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「緊急事態、緊急事態! 速やかに局員の指示に従って避難して下さい。

これは訓練ではありません。繰り返します、これは訓練ではありません!」
大量の埃が舞う中、ヴィヴィオは這うようにして目の前にある部屋の入口へと向かった。
吹き飛ばされた上階から、人とも物ともつかない何かが窓の向こうで落ちていった。
填められた強化ガラスは全てなくなっており、景色が晴れるよりも先にヴィヴィオは通路に出た。
「イクス? アインハルト? コロナ! リオ!」
くぐもった返事が聞こえてきたが、誰がどこにいるのやら判然としない。
霧中で掴んだ腕はアインハルトのものだったが、他の人は悲鳴と二度目の轟音で見失ってしまった。
部屋の中に入ると、視界が少しだけ晴れた。窓の向こうには誰もいないし、目立った被害もない。
とにかく何が何だか分からないまま、まずは外へ脱出することにした。
だが、そのガラスは嵌め殺しで、止まった空調のせいで熱と埃が溜まりつつあった。
「私が行きます。破片に気をつけて下さい」
彼女は深呼吸をして姿勢を整えると、気合と共に足を振るった。
砕けたガラスが陽光に煌めいて水晶のように煌めきながら吹き飛び、芝生に散らばる。
「状況がよく分かりません。なるべく体力は温存していきましょう」
靴先で窓枠に残ったガラスを払うと、足をかけてサッと飛び降りた。
ヴィヴィオもそれに続くと、背後でドアが蹴破れる音が聞こえた。
地面に着地して僅かにしゃがむと、その頭上を何かが通りすぎていった。
瞬間、頭から生温い液体が垂れてきて、目が見えなくなった。
「え? えっ?」
「ちっ、外したか」
背後で声が聞こえて、反射的にヴィヴィオは地面を転がった。
アインハルトが静かに姿勢を整えると、慎重に突き出てきたライフルの先端を蹴り上げて、持ち主の胸に強烈な掌底を見舞った。
もんどり打って後ろに仰け反ったフルフェイスの男は、後ろにいたもう一人を巻き込んで倒れ、
その隙にヴィヴィオはアインハルトから手を握られて走った。
「……!」
何を言っているのかは全然聞こえないものの、イクスヴェリアの緊迫した声が聞こえた。
端末が緊急のアラームを鳴らし、いくばくかもしないうちに停止する。
逃げる道すがらポケットから取り出してみると、それは既に圏外を表示していた。
エントランスの反対側から逃げようとして走っている途中で、ヴィヴィオは急に肩を引かれて草むらに叩き込まれた。
アインハルトを見上げると、姿勢を低くして唇に指を当てていた。
何人かの男達が目と鼻の先を走っていった。
その先にもまた、男女関わらず特殊部隊みたいな服を着ている連中が、口々に何かを言い合って去っていった。
ふと上を見ると、巨大な銀色のボールが空に光った。浮かんでいるのか、落ちてきているのか、考えている暇はない。
とにかく、アレは危険なものだ。
今度はヴィヴィオが向こう見ずにアインハルトの手を取って走り出し、手近な入り口へと駆け込む。
階段のすぐ傍にあった非常ドアを押し開けて、ひたすらに薄暗いエレベーターを全力でボタンを叩き、降りていった。
「ん、何だ? 引いていくぞ」
「陽動部隊では? 通信を早く回復させて本隊に合流し──」
「ちょっと待て! あ……れ……は……総員退避、総員退避ィーッ!」
エレベーターが閉まる直前、局員の部隊がそんな会話をしているのを壁の向こうで聞いた。
「早く!」と叫んだが、果たしてその声が届いたのか分からない。
そうして、地下三十階か、四十階か……エレベーターで来れる一番下の階に着いて、
目の前にあった階段を三段飛ばしで降りて、慌てて足を踏み外した身体をアインハルトが抱えたまま転げ落ちていくと──
耳を聾さんばかりの轟音と振動が二人を襲った。
「きゃぁぁっ!」
咄嗟にアインハルトが身を挺して守ってくれたお陰で、深い傷は負わなかった。
その代り、アインハルトも全身に切り傷や打撲を作っていて、見ているだけで痛い感覚が二の腕に走った。
互いの髪がバサバサと揺れて、破れた布地から素肌が見えた。
薄暗い空間のあちこちから、陽光が差し込んでいる。
おかしい、ここは地中深くの場所で、太陽の光なんて届かないはずなのに……。
見上げた瞬間、黒色の後翼を身に纏った女が、空を飛んでいた。
相手がこちらに気付くよりも早く、アインハルトが手近にあった石を握って投げつける。
ドン、と鈍い音がして、女の脳天に石が当たった。羽は露と掻き消え、そのまま瓦礫の上へと落ちる。
高度が低かったから死にはしなかっただろうが、骨の一本や二本は砕けただろう。
改めて見回してみると、管理局の建物があった場所には、何もなかった。
元々が何だったのか分からない塊があちこちに転がっているだけの、極めて殺風景な空間。
草の一本も生えていない。平らな砂漠に迷いこんでしまったようだった。
「まだ生き残りがいたか……死ね!」
太陽を背にして、銀色の羽と黒い影が突っ込んでくる。反応できる限りの一瞬でクリスを起動させたが、防御が間に合わない。
と、急に視界から横殴りに彼が消えた。金髪のバリアジャケットがふわりと降りてきて、「よかった……」と安堵した。
「フェイトさん!」
駆け寄ると、フェイトはあちこちから血を流していた。いずれも軽傷とはいえ、黙って見過ごせる程度のものでもない。
口を開きかけると、フェイトはヴィヴィオの肩に手を置いて、ゆっくりと首を振った。
「何も言わないで。それより、向こうに逃げて。他の人達もいるから」
ヴィヴィオは少しだけ顔を明るくした。顔見知りに会えるのが、まるで一年ぶりくらいの気持ちだった。
「パパとママは?」
「ユーノは一緒にいるよ。でも、なのははどこにいるか分からない。最初にいた時は森の訓練場だったから、今頃加勢に駆けつけてると思う」
有無を言わされず、フェイトはずんずん進んでいった。後を追うアインハルトも、覇王モードになって待機している。
時空管理局の詳しい構造は知らないものの、地下数十階を数える空間の更に下で、一体何があるのだろうか。
瓦礫の隙間を縫うように再び地下に潜る途中、ヴィヴィオは空を見上げた。
巨大なサラダボウルの底にいるようだ。土も岩も草木も抉られ、空から舞い降りてくるのは殺戮の天使。
第二撃が始まって地上が断末魔の叫びに包まれるのを耳にしながら、ヴィヴィオは更に深く下っていった。

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