時空管理局の朝は早く、夜は遅い。部署によっては、交代に交代を重ね、数週間もの長きに渡って明かりが落ちないこともある。
 その任務が一つ終ってから三日が経ったが、未だにオールドミラーに関する情報収集は芳しくなかった。
「こんにちは、フェイトさん」
「こんにちは」
 一方、任務とは別の意味で賑やかな場所があった。フェイト・テスタロッサの病室だ。
 エリオとキャロは、毎日足しげく通いつめている。いつ目覚めるとも知れない大切な人の、そばにいたいから。
「フェイトさん、今度僕たちは無人第三十四世界に行くんですよ。ルーテシアがいて、動物たちがいて、沢山の鳥がいて──」
 話しかけて、何がどうなる訳でもない。何とか峠は越え、面会が許されるようになったが、未だ意識は戻らず、昏々と眠り続けている。まるで、魔法でもかけられたかのようだった。
「シャマル先生は、近いうちに目が覚めるだろう、って」
 キャロが、自分自身に言い聞かせるかのように、力強く話す。
「ね、フェイトさん、早く僕たちを見てよ。僕たちとまた笑ってよ」
 そうしてエリオは、ポケットから小さな石を取り出した。今は無人となっている次元世界の打ち棄てられた鉱山からこっそり持ってきた、エメラルドの原石だった。
「早く元気になってね」
 その後、取り留めのないやり取りをして半時ほど過ごすのが、この三日で新しく定着した日課だった。
 そして見舞いを終らせ、エリオはフラリとその場を去った。夢遊病患者のように、どこへともなく歩き出す。
 階段を昇り、白いカーテンをくぐり抜けて、病院の一番高い場所までやってきた。
「僕は……」
 夢を、見ているようだった。
 フェイトが行方不明になったのも、見つかったのも、そして今意識を戻していないのも、全てが幻のように思えてくる。
「ほら」
 病院の屋上で、ちぎったパンくずを小鳥に投げながら、一人佇む。何もない場所で、何もないまま、ただ静かに過ごしたかった。
 平和が、欲しかった。そしてそれを作り出しているのが自分だと、入局してからずっと心に刻んでいることが、重かった。潰そうなほどに、重かった。
 物干し竿いっぱいにかけられたシーツが、風に揺られてはためいている。夕方には誰かに取り込まれるであろうそれを、ずっと眺め続けるのは、何となく気持ちのいいものだった。
「全部真っ白に、元に戻してくれないかな」
 機動六課にいた頃が、たまらなく懐かしい。頼りになる隊長たちがいて、少しだけ年の離れた仲間がいて、そして、同い年の親友がいて──
「なんで」
 呟きが、虚空に消える。
「フェイトさんだったんだろう……」
 誰にも届くことのない疑問は、風に乗ってどこかに飛んでいった。
 いや、むしろどこへでも飛んでいって、誰かに聞いて欲しかった。
「エリオ、君?」
 ドアが開くと共に、キャロの声。屋上の端っこでフェンスと戯れていたから、ちょうど大量のシーツに遮られてお互いの姿は見えない。
「どこに行ったの? エリオくーん」
 だんまりを通す。別にキャロに会いたくない訳でも、この場にい続けたい訳でもない。ただ、一人でいたかった。そしてたまたま、この空間がまさしくその目的にぴったりだった。
「……くーん! エリ……ーん」
 ドアの閉まる音がして、キャロの声が遠ざかっていく。それで良かった。これで、もうしばらくの間一人になれるのだから。
「どうして、フェイトさんだったんだろう……」
 それが呟きという名の叫びだということに気付くまで、大分時間が掛かった。

「え、オールドミラーを発見した?」
 ティアの元に緊急速報が入ってきたのは、その夜のこと。
「ええ。職員の通報で、今度はミッド北部の町外れに出没したそうです。今、正確な座標を特定しています」
「よし、行くわよ。その街に行く途中で座標が分かったら、クロスミラージュの方に送ってちょうだい」
「はっ」
 はやる心を抑えて、今一度クロスミラージュ──スバルと別々になった今、最大の相棒といえばこのインテリジェントデバイスだ──の動作を軽く確かめる。全ての元凶を潰し、真実を確かめるため、戦わなければいけない無機なる相手。そしてその背後にいる人間。
 オールドミラーの破壊は、決してゴールではない。その先にある思惑、秩序を乱す計略を画策した者を逮捕することこそが、ティアに課せられた社会への義務だった。

 だが、現場付近に着いた頃。
「……ロストした、ですって?」
「はい……しかしつい先刻までは確かにあの場所に」
 本当に、百メートルと離れていないはずだった。だが、魔力の痕跡一つ残っていない。
「この前はあんなに大量に魔力を撒き散らしてたはずなのに……何事なの?」
 念のためにも、付近を捜索する。公園の原っぱから、集会所のゴミ箱まで、あちこちくまなく調べたが、オールドミラーはおろかロストロギアらしい反応すら、まったく見当たらなかった。
「また『改造』されたりしたのかしら? じゃなきゃ、幻影魔法か何かなの?」
 首を傾げるティアに、次の連絡が入る。
「ミッド南部にもオールドミラーらしきものを見たという通報が!」
「えっ?」
 まるで反対側。通報を受けて駆けつけるまでの時間で、そんなに長距離を動ける訳がない。
「そんな、どうなってるの?」
 まさか、と嫌な予感が頭をよぎる。瞬間移動の古代魔法でもあるのならば話は別だが、そうでないとしたら。
「どっちかは偽物、ってことね。それじゃ、片っ端から探しまくるわよ、増援を呼んできて」
 今できることは、本物を探し出して早期に叩くこと、それが最善に思われた。
 その次にすべきことは、このような現象が起きた原因を、無限書庫を駆使して突き止めることだと、こちらは確信できたのだった。

***

 ミッドチルダから遠く離れた次元世界、第三十四無人世界、通称をマウクラン。
 自然保護隊の、次なるキャンプ地だった。
 今回は小型の連絡船で「海」をしばらく航行しなければならない程の距離だった。そしてここには、何の因果か偶然か、はたまた誰かの計らいか──本当にそうなのかは分からないが──ルーテシアとその母親、メガーヌが隔離されている館があった。が、そんな場所まで大々的に容易く行かせてくれる訳がない。
 保護隊は、たった二人しか住んでいない世界での生態調査を始めた。彼らから遠く離れた野生の空間では、未だ人間の知らない生物がごまんといて、そこでは人間の方こそが邪魔者なのだ。

 今日は昼間勤務。小春日和の中で、今日も仕事に勤しむ。
 と、ガサガサと物音がした。人のものではない。
「わ、わっ……っぷ」
 エリオが叫び声を上げそうになって、慌ててキャロはその口を手で塞いだ。
「だめだよ、驚かせちゃ」
「ご、ごめん」
 キャロはクスクス笑うと、その手を離した。
 草陰からのっそりと出てきたのは、ゾウとカバをあいのこにしたような動物だった。見るからにおとなしそうで、牙も小さく、「可愛い」と形容できるものだった。
 オスなのかメスなのかもわからないその生き物は、辺りに生えている葉をもしゃもしゃと食べて、エリオたちを一瞥すると、またのそのそとどこかに歩いていった。
「どんな動物も、刺激しないで大人しくしてれば、食べられたりしないよ……お腹空かせた猛獣とかじゃなければ」
 エリオが「えっ」と震えたのを見て、キャロはまた笑った。それからしばらく、二人で笑いあった。
「さ、調査を続けよう。まずはさっきのから」
 そうして、二人はまた山の中に分け入って行った。

 夕方。
 勤務が終ると、ミラが妙に弾んだ声で話しかけてきた。
「お疲れ様、二人とも。ところで二人はルーテシアちゃんの友達なんでしょう?──書類の上では保護可能性生物を探してる最中に偶然、ってことにしといてあげるから、行ってらっしゃいな」
 タントにも同じようなことを言われ、気付いたらエリオはキャロと共に館のベルを鳴らしていた。
 キャンプからは歩いて一時間ほど。敷地は広く、門から玄関までまたしばらく歩くことになるのは、ご愛嬌というものだろう。普段は役人風情の職員と一緒で、まるで塀越しの面会みたいなものだったが、今回はそうではない。
 初めて、誰もいない水入らずの時が過ごせるのだ。そう思うと、自然と心が高揚してくる。
 ルーテシアは、子供ながらとはいえフェイトと違いほぼ自発的にスカリエッティ事件に加担してしまっている。しかし管理局側に協力的な態度を示し、また反省もしている様子から、隔離という名の保護観察──決して、逆ではない──処分を下され、現在に至っている。
 エリオとキャロなどは定期的に会いにきているが、それは毎日という訳にもいかない。というのも、仕事だってあるし、あまり頻繁すぎると内通者と思われる可能性があって、却ってルーテシアの保護観察は解除されないかも知れないからだ──と言われた。
 だから、この度の訪問はなるべく内密に済ませたかったのも事実だし、それを手伝ってくれたミラには、後でたっぷりお礼を言わなければならない。
 チャイムに不審そうに出てきたルーテシアは、自分たちの姿を見た途端、身体を硬直させた。
「……! どうしたの、二人とも突然?」
 心底驚いた顔で、キャロと自分を見つめてくるルーテシア。いつもなら必ず事前に通達が行くだけに、彼女の目は大きく見開かれ、これが夢幻ではないかと疑っていた。
「と、取り敢えず中に入って。お茶、入れるから。そしたら、詳しく教えて。どうして二人がこんな風に『来れた』のか」


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