなくていいんだよ。ヴィヴィオは、ありのままのパパとママが好きなんだから」
天井を見つめたまま、ヴィヴィオは言った。
両親とも、「うん、うん」と頷きながら、その手をきゅっと握ってくれた。
こんなに暖かい家族は、時空世界を億千万集めたって、絶対にないだろう。
そんな確信を抱くのに充分なほど、流れる空気が楽しかった。
「そういえば、数学の先生凄かったねぇ。『君達の夢は、夢のままで終らせるな!!』って」
「そうだったね。あんな熱血な人、今時珍しいよ」
『夢は、夢のままで終らせるな』。まだまだやりたいことが沢山あって、その一つに「夢」を決めることは、まだできない。
でも、いつかきっと、目指すべき道が見つかるだろう。その時は、コロナやリオ達と一緒に夢を叶えたい。
「わたしの願いはもう叶ったなあ。ユーノ君のお嫁さん♪」
「僕もだよ。なのはの夫になれて、幸せだよ」
「あなた……」
「なのは……」

頼むから娘を挟んで両側で惚気ないで下さい。
凄くいづらいんです。

「クリス、やっぱり私、自分の部屋で寝ようかな」
困惑したデバイスが両親の顔を交互に見ていたが、何かを悟ったようにぱたりと倒れて動かなくなった。
オーバーヒートともいう。というかそうとしか言わない。
クリスずるいと言う暇もなく、両側から抱かれる。
惚気の続きかと思いきや、むしろ間逆だった。
「でも、一番はヴィヴィオだよ?」
「そうだよ。娘より大事なものなんてない」
笑顔の両親。ニコニコ顔の二人に、ヴィヴィオもまた笑みを浮かべる。
「ありがとう、パパ、ママ……」
眠りの天使がゆっくりと降りてきたようだ。
手を握り返して、ヴィヴィオはそっと目を閉じた。

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