アルピーノ家に招き入れられ、お茶を飲む。
「あったかいね」
 身体の芯まで染み込んでいきそうだ。
「さっきの話の続き、聞かせて」
 エリオもキャロも、ルーテシアが外部との連絡手段を事実上持っていないことを知っていた。だから、外で何が起きているのかに並々ならぬ興味を示しているのは自明すぎる話だった。
「どうして、二人はここにいるの?」
 キャロは話し始めた。自分たちが今ここで仕事をしていること、その仕事の内容。できるだけ細かく、できるだけ詳しく。話しても話しても、朝までずっと口を動かし続けても、まだ語りつくせないくらいにいっぱい。
 それだけでなく、現実に起きている事件のこともいくつか話した。フェイトの失踪、そして発見。そこまでに至る経緯のうち、機密でない事項。友達になった人には、全てを知ってもらいたい、と。
 話はやがて、今日のことに移った。
「それで、さっきはエリオ君が」
「あ、それは……っ!」
 今度はエリオがキャロの口を押さえる番だった。
「それは、秘密。あはははは……」
 普段は大人しいのに、話し出すと止まらないキャロの性格。これは少し直す必要があるんじゃないかと、ぼんやりエリオは思い始めた。
「お茶、もう一杯どう?」
 お代りを淹れてもらい、少し飲んだ。
「……あら」
「どうしたのさ?」
 ルーテシアが角砂糖の壷を覗き込んで、ため息をついた。
「砂糖がなくなっちゃったの。エリオ、ちょっと手伝ってくれる?」
 エリオの手を引いて、ルーテシアは立ち上がる。
「あっ、ちょっ……」
 キャロの声が聞こえたが、それに反応する暇もなく、エリオはルーテシアに連れられて、部屋を出た。

 そして辿り着いた場所は、およそ角砂糖などというものが保管されていそうにはない空間だった。
「ここ、ルーの部屋じゃないのか?」
 レースのカーテン。くまのぬいぐるみ。ピンク色のカーペット。
 ルーテシアも意外と普通の女の子だったのか……と感慨に耽る間もなく、ルーテシアがくい、と袖を引いてきた。
「ここ、座って」
 椅子を差し出され、そこに座る。
「で、これはどう見ても角砂糖を取りに来る場所じゃないんだけど?」
 かなり単刀直入に聞いたつもりだったが、ルーテシアはもっと単刀直入だった。
 一言で、息から何から、完全に動きを止められてしまった。
「エリオは、キャロのことが好きなの?」
「えっ」
 一瞬、ずるいと思ってしまった。それだけ、投げかけられた質問は絶妙かつ的確で、更に言えばキャロがここで起きている限り聞かれないはずの質問だった。他の誰も、そんな質問はしてこない。フェイトでさえも。
 同年代の少女からの痛烈な問いかけに、一瞬、頭が真っ白になる。
「それは……その……」
「私は、エリオのこと好きだよ」
「えええええっ!」
 今度はうろたえてしまう。普段無愛想で無表情のルーテシアが、まさか自分に好意を持っているだなんて……
「ごめんなさい、嘘」
「……はは、やっぱりそうだと思ったよ」
 脱力感。ルーテシアが何を思っているのか、まったくもってさっぱり分からない。
「今、エリオも嘘をついた。だから、おあいこ」
「って、僕は嘘なんて──」
 言おうとしたことは全て、平坦な彼女の感情に遮られていく。
「嘘でしょう? エリオは、キャロのことが好きなの?」
 続けられる質問。
「さ、さぁ、どうだろうな」
 人に自分の気持ちを伝えるのがこんなに難しかったなんて、どうして誰も教えてくれなかったのだろうか?
 何となく気恥ずかしくなって、顔を背ける。どうして友達とはいえ、こんなことに答えなければいけないのか。
「っていうか、砂糖はどうなったんだよ。まさか、僕を連れ出すための口実だなんて言うんじゃ」
「そう、その通り」
「えっ」
 心地の悪い頭痛がしてきた。ルーテシアは何を企んでいるのだ。
「私は、今まで二人が一緒にいるところしか見たことがなかった。そして、今日も。だから、エリオ、あなたが一人になっている時に、どうしても言っておきたいことがあったの」
「言っておきたい、こと?」
 含みのある言い方。
 それは何、と聞く前に、ルーテシアはズバリ言ってきた。
「キャロが、可哀想」
「……っ!」
 ルーテシアの言葉が、胸を鋭く突いてきた。痛みさえ、覚えてくる。しかし、その理由が分からない。
「エリオは、キャロのことが見えてない。テスタロッサよりも大事なものがある。大事な人がいる。あなたは、それを知るべき」
 唇がぴくぴく震えているのが、自分でも分かる。いくらでも反論しようとしたが、しかしこれから言おうと思い立ったことは、全て嘘で固めたものになってしまいそうで、口からはヒューヒューという空気しか出てこなかった。
「図星、でしょう?」
 詰まる。チェックメイトだ。
 エリオは、ここからはもう逃げられないと悟った。
「あ、ああ」
 告白、というにはあまりに稚拙な言葉。それも、本人に対してではない。自分の内面を他人に──友達と呼んでいる段階の人間に──話してしまうことの、何と恥ずかしさの沸くことか。
 だが、次の言葉で素っ頓狂な声を上げる羽目になった。
「私は、二人のことを応援してる」
「へ?」
 ここに至って、間抜けな声を出す番が来た。まったく、休む暇もない。
「私にとって、二人は友達。エリオにとっても、私は友達、だと思う。でも、エリオにとってのキャロは違う」
「違う? 何がだよ。キャロは僕の仲間で、ルーは友達だ。それじゃダメなのか?」
「ダメ」
 一蹴される。
「テスタロッサと、私と、キャロ。三人の違い、考えてみたこと、ある?」
 違いといわれても、困る。
 フェイトは母親のようであり、姉のようであり、いずれにしても、荒んでいくはずだった心を救い、育ててくれた恩人であることには変わりがない。
 ルーテシアは、友達だ。母親がいないにも等しい──そう自分と似たような状況で、互いに響きあうところがあったのだろう。
 そして、キャロ、キャロはこの一年以上、ずっと行動を共にしてきた。公私の別なく、時には同じ風呂に入り……入らされ。
「ねぇ、キャロは仲間なの? 本当に、それだけ?」
 それだけ?
「例えば、キャロの手と私の手。握ったら、あなたはどうなる?」
 キャロの手を、握ったら……?

 ドクッ。

「うっ」
 心臓が、跳ね上がった。一体なんなのだ。さっきから自分を襲っている『これ』は。
「隣で寝てるなら、私とキャロ、どっちがいい?」
 そう聞かれて、否が応にも眠りこけているキャロを思い描かずにはいられない。
 無防備すぎるキャロの姿に、鼓動が加速する。現実がフェードアウトして、二人だけの世界が作られていく。
 この世界の隣にもう一人の少女がいることは、すっかり全神経から抹消された。
「……? エリオ?」
「わあっ!」
 寝耳に水。暗闇で驚かされたよりも酷い、別な心臓の跳び上がり方。
「なるべくなら、もうちょっとだけ静かに話しかけて欲しかったんだけど」
「何、言ってるの。私、随分とエリオに話しかけてた。どこかにトリップしてたから」
 トリップ。恍惚感。確かにその通りだ。今、空想の中にいるキャロを見つめていたのは、たまらなく素晴らしい気分だった。
「わかった?」
 ルーテシアが無表情に聞いてくる。どうやら、この女の子は単に感情が表に出ないだけのタイプらしい。頭の中を開けてみたら、さぞ沢山の感情が渦巻いているのだろう。
「な、何が──」
 言いかけて、言葉を切る。
「多分、今エリオが感じてるのが、『恋』。キャロを『好きだ』って思う気持ち、『大切にしたい』って思う気持ち」
「恋、だって……」
 そんなんじゃない、と声を荒げようとしたが、思いとどまった。結局、それはルーテシアに対するあてつけに他ならないと気付いたからだった。
 ごまかすのは止めよう。今までと変わったこと、これから変えていかなければいけないこと。
 そして何より、『友達』と呼んでくれた人を、裏切りたくはない。絶対に。
「分かったよ。僕は……僕は、キャロが好きだ。ただ」
「ただ?」
「今は、本当にフェイトさんが心配なんだ。キャロとか、どうとか、そんなんじゃなくて」
 せめて、目が覚めてさえくれれば。また、笑いかけてさえくれれば、それだけで良かった。
「なるほどね、うん、分かった。じゃあ、私と約束して?」
「約束?」
 珍しい発言だった。何を約束すればいいのだろうか?
 ルーテシアの目が、動いた。
「友達として、私と約束して。キャロを護る、って。キャロの手を絶対に離さないって」
 顔こそそれほど変わらないが、出してくるオーラは真剣そのものだった。とてもとても、中途半端なことなど言える訳がない。言えるはずもない。
「ああ、約束する。絶対にだ。その代り僕とも約束してよ。いつか絶対、三人で出かけよう。キャロとルー、二人だっていい。必ず、僕たちの街を目と耳で知って欲しいんだ」
 エリオは手を差し出し、ルーテシアもそれに応える。
 『友人』としての、最高最大の盟約。固く交わされた握手が、その全ての証左になるだろう。
「ところで、エリオ」
「なに?」
「実際、砂糖はもうないの。運んでくれる?」

 砂糖の入った袋は、訓練を積んだエリオの敵ではなかった。
 サッと運んで、容器へ移す。
「ありがとう、エリオ」
「これくらいなんでもないよ」
 そしてキャロの待つ部屋に戻ると、どっこい本人は膨れていた。
「エリオ君、ルーちゃんと何をしてたのかな?」
「え、僕らはただ……」
 エリオが答えきる前に、ルーテシアがボソッと言った。
「秘密」
「ちょっ、ルー、そんな誤解されるようなこと!」
 果たして、キャロには誤解されて伝わった。
「ちょっとエリオ君、詳しく説明して」
 こめかみに見たこともないものが浮かんでいたが、エリオはそれを直視する勇気はなかった。
 一方のルーテシアは、それが唯一の娯楽であるかのような表情で二人の痴話喧嘩を見守っていた。

***

 メイベル大提督の許に、静かながら捜査のメスが伸びている、そのことを知らずに済むほど、甘い人物ではない。
「ギース、ギース!」
 イライラした口調で腹心を執務室に呼び出すと、彼に命令する。
「既に現段階のデータはある程度揃った。計画は前倒しだ。奴ら、もう私たちの行動に気付いている。どうせ後はしっぽを掴まれるまで腹を探られるだけだ。執務官を目覚めさせろ、管理局に楯突くことが如何に無意味であるかを、全世界に知らしめてやるのだ」
 ギースは一礼し、部屋を出て行く。後姿を見送りながら、メイベルは髪を振り乱した。
 デスクに元機動六課のデータを表示し、悪態をつく。
「八神……第九十七世界の最高ランク魔道師。それに、ランスター……奴の元部下。たった二匹の狗に、私の計画を邪魔されてたまるものか。この世界は、管理局こそが全て。そしてその為には、我らが公安部こそがより強い実権を以って強硬に事に当たらねばならんのだ。だというのに……非魔法世界のひよっ子が、どうしてああも早く地位を上りつめなければならんのだ、それとも遺失物管理部はそれほど無能者の集まりなのか?」
 ペンをカチカチと机に何度も押し付けながら、終りのない独り言は続く。
「待っていろ、明日にでも証明してみせる」

 その夜、またオールドミラー発見の通報が相次いだ。


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