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──私の胸で、泣いていいのよ。ね、キスして?──

「しまった、交信が途絶えてる……! いつのことだ、思い出せ。最後に僕らが話をしたのは……」
巴マミが昼寝から覚めると、珍しくキュゥべぇが焦っていた。
どうしたの、と聞いてもかなり忙しそうにしているので、深入りするのも躊躇われた。
時計を見ると、いつもより三十分も早い時間。マミはお茶を入れながら、キュゥべえが落ち着くのを待った。
けれど、中々話しかけるタイミングもないほど目の前のことに集中していた。
だから、朝ごはんが出来上がったタイミングを見計らって話しかけた。
「ほら、ご飯できたわよ。冷めないうちに食べちゃいなさい?」
それでようやく振り向いたキュゥべえは、何だかやつれているように見えた。
今度こそ「大丈夫なの?」と聞くと、彼はうなだれたまま答えた。
「僕らの『総体』──まぁ簡単に言えば母星と、連絡がつかなくなった」
「まぁ、大丈夫なの?」
「うーん、ここにいる『僕』が栄養に困っていない以上、個体として死ぬことはないだろうね。でも、総体としての『インキュベーター』は分からないな」
連絡手段が途絶えたというのは心中穏やかではないだろう。
ここからは見つけることもできないくらい、遠い場所から来たのだから、もしかすると帰れなくなってしまったのかもしれない。
それに元々、キュゥべえは感情を外に出したがらない。
オロオロし始めると、彼は珍しく微笑んでマミの肩に乗った。
「マミは気にしなくてもいいんだよ。それよりも、ご飯冷めちゃうんでしょ? さ、食べようか」
そう言って、淹れたての紅茶を舐め始めた。

でも、今日のキュゥべえは、何だかちょっと変な気がした。だって、いつもならこんなにいっぱい喋ったりしないのだから。
マミは、そんな日もあるだろうと受け止めて、朝食の準備を始めた。
今日の朝は、自分で作ったオレンジマーマレードでトーストだ。もちろん、紅茶の準備も忘れない。
少しだけ早く起きたお陰で、いつもより随分とのんびりした気分でいられた。
さて、と立ち上がる。そろそろ学校に行く時間だ。
キュゥべえは食事の後も何やら忙しそうにしていたので、小さく「行ってくるね」とだけ言って家を出た。
「今日もいい日でありますように!」

***

そしてマミが学校に行った後、キュゥべえは必死に『総体』へ呼び掛けていた。
『個体』としてのインキュベーターが、初めて自己を意識した瞬間だった。
「お願い、返事をしてよ! どうして僕だけが切り離されちゃったんだい!? そんなの絶対おかしいだろ!」
応答がないというよりも、一人だけ断絶されてしまったかのようだった。
有り得ない。そんなはずがない。意味が無い。
だって、魔法少女と契約する使命は、まだ終ってはいないのだ。
「訳が分からないよ……こんなこと初めてだ。人間の思考より理解できない」
キュゥべえはこの事象の意味についていくつか仮説を立て始めた。
まず、インキュベーター族が何らかの理由で死滅してしまった可能性。大いにある。
このところ、明らかに魔女も魔法少女も減っている。
高度経済成長の頃は文字通り掃いて捨てるくらいいたと聞き及ぶが、
それも終った挙句、最近の少子化とやらで随分と『候補』が減ってしまった。
最近、未知のウイルスが沸いて出たという報告は上がっていないが、もしかすると気付かぬ内に……ということもあり得る。
次は、キュゥべえ単体が、本当に断絶された可能性。地球の表現で言えば「クビ」といったところか。
村八分と言った方が近いかもしれない。
……いや、それも違うだろう。今までそんな事例聞いたこともない。
最初の例を作ってしまっただけだとしたら悲しい事だが、確かめる術はない。
その後も、昼時になるまでずっと考えていたが、
結局のところ「確かめようがない」で全て終ってしまうような仮説で埋め尽くされてしまった。
アイディアの消耗戦にすぎないと悟った瞬間、諦めて横になった。
マミの作ってくれた食事を電子レンジへ放り込むと、テレビを付けてボーっと見始めた。
何か、ヒントがあるかもしれない。
ちょうど、魔法少女アニメの再放送をやっていた。
純真な女の子が、実は大魔導師の血を引いていたとか何とか。
そんなパターンある訳が……

ちょっと待て。
「どうして僕は魔法少女を求めていたんだ!?」

魔法少女としての契約が何を意味していたのか、どうして思い出せない?
わざわざそのために地球までやって来たというのに?
魔獣と戦うという使命は確かにあるが、そんな契約を交わして何になる!?
地球に来た目的は……そう、増大しすぎて熱的死を迎えつつあった世界のエントロピーを減少させるためだ。
この世界でいう所の「マクスウェルの悪魔」は、完膚なきまでの勝利をもぎ取った。
でも……それと『これ』と何の関係がある? 魔獣を倒したからといってエントロピーは減少しない。
何だ、何が起こっている……インキュベーター族は、何のために魔法少女を作り出していた?
「思い出すんだ、ちょっとでもいい……」
ぶつぶつと、『総体』の科学について再確認する。
だが、頭の中にはっきりと浮かんできたのは、地球レベルで止まったそれだった。
ついでに、『総体』の居場所までも掴めなくなっていることに気がついた。
この星の科学力では……座標も分からないのに戻ることなどできない!
「嘘だろう!? 僕はどこから来たんだ!?」
記憶喪失、ではない。『最初から記憶がない』。周辺の淡くて朧気な何かが残っているからやっと気付ける、その程度のモノ。
虫食い穴みたいに、本来ならあったはずの記憶回路が新品に取り替えられていた。
「マ、マミ……僕は一体どうしちゃったんだい? どうして僕は、こんなに震えているの?」
答えは出ない。何もかも初めての経験だった。フラフラとマミのベッドに乗り上がると、ぽてっと横になった。
多分、悪い夢だ。寝て起きればきっと、元通りの日常が待っている。魔法少女の契約をして、***をして、***になったところを***して……
「寝よう、うん。こんな日もあるさ」
ひたすら自分に言い聞かせて、キュゥべえは短い眠りに就いた。


「ただいまぁ。あれ、キュゥべえどうしたの? 元気なさそうね」
夕方になって、マミが家に帰ると、しょぼくれているキュゥべえの姿があった。
病気にでもなったのか、疲れた顔というかやつれた顔をしている。
「マ……マミ!」
ぴょんと胸に飛び込んできた彼は、とても不安そうで、マミはその小さな身体を抱き締めた。
頭をなでなでしていると、次第にキュゥべえの震えは収まってきたようだった。
「あらあら、今日は随分と甘えんぼさんね。何かあったの?」
ソファに座って、キュゥべえを膝の上に乗せる。
借りてきたネコみたいに大人しく、彼はすとんと太ももに収まった。
日が暮れるまで、二人はそのまま動かずにいた。一番星が空のてっぺんで光り始める頃、ようやくキュゥべえは口を開いた。
「今日ね、マミ。僕はここに一人でいた。いつもなら『総体』の意識が流れ込んでくるから、格別何とも思わなかったけど……
 今日はダメだった。この世界からマミもほむらもさやかも杏子も……
 皆いなくなって、たった独りでここにいるような気がしたんだ。そしたら、急に寒気がして……
僕、マミが来るまでずっと、マミの布団に包まってた。ねぇ、マミ、僕は一体どうしちゃったんだろう」
この季節に震えていると思ったら、そういうことだったのか。
マミはゆっくりと毛繕いをするようにキュゥべえの身体を撫で続けた。
「それはね、キュゥべえ。きっと、『寂しい』っていう感情よ。
 誰も近くにいない時に、誰かに会いたいって思うの」
「だ、だって僕は、君たちがいう『感情』なんてものを持ち合わせていないんだ。
 そんなの……おかしいよ。感情を持っていたら、僕達は自分で自分達のエントロピーを減少させていたはずだ。
 僕とマミは、出会わなかったはずなんだよ……」
それは、初めて聞かされることばかりだった。
今まで、キュゥべえは自分のことについてほとんど語らなかったし、マミも詳しくは問わなかった。
この、マスコットみたいに小さな生き物が、驚くほどのものを内に秘めていたことを、今日初めて知ったのだった。
「望めば、僕らはいつだって同族の意識と同化できる。
 簡単に言えば、僕はキュゥべぇであって、同時に他のインキュベーター族でもある」
何となく、分かるような気がする。でも、何となくだけだ。
人間には難しい、そう哲学のような概念が混じっていて、きっとキュゥべえにしか分からない何かなのだ。
はっきりとしたことを言わないでいると、言葉を足してくれた。
「僕らは集合的無意識によって意識的に接続されているんだ。
 君達が『プライバシー』と呼ぶものなんてないし、その必要もない」
喋っている間だけ、キュゥべえは安心していた。無言の時間になると、またぷるぷる震えだす。
安心させるよう、怖いことなどないのだと、逆立つ毛をじっくり梳いていった。
日もとっぷりくれて、上弦の月がいよいよ傾こうという頃、ようやくキュゥべえは落ち着いたようだった。
きっと、初めてのことで不安が募ってしまったのだろう。
「私達は、魔獣と戦う運命を背負わされているわ。その代り、あなた達は願いを叶えてくれる。
 多分、それだけよ。どちらにも生き残るために必要な……そう、これは共生なの」
彼がどこまで納得してくれたのかは分からなかった。
うんうん唸って、それから頭を振って、マミの足に深く頭を埋めてきた。
「そしたらさ。今度はマミが来てくれて、僕はまた『総体』としていられるような気分になった。
 でも、今までと違うのは、僕にはマミの心が透けていない。分かるようで分からないんだ、マミが何を考えているのか……
 マミもそうだろう? 僕が何を考えているのか、何を思っているのか、その正確な答えはわからない。
 何で、僕はこんな『感覚』でいるんだろう?」
「ええ、そうね。それが人間だもの。
 きっと、インキュベーターだって、忘れ去れてしまっただけで、どこかで何かを覚えていたのよ」

マミは、キュゥべえの考えていることが何となく分かった。もちろん、言い切ることはできない。
きっと、キュゥべえは、初めてのことに戸惑っているのだ。それは、マミも似たようなものだった。
お互いに価値観が違う、どこまで行っても平行線のふたり。
分かち合えるかもしれない言葉を探して、マミはゆっくりと口を開いた。
「だから、人間は言葉を使うし、手を繋いだり、温もりを求めるのよ――今のキュゥべえみたいにね」
ちょっぴりお姉さんぶった微笑みを浮かべると、キュゥべえはがばっと顔を上げた。
何だか子供っぽくて、それがまた母性本能をくすぐる。
「ぼ、僕はそんなんじゃないよ! 温もりが必要ある訳ないじゃないか!」
ムキになる辺りが、また子供っぽい。ぷいっとそっぽを向いたキュゥべえに、マミは優しく語りかけた。
突然起きた変化について、なるべく優しく話した。
「そうね。『昨日までは』そうだったわ。でも、今のあなた、私の膝から離れようとしないじゃない」
「そ、そんな日もあるさ……今日は、その、たまたまだよ」
またしても、彼らしくないセリフ。そんな『偶然』を、イの一番に否定するような性格なのに。
でも、そのことは言わないでおいた。今やることはただ、キュゥべえを安心させることだけだ。
その代り、また頭を撫でて、手のひらで優しく包んだ。
「んっ……マミ、もう一つ、僕に起きた変化について喋ってもいいかい」
「いいわよ。今日は随分お喋りなのね、ふふっ」
その理由も、何となく分かる。話さなければ、時を共にしなければ、心が潰れてしまうのだ。
死に体だったマミもまた、最初はそうだった。
キュゥべえに「もう君は口を閉じたって死にはしないんだよ」と皮肉を言われたくらいだ。
子守唄のようにゆっくりと身体を揺らすと、キュゥべえは気持ち良さそうに目を閉じた。
「マミだけ……なんだ」
「何が?」
「マミと一緒にいると、独りじゃない気がするんだ。まどかやさやかじゃこうはいかない。
 マミに抱き締められると、頭の中にあったモヤが全部晴れるんだ。そして、マミにずっとこうして欲しいと思ってる。
 でも……やっぱり僕はおかしいよ。マミには魔獣と戦って欲しいのに、行って欲しくないとも思ってるんだ。
 死んで欲しくない。ずっとずっと……」
ひょいと立ち上がって胸元まで来ると、すりすりと頬を寄せてくる。よっぽどスキンシップが足りないようだ。
抱き上げて頬擦りすると、キュゥべえは顔を赤らめて横を向いた。
「それだよ、それ。どうして僕の心臓を弄ぶんだい? 脈拍が早いまま収まらないじゃないか……」
むず痒そうに耳の後ろを掻き始めるキュゥべえ。それを見ながら、うにうにとほっぺたをつつくマミ。
延々同じことを続けていくうちに、キュゥべえも怒り出した。
「もう、何なんだよマミは! 人間には『恋人』っていう存在を作れるんだろう?
 だったら……だったら僕よりもそんな存在と戯れていればいいじゃないか! 僕をこれ以上惑わせないでよ!!」
「いないわ、そんな『人』。だって私が好きなのは、キュゥべえだから」

時計の針が、動くのを止めた。
窓の外からしか、音は聞こえてこなかった。

「月が綺麗ね」
「そ、そそそ、そうだね」
慌てて空を見上げたキュゥべえ。でも、その直前まで、視線がマミに注がれ続けていたのをハッキリと知っていた。
空はまだ夏の濁りを残したままで、星はチラチラ見えるだけだった。これが冬になれば、きっともっと沢山の光が見えるだろう。
夏の大三角形が、分かりやすく天頂に輝いていた。
織姫と彦星が空の向こうで輝いているのを見るのは、切なくともロマンティックだった。
「ベガとアルタイル、そしてデネブよ。この季節になると、ちょうど真上に来るの。
 旧暦の七夕ね。だからきっと、二人はお空の一番高いところで祝福してもらえるんでしょうね」
何年か一緒にいれば、自然とこの国の風習にも馴染んでいくというもの。
キュゥべえは目を閉じて、マミの太ももで丸くなった。
「七夕ってさ。離ればなれになった『恋人』達が年に一度だけ会えるって話だろう。テレビで見たよ。
 ……でも、僕は、マミとずっと一緒にいたいよ。一年に一度きりしか会えないなんて、絶対にイヤだ」
ぺちぺち耳でマミの身体を何度か打つと、また彼は顔を上げてマミの瞳を見つめた。
どことなく、涙ぐんでいるようにも見える。
マミはまたキュゥべえを抱き上げると、ぎゅっと思いきり抱き締めた。
「マ、マミ!?」
「あのね、キュゥべえ。実は私も同じ気持ちなの。
私はね、助けられたあの日からずっと、キュゥべえには感謝してるの。でも、それだけじゃない」
えっ、と顔を上げた彼の目には、いささか希望の光が点っていた。
見たことのない表情に、マミの頬も思わず緩む。
「他の人にも契約を迫った時、私、凄く嫌な気分だった。キュゥべえを独り占めできないなんて、とっても寂しかった。
 私は、あなたが……」
「ちょっと待ってくれよ」
紡ぎかけた言葉を、キュゥべえは遮った。その目には、決意がこもっている。
マミはそこから先のことは言わず、彼の言葉を待った。
正直、心踊るほど楽しみだった。
「こういう時は、僕から言うのが筋ってものだよ。僕が言い出したことなんだ……いいよね?」
「ええ……!」
素敵な一言が届くのを、マミは心待ちにした。
キュゥべえが息を整えているのも、永遠みたいに長く感じた。
「僕は……マミと、もっと一緒にいたい。ずっと一緒にいたいんだ」
マミはキュゥべえの頭を撫でて、小さく頷いた。二人には、それだけで十分すぎるほどだった。
彼は泣いているように見えた。今の今まで涙なんて流したことのないはずのキュゥべえが、幼い少年のように泣いていた。
でも、それは悲しみの涙ではない。
よしよしとあやすように抱っこした身体を揺らしていると、彼は上目遣いに聞いてきた。
「ねぇ、マミ」
「なぁに、キュゥべえ?」
彼は切なげに鼻を鳴らした。目を閉じて寄り添い、潤んだ瞳で見上げてくる。
「教えてほしいんだ。今、僕の中にある『感情』を。名前を」
マミはニッコリ笑って、ちょこんとおでこをくっつけあった。
先にキュゥべえが負けて目を逸らしたので、ほっぺたに軽くキスする。
「あっ、マミ、ずるい……んっ」
「んっ、んふっ……」
隙を狙って、今度は唇に想いを寄せる。自分のと同じ、滑らかな感触がマミの口内を包んだ。
世界の針が止まる。月が一瞬だけ曇る。
キュゥべえを愛していたと、確かにマミは感じたのだった。
「この感情はね……『恋』っていうの。生きていく中で、営みの中で、きっと、一番素敵なものよ」
そうしてまた、マミは甘いキスを捧げた。


「ね、マミ」
「なぁに、キュゥべえ?」
二人はベランダの縁から空を見上げていた。夏の大三角形は少し傾いたが、まだまだ空高くにあった。
キュゥべえといえば、マミの頭上でのびのびと垂れていた。よっぽど具合のいい場所を見つけたのか、頭を傾けても滑り落ちたりしなかった。
「人間っていうのは面白い考え方をするんだね。
 何十億いるのか分からないくらいの個体が死ぬことに、そこまで意味を見出せるなんて。
 僕がマミを『好き』なのは、奇跡って言ってもいいくらいの出来事だけど、人間にはありふれた現象なんだね」
「それが人間っていうものよ。覚えておいた方がいいわ」
二人で見上げた夜空。季節の移り変わりと共に、星空もまた変わる。
春と、夏と、秋と、そして冬。この街から見える全部の星座を、キュゥべえと見尽くしたい。
流れ星が空の彼方でキラリと光り、同時にキュゥべえが口を開いた。
「マミには……いつまでも死んでほしくない。だから、僕と、また契約してほしいんだ」
「あらあら、何かしら? 私にもできるものなの?」
次はどんな台詞が来るのか、さっぱり分からなかった。でも、嬉しいことには違いない。
マミは期待を込めて真上を見た。すると、肩口に降りてきたキュゥべえが頬にキスしてきて、耳元で囁いた。
「僕と契約して、僕のお嫁さんになってよ!」




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