「ママ……」
 雛子の母親が出張にでてからこの三日、雛子は暇と寂しさを持て余していた。ちょっとは遠慮して佐菜の家に上がっていなかったが、そろそろ独りでファミレスに行くのも飽きた。
「よし!」
 その日雛子は、料理を作ろうと決意した。
 それは木曜日のことで、次の金曜日は、もちろん授業があった。

 佐菜は面食らった。突然雛子が押しかけてきて「料理を作る」だ。毒物入りカレー事件に遭遇してしまった身としては、是が非でも雛子の料理は断固拒否したかった。
「食べなさい」
 佐菜に拒否権はなかった。
「大丈夫よ、今日は味見したから」
 毒見の間違いじゃないかと佐菜は突っ込みたくなったが、ひとまず雛子がピンピンしているから、多分大丈夫だ。
「それでね」
「なに?」
 訝しげな視線を雛子に投げると、小さな女の子は言い放った。
「ひょ、評価してほしいの」
「評価?」
 佐菜がオウム返しに聞くと、雛子は無い胸を張って宣言する。
「アタシの料理、まずかったらまずい、ってハッキリ言って。どこがどうまずいのか」
「どうしてまた……?」
 佐菜が訳も分からずに聞き返すと、『佐菜には関係ないでしょ!』と言う。どう考えても関係の一つや二つがあると思った佐菜だったが、大人しく従った。
 目の前にあるカレーを感触しない限り、雛子は帰ってくれないだろう。
「まぁ、見た目は悪くないけど」
 盛り付けに関しても、流石は女の子といったところか、まともだ。しかし、味の方はどうか。
「二次元には見た目は良くても味は最悪、というパターンは珍しくないぞ」と佐菜は心の中で覚悟を決め、最初の一口をスプーンにすくった。

 普通のカレーのはずだが、それはまるでスープのようにサラサラと流れていった。

「雛子、ホントに味見したのか?」
「え、ええ。でもちょっと味が濃かったからお水を……」
 間違いなく、それが原因だった。
「あのな、薄めたり濃くしたりしたら、その都度味を見て調整しなきゃダメだろ。
このスープカレーもどき、ちゃんと味見したのか?」
「ううん……」
 『ハッキリと言え』と雛子自身が言ったのだから、佐菜も心を鬼にした。
 一口食べると、やはりというべきか、味が薄い。
「ひょっとして、シュウにでも食べさせるつもりだったの?」
「なっ、ななっ、なんでそれを!?」
「いや、分かり易いから」
 突然味の講評をしろと言われた時はとっさのことで頭が働かなかったが、ちょっと考えればすぐ分かることだ。
「自分で食べるだけなら何にも責任は取らなくていい。でも、人に何か作ろうって思ったら、それ相応のことをしなきゃ。僕を実験台にするのは構わないよ。振られてもシュウのために頑張る雛子の姿を見てると、応援したくなる。だからこそ、自分にできるだけのことはやりきらないと、後々になってから後悔するんじゃないかな」
 改めて考えれば自分だってコンビニ弁当の毎日で、たまに支給される麻緒衣の食事がオアシスと化している食生活だが、この際佐菜はその辺りの事情を棚に上げることに決めた。

 また一口食べる。味はひどく薄いが、ルーをちょっと加えれば何とかなりそうだった。
「ちょっときついことを言ったと思うけど、『言え』って言ったのはそっちだからね?」
 見上げた雛子の目尻には涙が浮かんでいた。口を開きかけたたが、何も言わずに真一文字に結びなおして、力強く首を縦に振った。
「今に見てなさい、必ずアンタをギャフンと言わせる料理を作ってやるんだから!!」
 目的がすり替わっているような気がした佐菜だったが、せっかくのやる気に水を差すのもどうかと思い、敢えてそのままにしておいた。
 雛子はカレーのルー部分だけを鍋に戻し、火にかけて、新しくルーを投入しなおした。慎重に少しずつ加え、何度も味見をして、ちょうどいいタイミングで火を止めて、再度佐菜に出した。
「これで、どう?」
 佐菜はもう一度食べると、指で小さく丸を作った。
「ただ、まだ『取り敢えず食べられる』ってレベルだから。それは分かるよね?」
 いつになく厳しい意見。だがそれはひとえに雛子本人のため。
「うん……」
「シュウ好みの味は知ってるから、雛子が上手くなるまで付き合うよ」
 勢いづいて佐菜に迫り、意思を宿した瞳で何度も頷く雛子を見送ったのは、それからすぐのことだった。
(でもあのカレー、最初食べた時豚肉がちょっと生だったな……まぁ良いか、死にはしないし。さて、今日はG線を攻略しなきゃ。延期に次ぐ延期、やっとこの日が来たぞ!)


 次の日、佐菜は学校を休んだ。寄生虫入りカレー事件の被害者として。


 事情を知っているただ一人は、とても申し訳なさそうな顔をしていた。見舞いに行った修輔の話によると、PCを前に瀕死の姿で転がっていたらしい。点滴一つで治ったのは、まさに生命の奇跡だった。
 しかしそれが功を奏したのだろうか、ものの一週間で雛子は佐菜を満足させられるだけのカレーを作った。佐菜にしてみれば、金曜日を除く毎日がカレー曜日だったから、げんなり加減も限界に来ていた。
「うん、これならシュウも喜ぶと思うよ。凄いね、こんな短期間でここまで成長するなんて」
「アタシは天才よ。レディーたるアタシが料理の一つも作れないなんてありえないじゃない。今までがウソだったのよ、ウソ。そうでしょ、佐菜?」
 有無を言わせない強引な論理展開に、思わず佐菜も同意しかけたが、流石にそれは負けた気になったので反論した。
「頑張ったのはアタシ。佐菜は横で文句言ってただけ。っていうか佐菜、自分で料理作れないでしょ。お姉さまに教わった方がもっと早く上達できたかもしれないわね」
 言わせておけば、と佐菜は叫びたくなったが、所詮は小学生の発言なんだから、と頑張って自分を押さえ込んだ。
 雛子のわがままに付き合っている分、僕はお前より頑張っているんだ、雛子──佐菜はそう思った。
「まぁ、これならシュウに食べさせたら絶賛すると思うよ」
 そう言ってやると、雛子はパァッと目を輝かせて、ガッツポーズを作っていた。明日が楽しみで仕方が無いのだろう。
「それじゃ、シュウん家に電話しとけよ。『明日は弁当作っていくから』って」
「わ、分かってるわよ」
 傍目にも雛子は舞い上がっていて、本当に電話するのを忘れないだろうかと、心配する佐菜だった。

 だが、ここで思わぬアクシデントが発生した。『雛子=佐菜の通い妻』説だ。
 背びれに尾ひれ、胸びれ腹びれ尻びれと噂の大バーゲンだった。
「日高佐菜が持田雛子と付き合ってるんだって」
「えっ、あの小学生で転校してきたっていう天才の持田雛子?」
「そうそう。あいつのことは良く知らなかったけど、ロリコンだったんだな」
「ちょっと待て。俺は佐菜が雛子を地下に監禁して雛子ちゃんを調教してるって聞いたぞ」
「うっは、マジかよ? しんじらんねー」
「マジマジ。確かな筋からの情報だぜ?」
「うわー、日高君って変態だったんだ……」
「近寄らない方がいいわね、妊娠しちゃう」

 ロリコン(ついでに変態)疑惑が晴れるのは、相当先のことであることを、まだ佐菜は知らない。
 しかも……

「雛子を地下室に監禁して調教だぁ!?」
「そうそう、今話題沸騰の噂だぜ」
「監禁も何も、今そこに雛子がいるじゃないか」
「そこなんだよな、っていうかありえないよな? お前が好きなのは菜々香だし」
「しゅ、シュウ……」
 『でもわがままな雛子にはおしおきするくらいなら』と発言したのが運の尽き。「鬼畜ロリコン」が、日高佐菜の代名詞になってしまった。

 週末、家に帰った修輔を迎えたのは朱里ではなく、どうした訳か雛子だった。
「お帰りなさい、修輔さん」
 選挙活動のなんちゃらで父親は外、義母はどうせ他の男と遊んでいる。そういえば、朱里も「あさみの家に泊まるから」みたいなことを言っていたような気がする。
「あ、ああ」
 しかしながら、どんな事情が家にあっても、雛子が料理を作るという展開は想定の範囲外だった。

「今日は修輔さんの家に誰もいないというので、料理を作りに来ましたわ」
「へ、へぇ……」
 先週の金曜日を、イヤでも思い出す。
 佐菜のぐったりした腕は、もう二度と動かないんじゃないかと思ったくらいだった。
「大丈夫です! 佐菜にコーチしてもらって、修輔さんの口にぴったりな料理を勉強してきましたから」
「佐菜にコーチ?」
 雛子が事情を説明すると、このところ学校中で話題だった噂の真相が段々掴めてきた。
「なるほどな……料理の実験台に佐菜を使って、それが変に広まった、と」
「ええ」
「だけど、オレは言ったはずだ。オレはお前とは付き合えない。もちろん、他の誰とも付き合うつもりもない。……『今は』だ。オレの気持ちに整理がつけば、その時は誰かを好きになったり、或いは付き合ったりするかもしれない。その時までは、何もお前の気持ちには応えてやれないからな?」
 決して、雛子が小学生であることを軽視しない言葉。
 だからこそ、雛子は今までより強く、修輔に惹かれたのだ。
「分かってますわ。けど、アタシが修輔さんのために料理を作りたいの。
今日はお一人のようですし、それくらいはいいわよね?」
 修輔にとっても、温かい食事が運ばれてくるのは決して悪いことではない。向こうから作りに来てくれているのだから、と雛子に任せることにした。
「大丈夫、大丈夫……」
 念仏のように唱えていたのは、幸いにも修輔には聞こえなかった。

「ど、どうかしら……?」
 ごくり、と雛子が唾を飲み込む音がする。必死の形相で見つめている姿が、どこかおかしい。……そうやって見つめられると、かえって食べづらい。
「なぁ、普通にしててくれないか? なんかこっちが緊張するんだが……」
「えっ、あ、ごめんなさい」
 修輔の前になると、途端に素直になる雛子。
 一歩退いて、カレーを口に運ぶ修輔を見守る。
「どう……?」
 修輔は答えない。代りに、何度もスプーンを動かして、深皿に入ったカレーを平らげていった。
「おかわり」
「え?」
 雛子は素っ頓狂な声を上げた。全部食べてくれれば良し、くらいの心構えだったから、まさか空の皿を突き出されるとは思いもしなかったからだ。
「だから、おかわりだよ。まだあるんだろ?」
「え、ええ。もちろん!」
 カレーは沢山作った方が良い、とどこかに書いてあったし、自信があったから四人前くらいは作っておいた。そのはずなのに、修輔が何度もおかわりをするのは、雛子にとって嬉しすぎる誤算だった。
「ふぅ、食った食った」
 結局、雛子の分を半人前分くらい残して、ご飯もカレーもなくなった。実は味噌汁もあったにはあったが、味噌汁とは思えない異臭を放っていたので、諦めざるを得なかった。
「ありがとな」
 心からのお礼に、雛子は顔を真赤にしてどぎまぎする。
「いっ、いえ、アタシはただ……」
 言葉に出来ない。でも、どうしようもない。
「よし」
「え?」
 修輔は、冗談のつもりでなく、真摯に言った。
「もし、俺が誰かを好きになれる日が来たら、雛子、お前のことを一番に思い出すよ」
「え、それって……」
 それ以上は何も言わず、修輔は雛子の頭に、手をぽんと置いた。
「カレー、美味かったぜ。またいつか、作ってくれよな」

 雛子は、小さい身体を元気一杯に動かして、大きく頷いた。

 その頃。
「私というものがありながら……佐菜、小学生の女の子に手を出すなんて、鬼畜!」
「ご、誤解だよ菜々香。ね、話し合おう。ウソじゃない、僕は……」
「問答無用!」
「があああっ、お、折れるぅ……」
 菜々香は、その道のプロもびっくりのアームロックをかけていた。
「そ、それ以上やったら佐菜ちゃんが壊れちゃうよぉ〜!」
 惣菜を作って持ってきた麻緒衣が途中で止めに入っていなかったら、本当に佐菜の骨が折れるところだった。
「大丈夫、佐菜ちゃん? ケガはない?」
「だ、大丈夫だけど……」
「もう、菜々香ちゃんも女の子なんだから、佐菜ちゃんにあんまり乱暴しちゃダメだよ」
「ご、ごめんなさい」
 二人より一つだけ年上の少女は、その後たっぷりと小一時間かけて、菜々香の誤解を解いた。
「でも、佐菜ちゃんも、菜々香ちゃんにやきもち焼かせたらダメだよ?」
「なっ、なななっ……」
 爆弾発言。
 菜々香は顔を真っ赤にしたり真っ青にしたりと忙しく口をパクパクさせて、しばらく固まっていた。

 一方星野家では。
「朱里、大好き」
 あさみが朱里を襲っていた。
「え、まさか……あさみ、もしかして」
「うん。私、朱里のことが好き。誰よりも大好き。……愛してる」
「で、でも女同士でこんなこと……ひゃぁっ」
「女同士だなんて、それは些細なことよ。さ、私に任せて」
「あぅっ……」
 朱里がぐったりとする頃、逆にあさみはツヤツヤの肌だった。

「おはよう……あれ、朱里、どうしたの? げっそりした顔して」
「佐菜こそ関節技かけられたような顔してるじゃないの、何があったのよ?」
 残念ながら、お互いに話せることは何もなかった。
「佐菜」
「なに?」
「あさみのこと、どう思う?」
「え、どうって言われても……それより、最近の菜々香って……」
「菜々香?」
 佐菜には、朱里の真意が図りかねた。
 朱里にも、佐菜が何を言いたいのか、分からなかった。
 その時、チャイムが鳴った──
「おっす」
「おはよう」
 ギリギリに間に合うよう修輔と雛子が同時に登校してきて、クラス中の目が二人に集まる。
 修輔と朱里ではなく、修輔と雛子。不思議な取り合わせのようで、どことなくマッチしている二人。
 しかも、揃って遅刻寸前とは、まさか。
「……シュウって、ロリコン?」
「お前と一緒にするな!!」
「僕もロリコンじゃないってば!!」

 佐菜と修輔が同時にロリコン認定されたのは、よりによって柚希先生がHRで「そこのロリコン二人、私語は禁止」と冗談を飛ばした瞬間からだった。


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