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「また明日ね〜、バイバイ!」
帰り道。なのはと別れて自宅に着く。
手洗いうがいの後、アルフやリンディへの挨拶もそこそこに自室へと戻る。そして見つめるのは姿見。
鏡に映るのは、十一歳のフェイト。五年生に進級してから、もう半年近く経つのかと思うと、ちょっと感慨深い。
膨らみかけた胸も、どんどん伸びていく背も、フェイトが「子供」から「大人」へと進む確かな証だった。
そして、頭に手をやる。なのはから貰った、ピンク色のリボン。
今でも大切な宝物だし、なのはもまた、かつてあげた黒いリボンを毎日結んできてくれる。
けれど、いつかどこかの時点で、すっかりよれよれになってしまって使えなくなるだろう。
その時は、鍵の掛かる引き出しにしまっておくのだ。絶対に侵されない聖域で、想い出を永遠に保存しておくのだ。
そうして時々取り出しては、今を思い出して懐かしむ。きっとそれは、光に満ちていることだろう。
フェイトはもう一度鏡を覗き込んだ。ピンクのリボン。聖祥の制服。なのはと、お揃い。
くるりと一回転してみる。スカートの裾が柔らかく舞い、そうしてまた静かになった。
「今頃、なのははどうしてるんだろう?」
国語の宿題がどっさり出て、フェイトは物凄く憂鬱だった。漢字テストの追試記録四回は史上初だったらしい。
さっさと早く片付けてしまいたい一方で、はやての言葉が頭に引っかかって離れない。
『なのはちゃんにはユーノ君がおる。フェイトちゃんにはクロノ君がおる。アリサちゃんにはすずかちゃんや!』
違う。絶対に違う。クロノは兄だ。頼りになって、自分と同じ赤面症の気らいがある、そんな少年なのだ。
ちょっぴりブラコンなことは否定しないけど、それは恋愛的な意味での「好き」ではなく、あくまで兄弟愛の範囲内だ。
大体、クロノにはエイミィがいる。エイミィが……
「大体、か……」
では、恋愛的な意味で好きな男の子とは誰か?答えはもう決まっているけど、どこか認めたくない。
あの子のことを考えると頭がポヤポヤと温かくなって、顔がほんのちょっぴり紅くなって、息も鼓動も速くなる。
同じ教室にいることが、苦しくなってしまうくらい。
ちょっと前までは楽しいだけのはずだった日々が、急に息の詰まる想いをし始めたのは、何故だろう。
「私、なのはが好きなんだ」
自分の想いに気付いたのは、なのはとユーノが付き合い始めた頃。
仲良く、というかいちゃいちゃしている二人に、急に黒いモヤモヤが心を支配するようになったのだった。
それは、クロノとエイミィが仲良くしている瞬間にはないもので、
ユーノと二人きりになる瞬間を見計らってみたりもしたが、何事もなくいつもと同じ日常が流れた。
そう、なのはだ。なのはだけが、フェイトの心をざわざわと波立てる存在なのだった。何故? どうして?
女の子が女の子を好きになるだなんて、そんなこと有り得ない。何かがおかしい。
疑念を消すために、なのはから意図的に離れてみたり、逆にくっついたりしてみた。けれど、結論は同じ。
フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは、高町なのはに恋してしまった。しかも、なのはには恋人──ユーノがいる。
どう転んだって、ユーノを、既にいる恋人を奪ってまでなのはと恋仲になろうなどという発想はどこからも沸いてこなかった。
胸に手を当てる。トクントクンと波打つ心臓が、次第に高鳴っていくのを感じる。
と同時に、息がちっとも身体の中に入っていかないのが分かった。落ち着け、落ち着け。焦っても何も始まらない。
でも、呼吸が浅く速くなっていってしまう。
なのはの顔が脳裏に浮かんで、トクトクがドキドキに変わってきた。どうして、どうして。
「寂しいよ、なのは」
枕に顔を埋める。火照った身体を、冷たいシーツがじんわりと冷やしていく。でも、それも最初のうちだけ。
ベッドの真下で焚き木でもしてるみたいに、あっという間もなく生温かくなって、熱くなって、我慢できないほどになった。
なのはの笑顔がすぐそこに迫っているかのような妄想が脳内を占める前に、フェイトは起き上がった。
台所まで飛んでいって、水をコップ一杯に注ぎ込んで飲む。飲み干す。二杯。三杯。
水が口の端から流れて制服を濡らしても、まったく気にならなかった。
六杯目に手をつけた頃、アルフがやって来た。
「ちょっとちょっと、そんなに水ばかり飲んじゃお腹の調子をおかしくしちまうよ?」
サッとフェイトの右手を押さえる。その表紙にコップが手から離れ、足に落ちて中身を靴下にぶちまけてしまった。
アルフの顔を見ると、申し訳なさそうにしょんぼりしている。
フェイトは「アルフのせいじゃないよ」と言って頭を撫で、靴下を脱いだ。
「ちょっと、シャワー浴びてくるね」
洗濯籠に両の靴下を投げ込んで自分の部屋に戻り、下着や着替えをタンスから取り出し、風呂場へと向かう。
ガラリと開けたその場所は、いつもよりも乾いて見えた。おかしいな、お風呂場だっていうのに。
一糸纏わぬ姿になって、鏡の前にもう一度立つ。浴場の鏡は全身を映すのに少し足りなくて、膝から下は見えない。
下ろした金色の髪が、背中を覆うよう一杯に広がっている。
ちょっぴりジャンプしてみると、よく梳かれた馬の毛みたいにふぁさふぁさと鳴った。
なるほど、「ポニーテール」という髪型はここから来ているのかとフェイトは理解する。
シャワーを全開にして、髪を濡らす。そして、身体も。
しっとりと重たくなった髪の毛は支えているのが辛く、すぐに座ってその端を持ち上げた。
鮮やかな金色。地球のどこを探したって、こんな色合いは出まい。
金粉を塗りこもうが、金箔を貼ろうが、地球最高のコンピューターを使おうが、だ。
そんな金色はフェイトの密かな自慢だった。
アリサのそれはどちらかというとブロンドに近いし、シャマルのは似ているが、フェイトほど鮮やかではない。
ユーノは脱色したような栗色──そう、脱色する前ならちょうどなのはと同じ色。クラスの誰もが、フェイトの髪を羨む。
けれど、フェイトは誰にどんな賞賛の言葉を貰っても、決して満足を覚えることはなかった。
「なのはは、ユーノを選んだんだよね」
この髪が『好き』だと最初に褒めてくれた少女は、今違う少年ばかりを『見て』いる。
もう、あの娘は、フェイトを親友としてしか『見る』ことはないのだろう。彼女にとっての一番は、フェイトではなかった。
友達としては一番のままでいると、この身が引き裂かれようとも信じることができる。けれど、それ以上には……
「なのは、おめでとう」
口に出してみる。何度も何度も、なのはへの謝辞と礼を繰り返す。
闇の中にいた自分を救ってくれた相手に、感謝など尽きようもない。
だからこそ、その後に続く日常の中で、どんどん惹かれていったのだ。
最初は何か変だな、という程度の気持ちだったけど、それが恋慕だということに気が付くまで、幾ばくもかからなかった。
でも、その時にはもう遅かった。なのはとユーノは付き合い始め、はやて情報網曰く、もう相当深い仲になっているらしい。
それ以上聞くと確実に卒倒してしまいそうだったので、大人しく諦めた。
「ま、フェイトちゃんになら特別サービスしたるで」と言っていたのをはっきりと覚えている。
とはいえ、決定的なシーンを見たとしてそれが何になるのか。きっと、ますます空しさが募っていくだけだろう。
フェイトは身体と髪を手っ取り早く洗うと、浴槽に目をやった。
まるでこうなることを初めからアルフは予期していたのか、何故か蓋を開けると、
湯船からは湯気がもうもうと立ち込めてきた。
周囲のありとあらゆる叩き上げによって、アルフも相当家庭的になっていたのだったと、フェイトは今更痛感する。
「ありがとう、アルフ」
ざばりと風呂の中に入って、そのままぶくぶくと鼻先まで浸かる。
汗と疲れがじんわりと染み出して、お湯に溶けていくようだ。
すぐに、フェイトの頭からは思考能力が奪われて、ふにゃりと身体を柔らかく折る。
次から次へとなのはの顔が浮かんでくる。
笑っている顔、泣いている顔、怒っている顔、寂しがっている顔、慌てている顔、意地を張っている顔。
一つずつ、泡のように浮いてはパチンと割れていく。
一つ泡が割れる度に、お湯の温度は一度ずつ上がっていくようだった。直に沸騰して、フェイトは茹ってしまうだろう。
サッと立ち上がり、風呂から上がろうとしたが、そこで立ちくらみが起きた。
浴槽の縁に頭をついて、ハァハァと息を整えた。まったく、自分らしくないと笑った。
「どうだった?」
さっぱりした身体でアルフが出迎えてくれる。瓶に入った牛乳を差し出すので、受け取ってゴクゴクと飲んだ。
もちろん腰に手を当てて、だ。珍しくはやてとアリサの意見が完全一致したので、日本の風習に違いない。
だが、風呂上りの水分補給は欠かせないとはいえ、ちょっと水っ腹気味だ。食事時までに排出できていればいいのだが。
一方で、これが幸いして、なのはのことを考えずに宿題に集中することができた。
──しかし、追試確定の漢字テストを回避することはできそうになかった。

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