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「──下さい、スバル。起きて……」
「んにゃ?」

スバルは目を開けた。どうやら、軽く眠っていたらしい。
最近仕事ばかりで、たまの休みも緊急出動で潰れることばかりだったから、疲れていたのだろう。
横になっていた顔を上に向けると、そこにはイクスヴェリアの顔。
そして後頭部には、柔らかい感触。どうやら膝枕をして貰っていたみたいだ。
「あ、イクス。おはようございます」
「おはようございます、スバル。でも、もうお昼ですよ?」
「……え!?」
一気に目が覚めたスバルは起き上がって、頭上を見上げた。
太陽はしっかり南にある。お昼どころか、もうちょっと過ぎていると判断するのが妥当だった。
「ごめんなさい、イクス。お腹空いたでしょう?」
「いえ、大丈夫ですよ。それに、スバルの寝顔は可愛かったですしね」
「うぅ、ひどいですイクス」
「ふふふ」
スバルは伸びをすると、くるりと後ろを振り返った。そこには、大樹が一本そびえ立っていた。
てっぺんまで登れば、クラナガンの街並みが一度にぜんぶ見渡せそうな、高い高い木。
これが上手い具合に日よけになって、あまりにも気持ちの良い睡魔が襲ってきたのだった。
サラサラと風が鳴って、足元に生えた草が揺れる。キラリと、何かに反射したらしい日光がスバルの目を打った。
「さて、もうお昼ですし、どこかに食べに行きましょう。何が食べたいですか?」
足元で崩した座りをしているイクスヴェリアへ、スバルは問いかける。すると、彼女はクスクスと笑って答えた。
「スバルと同じものなら、何でも構いませんよ」
「あー、その答えずるいですよー」
ちょっぴり頬を膨らませていたスバルだったが、やがてカラカラと笑い始めた。
イクスヴェリアの瞳がキョトンとしたあと、やはり同じように笑い出した。何しろ、お腹が減ってしょうがないのだ。
和・洋・中のどれがいいかと聞くと、イクスヴェリアは首をかしげた。
「どういう意味でしょうか?」
「あ、そっか。『和』はあたしとか海鳴の人たちしか知らないですね。ごめんなさい」
スバルは簡単に説明を始めた。
『和』は箸という二本の棒で食べ、割とさっぱりした味のものが多いこと。
『洋』はナイフとフォークを使って、ミッドでは一番ポピュラーなタイプ。多分、ベルカでも。
『中』の説明に入る前に、イクスヴェリアはぽつんと呟いた。
「では、スバルの故郷で食べていたようなものが食べたいです」
「オッケーです、それならオススメのお店がありますよ。任せて下さい!」
イクスヴェリアの手を引いて、スバルは元気一杯に走り──出さなかった。
スバルはしゃがみこむと背中を向け、イクスヴェリアをおんぶしようとした。
「あ、別に子ども扱いするとかそんなんじゃないですよ。ちょっと、いいものを見せたげようって思いまして」
「いいもの?」
「見てからの秘密です。でも、皆には内緒ですよ?」
言われるがままに、イクスヴェリアはスバルの背中に掴まった。
首に手を巻かれると、その体躯の小ささを改めて実感する。
千年の時を超えて生きているように言うけれど、まだまだ子供だなあと思う。
子供らしい高めの体温が、スバルの背中を優しく暖める。なんだかちょっと、こそばゆかった。
「さあ、行きますよ。しっかり掴まってて下さい! マッハキャリバー、お願い!」
『Alright』
「しっかり……って、まさか!?」
「そのまさかです。秘密ですよ?」
ローラーが唸りを上げ、二人は弾丸のように飛び出した。前に掛かる風圧が段々と馬鹿にならなくなっていく。
「ウイングロード!」
誰もいない二人だけの草原から、スバルは跳び上がった。空色の道を創り、遥かなる天へと駆け上がっていく。
遠く左手には幹線道路が見え、真下はもう海だ。
誰かが車窓からのぞいても、ちょっと大きなカモメが飛んでいるようにしか見えないだろう。
「うわぁ、高いです、高いです! それに、なんて綺麗な海……」
「世界が平和になって、技術が上がれば、もっともっと綺麗になりますよ。珊瑚とか見れるようになっちゃったりして」
「それはすごく楽しみですね。でも、私はこれで充分です。こんなに青い空と、青い海を見られるだけで、幸せです」
小さなことにも、ささやかな幸せを見つけることができるイクスヴェリア。
それはひとえに、前にいた世界がとても哀しくて、哀しすぎたから。
スバルは、例えばこんな娘の小さな笑顔を永久に守れるように、とレスキュー隊に志願したのだ。
かつて自分を助けてくれた、あの空港火災の日から、その想いは変わらない。
でも、守るべき人ができた今、命に賭ける想いは、前よりもずっと強く、強くなっていた。
「あぅ……ちょっと気分が悪くなってきました」
「わ、わわ、ごめんなさい! もうちょっとだけ耐えて下さい、陸地までもう少しですから!」

大事には到らなかったものの、ちょっとしたジェットコースターに乗って脳が揺さぶられた状態になったイクスヴェリアであった。
「ごめんなさい、もうちょっとパワーをセーブしておけば……」
しかもウイングロードの無断使用である。バレたら大目玉だろう。
不幸中の幸いといえば、イクスヴェリアの顔色は悪くなかったから、すぐにでも元気を取り戻すであろうということだ。
風を送るものがハンカチくらいしかなかったので、それを使ってそよ風を送る。
五分もそうやっていると、次第にイクスヴェリアの顔へと血色の良さが戻ってきた。
「ありがとうございます……すみません、すっかりはしゃいでしまって」
「ああいえ、あたしが悪いんです。すぐ調子に乗るから……」
そうしているうちに、すっかりお昼というには午後の時間帯に突入してしまった。
「大丈夫ですか、イクス?」
「ええ、もう歩けます。それで、そのお店というのはどこにあるのでしょう?」
元気を取り返して充分に歩けることを確認してから、スバルは案内した。
降り立ったのは寂れた港湾部だったから、大きな道に出るとタクシーを拾い、一路目的地へと出発した。
「ま、車なら二十分もかからないと思いますよ」というスバルの言葉通り、さしたる時間もかからずにその場所へと着いた。
暖簾には『味勘』の二文字。「ミカン? って読むんですよ、確か」
漢字を知らないイクスヴェリアが意味を尋ねると、スバルは答えた。
「センス・オブ・テイスト。まー、よく味わって食べろってことじゃないですかね?」
イクスヴェリアの首は傾きっぱなしだった。
というか、スバルの口から「よく味わって」というフレーズほど似つかわしくないものも、世の中にはそう多くない。
そのことに気付いて、スバルは苦笑しつつ頭をポリポリと掻いたのだった。
中に入ると、森の中にいるかのような芳香が鼻を通り抜けていった。
「うわぁ……凄いです。これが『和』ですか」
木目の映える、ヒノキ造りの内装。席の全ては座敷になっており、入り口で靴を脱ぐことになる。
スリッパもあるにはあったが、サラサラとした床がとても気持ちよかったので、二人とも履かないことにした。
周りを見ると、確かにそうしている人たちもいるから、あながち間違いではないだろう。
席に通されると、イグサの青くて新鮮な匂い。どうやら、畳を替えて間もないようだ。
イクスヴェリアは和装が初めてらしく、畳の目を数えてみたり、柱の年輪を数えてみたりしていた。
「なのはさん達が有名になったお陰で、この手のお店も増えてきてラッキーですよ」
お茶が運ばれてくる。ズズ……と啜ると、初摘みの茶葉でも使っているのか、濃くてまろやかな味わいが鼻を抜けていった。
イクスヴェリアは匂いを嗅いだ後、ちょっと飲もうとして──舌を軽く焼いたようだった。
「熱いです」と言いながらふーふーと湯のみに息を吹きかけている姿が、凄く可愛い。
もう、このままこの胸に抱きしめてあげたいくらいだ。
メニューを差し出すと、ミッド語はおろか近代ベルカ語さえもさっぱりだからスバルの方で適当に決めてくれという。
差し戻されたメニューを眺めながら、一人熟考するスバル。

一方、厨房の中では、「ざわ・・・ざわ・・・」と不穏な空気が垂れ込めていた。
「店長……あの人、確かこの前商店街の大食い選手権で優勝して商品券貰ってた人ですよ」
「材料、間に合いますか? 特盛ランチ、三十人前分しか残ってませんよ?」
「おい、お前今から中卸市場行ってこい」
「は、はいっ!」
「あの娘を満足させられないようではこの味勘も看板倒れだ、皆、気合を入れて行けよ!」
「これからが本当の地獄だ……」
「俺達には地獄すら生温い……っ!!」

しばらくメニューを眺めていたスバルは、イクスヴェリアの分もまとめて決めた。
「あたし、特盛ランチ! イクスは……海鮮丼、これでどうかな。
これを見る限りはボリュームはほどほどですし、オススメメニューって書いてありますよ」
メニューに載っている写真を見せる。その真下には、『オススメ!』というシールが貼ってあった。
イクスヴェリアはコクリと頷くと、早速ウェイトレスを呼んで注文をかけた。
「海鮮丼と、特盛ランチを──五十人前」
「ご、五十!? かしこまりました……」
そそくさと立ち去るウェイトレスは、いわゆる割烹着というスタイルだった。
イクスヴェリアが物珍しそうに去り行く背中を見つめて、「ああいう服もいいものですね」と独り言を漏らした。
しばらくして、札の裏返るカランという音が響いたが、一目で『和』の虜になってしまった少女の耳には届いていないようだった。
スバルは窓の外からカラリと晴れた秋晴れをのぞきながら、お茶をのほほんと啜っていた。
「お待たせしました、海鮮丼と……特盛ランチ五人前になります。
申し訳ありません、当店の料理人が全力で調理に当っているのですが、一度に五人前が限界でございます」
「ああ、別に構わないですよ」
「ありがとうございます。それでは」
どん、どん、どん、どん、どん。四人がけのテーブルにギリギリ収まるようなお盆に、特盛ランチは運ばれてきた。
赤身に白身、青魚や稲荷に到るまで色とりどりの握り寿司が、合計二十貫。
カニの味噌汁、あさつきの巻いてある生湯葉に、デザートが豆乳のプリンだった。
「いっただっきまーす!」
割り箸をパチンと割って、スバルは猛烈な勢いで食べ始めた。二十が十に、そしてゼロになって行く。
イクスヴェリアの海鮮丼から刺身が一つ消える頃には、スバルは寿司を五貫平らげていた。
「そんなに早く食べると咽ますよ?」
「大丈夫ですよ、イクス。これくらいのスピードで食べないと夜になっちゃいますから」
イクスヴェリアの海鮮丼には、マグロの赤身やらイクラやら、定番のメニューがしっかり押さえられていて、
しかも子供用にと配慮してくれたのか、ちょっと少なかった。まあ、例え残したとしても全然問題ないのだが。
はぐ、あむ、もぐ。イクスは頬にご飯粒をつけながら、「美味しいです」とニコニコ顔になった。
スバルはそんなにゆっくり食べてそれこそ腹が膨れないのかと心配しながらも、箸の勢いを全く崩さずに料理を口に運んだ。
その頃、厨房は。
「ミッドチルダ職人の誇りをたっぷりと味わせてやるぜ」
「100%中の100%!」
「手が……手がああああああああああああぁっ!」
「逃げる奴は皆ミッド市民だ! 逃げない奴はよく訓練されたミッド市民だ! ホント管理局は地獄だぜ!」
「これが私の全力全開!!」
修羅場と化していた。むしろ戦場だった。

慌しさから一歩離れたところで、スバルの戦いもまた続いていた。
十人前、二十人前と食べ終り、次から次へと食器が下げられていく。
すっかり圧倒されている様子のイクスヴェリアだったが、何とか自分の海鮮丼は空にすることができたようだ。
「いっぱい食べられることは良いことですよ」、とスバルは一言付け足して、また五十人前の続きに挑んだ。
料理を出してくるスピードは次第に鈍っていったが、まあ概ね問題ない範囲だろう。
三十人前を越した辺りで明らかに給仕が止まった。これは間違いなく材料切れの警報。
ウェイトレスを呼んで聞いてみると、「大丈夫です!」の一点張り。
何というか、既に厨房内部は意地の張り合いみたいなものだった。
──ただ一つの誤算があるとすれば、スバルは五十人前でも腹七分目程度だったということなのだが。
「ごちそうさまでした!」
「……ごちそうさまでした」
戦闘すること一時間弱、スバルは全てを食べ終った。イクスヴェリアの顔は、驚きと呆れに満ちていた。
そのその顔についていたご飯粒を拾って、ついでとばかりに口へと運ぶ。
一方で何でもかんでもすんなりと腹の中に入っていく神秘さに目を見張り、特に退屈はしていないようだったが。
積み上がった盆という盆に、他の客まで見物に来ていたくらいだ。
どこからともなく沸き上がった拍手に、スバルはキョトンとしていた。

そして、厨房は。
「燃え尽きたぜ……真っ白にな……」
「もう、ゴールしてもいいよね?」
「朽ちても、構わないわ……」
「ミッドの皆、オラにちょっとずつ元気を分けてくれ」
「綺麗だわ、空……」
まるで死屍累々だった。

店主に「ごちそうさま」と言いつつ、貰った伝票を見る。
やはりというか何というか、常人の食べる金額より桁が一つ多いというか、下手すると二つに迫るというか、
どこぞの強制労働施設から一日外出できる程度の金額というか……スバルは我ながら自身のエンゲル係数に落胆した。
「あはは、あたしってほら、凄く燃費悪いんですよ。っていうかどこかから燃料駄々漏れ?
食べても食べても補給しきれないんで、こうなっちゃうんです」
「それは、難儀な体質ですね」
苦笑いをしてみたが、イクスヴェリアは実にコメントしがたい顔のままずっと固まっていた。
「ありがとうございました」
見送りのウェイトレスもまた、引きつった顔だったのは気のせいか。帰りがけ、店主自らの名刺を受け取った。
「次回ご来店の際には、こちらにお電話の上お越し下さいませ。新鮮で美味しいお魚を沢山用意してお待ちしますので」
「あ、そですか? どうもー」
沢山という言葉に上機嫌になり、スバルはイクスヴェリアの手を引いて店を後にした。

一方、『準備中』の札がかかり、全ての客が帰った味勘内部では。
「嫌な、事件だったね……」
誰かがスバル再来フラグを立てていた。
そのことに気付けるほど元気のある者は、もはやいない。

「商店街で何か見ていきますか?」
スバルはそう言いつつも、足は既にそっちへと向かっていた。
繋がれた左手の向こうで、イクスヴェリアが頭に疑問符を浮かべている。
「商店街とは何ですか?」
「行ってみれば分かりますよ」
ミッドチルダの首都、クラナガンの中でも、一番賑わっている地区。それが商店街だ。
食べ物から雑貨、アクセサリーにゲームまで何でも揃う場所。
「スバル、あれは何でしょう?」
イクスヴェリアが指を差す先には、最新式のゲームが街頭で宣伝されていた。
画面から飛び出すようなリアリティがあるアクションゲームだそうで、体験版をちびっ子や大人達が夢中になって遊んでいた。
障害を飛び越え、敵を倒し、各地に散らばったアイテムを集める。そんなタイプのストーリー。
「皆さん、凄く楽しそうに遊んでいますね。私にもできるでしょうか?」
ちょうど、前のプレーヤーがゲームオーバーになったところだった。
スバルはその次にコントローラーを握り、イクスヴェリアにも渡した。
「二人協力プレイできるよね? んじゃやりますか、イクス。これはコントローラーと言って、こう持って──」
結局のところ、全滅するまでに五分と持たなかったが、イクスヴェリアはそれで充分のようだった。
慣れの問題もあるが、何よりもバーチャルの、架空の世界であっても、何かを破壊するということに抵抗感があるらしい。
スバルは「ごめんなさい」と謝りつつ、ゲームセンターに寄ることにした。
「さっきの機械だけではなくて、色々なものがあるのですね。感動です」
イクスヴェリアの頭に載せるのに丁度よさそうな、キツネのぬいぐるみをユーフォーキャッチャーの中で見つけた。
「よーし、あれ取りますよ! 見てて下さい!」
……が、ユーフォーキャッチャーはまるでただの貯金箱状態だった。
コインを三十枚投入した時点で、当のイクスヴェリア本人に「もう、お気持ちだけで充分ですから」と止められてしまった。
結局失敗して落胆したスバルの頭を、少女はいつまでも撫で続けていた。
「それじゃ、あれやってみましょう。意外に古代ベルカのこととか出てくるかも」
スバルが指差したのは、クイズゲーム。様々なジャンルがあったが、「歴史」のパネルを叩いて、早速スタート!
『聖王教会の初代教皇は誰か?』、四択だった。
「えーっと、誰でしたっけ、イクス?」
「私はその時代だと眠りに就いていました」
「えええええええええええっ!?」
どれでもいい、ボタンを押してしまえ……偶然当った。次だ、次。
『新暦六十五年、多数の人間からリンカーコアの魔力を抜かれた、管理外世界の事件とは?』、今度は記述式。
「これ、なのはさんが巻き込まれた事件だ!」
やみのしょじけん、と入力すると、見事大正解。お次は?
『先史ベルカ時代で実際に使われていたとされる兵器を次から二つ選べ』。今度は八択。
これなら行ける、と選択肢を読み上げていくと、イクスヴェリアが非常に困った一言を口にした。
「三つあるんですけど……」
「どれかはまだ使われたって証明されてないってこと? ひどいよー」
教科書にあった記憶を徹底的に洗い出して、一つを除くことにした。何とか正解。
「嘘を答えるクイズというのはクイズとして成り立っているのでしょうか?」
「さ、さあ? あたしにも分かりません」
その後は、二人で知恵を絞ったり、勘を働かせたり、中々に頭を使うバトルが展開された。
ゲームセンターの後はアクセサリー屋でバングルやチョーカー、イヤリングなんかを見て回る。
「ほら、これなんかイクスに似合うと思いませんか?」
金色に光るネックレス。如何にも王族の風格が漂っている。
だが、値札を見たら目玉が飛び出そうな金額だったので諦めた。
一方、シルバーのバングルは手頃な値段だった。
小さな鈴がついていて、軽く振るとシャン、と涼しく澄んだ音が鳴った。
「これ、気に入りました」
「そっか。それじゃ、これにしましょう。あたしのも、お揃いで」
店を出てから商店街を抜けるまで、イクスヴェリアは腕を振り続けるのを止めなかった。

クラナガンの中央公園。噴水があって、夜にはライトアップされる、
ちびっ子からカップル、家族連れまで誰にでも憩える、人気随一のスポットだった。
そのベンチの一つに座り、スバルはイクスヴェリアの身体を抱き寄せていた。
サラサラの長い髪は、ティアのそれよりもまだ綺麗で、手櫛を入れると抵抗なくスッと抜けていった。
「長くていいですね、イクスの髪。羨ましいな」
「ではスバルも伸ばせば良いのではないでしょうか?」
「ダメなんです。髪を伸ばしてたらいざという時に邪魔になっちゃいますから。
ほら、あたし『いざ』っていう時のための仕事でしょう?」
それに、似合わない。姉であるギンガと違って──
「今、『あたしには似合わない』って思いましたね」
目ざとく、スバルの表情を見抜くイクスヴェリア。流石は年上と言ったところか?
彼女は手を挙げて、スバルの髪を撫でてきた。ちょっとくすぐったくて、ちょっと気持ちいい。
「スバルも、負けてはいません。仕事さえなければ、伸ばしてみてもいいと思うのですが」
「そうですか? まあ、引退したら考えますよ」
適当なところではぐらかさざるを得なかった。だって、髪を伸ばすのには二年もかかるのだ。
その間にスバルが管理局を辞めるか内勤になるとかいう展開は待っていそうにもなかったし、何より現場にいたかった。
半分ごまかし、半分リラックスに首を逸らすと、上下が逆さまになった世界の向こうで、何かが見えた。
ケータリングだ。頭を元に戻して、それが何なのかを見る。
「アイスだ!」
寸刻の猶予もなく、スバルは走り出していた。頭より先に何とやらとはまさにこのこと。
イクスヴェリアを放っておいて来たことに気付いて、慌ててベンチへと戻った。
「あはは、ごめんなさい。急に飛び出しちゃって。イクスは、何かアイス食べますか?」
「……というか、あなたはあれだけ食べてまだ満足しないんですか」
語尾が下がった。疑問形というよりは疑惑形だ。
事も無げに「はい!」と返事すると、イクスヴェリアは露骨に「そんな訳ないでしょ」という顔を作った。
「早速燃料が漏れてるみたいですね。補給しないと」
「スバルの場合は漏れてる場所を修理するのが先決かと思います」
イクスヴェリアの諌言もどこ吹く風、スバルは「何がいいですか?」と聞いた。
少女はしばし考えた後、「スバルと同じ……いえ、何でもいいです」
さっきのことを思い出したのか、ぶるりと身体を震わせるイクスヴェリア。
「それじゃ、ストロベリーで良いですか?」と聞くと、こくりと頷くので、スバルは走っていって、アイス屋の店員に注文した。
「シングルのストロベリーと、十段タワーアイスを全種類一つずつ! 全部コーンね」
「全部、ですか?」
通常の質問ならば、『シングルのストロベリー』と『十段タワーアイス』の二つである。
常人なら「両方」と答えるべきところを、スバルは「全部」と答えた。その意図はもちろん。
「シングルのストロベリーと、十段タワーアイスの、『バニラと、チョコと、ストロベリーと、ミントと、
ラムレーズンと、キャラメルと、トロピカルシャーペットと、ココナッツと、クルミと、マロンクリーム』をお願いします!
だから合計十一個」
「あ、あはは……」
そうしてスバルは、鼻頭にストロベリーのコーンを載せながら、実に器用にイクスヴェリアのところへ戻った。
バランスを取るために、腕のバングルはシャンシャン鳴りっぱなしだった。
「あそこの人と何が違うのでしょうか」
イクスヴェリアの指差す先には、片方に火のついた棒を十本、ホイホイと投げてお手玉状に回している大道芸人がいた。
今度ばかりはスバルも苦笑いを隠せず、危うく一つ落とすところだった。
「一つ食べますか、イクス?」
「いえ結構です」
ストロベリーばかり十段も積み上げられたって困る。
かといって全種類一つずつ食べていたら腹を下す……という奇妙にも程のあるジト目を向けられた。
それでもスバルは、一つずつ食べていって、いつしかコーンもなくなっていた。
全部を食べ終ると、今度は軽い散歩に出かけた。
芝生に二人で寝転ぶと、青々とした匂いが鼻をくすぐる。午前中にやったことと大して変わらないが、そこはそれ。
昼下がりの穏やかな日差しを浴びながら、涼しくなった秋風を身体に受けるのも、ちょっぴり風流なのだ。
「こんなにも、静かで、安心できる場所があるんですね。皆、幸せそうで……ふぁ」
長く連れ回してしまったか、イクスヴェリアがあくびを漏らした。
トロンとした目は、もうすぐお昼寝に突入してしまうだろう予感を暗示していた。
「大丈夫ですよ、イクス。寝ちゃっても。その時はあたしがおんぶして帰りますから」
「私、そんなに子供じゃありません……うぅ」
起きていようと必死になるも、次第に重くなったまぶたが閉じていった。
「では、こうしましょう。スバルが帰りたくなる前に、起きることにします」
「あはは、それでもいいですよ。でも、日が暮れたら帰りますからね」
「分かり、ました……」
そして、少女は眠りに就いた。スバルもまた、少し眠気を覚え始めた。疲れが取れ切っていないのだ。
「あたしも、ちょっと寝ようかな。これでおあいこですよね、イクス?」
幼子をあやすように、イクスヴェリアの胸に手を当てる。小さな鈴が音を立てて、まるで子守唄のようだった。
バングルの音で、スバルもまた眠りの世界に誘われる。
腕枕に載せた頭をイクスヴェリアの方へ向けると、スバルはゆっくりと目を閉じた。
「おやすみなさい、イクス──」

***

「──なさい、スバル。起きなさい」
「んにゃ?」
スバルは目を開けた。どうやら、軽く眠っていたらしい。
横になっていた顔を上に向けると、そこには昔馴染み、ティアの顔。
そして後頭部には、柔らかい感触。どうやら膝枕をして貰っていたみたいだ。
「あ、ティア。おはよう」
「おはようじゃないわよ、スバル。もうお昼よ?」
「……え!?」
一気に目が覚めたスバルは起き上がって、頭上を見上げた。
太陽はしっかり南にある。お昼どころか、もうちょっと過ぎていると判断するのが妥当だった。
「あれ、イクスは? 確かあたしの隣で寝てたはず……」
「何寝惚けてんのよ。ほら」
「いたたたた!」
ティアに思い切り頬を抓られて、スバルはその痛みを実感する。
さっき寝た時と比べて、太陽は逆回転していた。それはちょっとおかしいのではないか。
「おかしいな、さっきはもう午後三時過ぎだったはずなのに」
「まだ寝惚けてるようね。そもそも、イクスはここにいないわよ」
「あ、いないの。そっか……え?」
「あー、こりゃ完全にダメね」
軽くティアにもう一度ほっぺたを抓られた後、状況をかい摘んで説明された。
イクスヴェリアは今以って目覚めることのない眠りに就いているということ。
スバルは元々ティアを誘って、彼女と昔一時を過ごした野原を訪れていたということ。
そして、前日仕事だったことが原因か何か、こてんと転がって寝てしまったのだということ。
「アンタにとっては想い出の場所なんでしょ? 疲れにプラスして張ってた気が緩んだのね」
話を聞くほどに、それが事実だと認識し始めた。
そうは言っても、どうにもこうにも、さっきまで見ていた夢が夢だとは信じられないのだ。
まさか、パラレルワールドにでも飛ばされていたかのだというのか?
「不思議だね……あたし、ホントのホントに、あれが夢だったなんて思えないんだ」
スバルが首を傾げていると、ティアはぴしゃりと言った。
「ま、だとしたらそれでいいんじゃない。イクス、喜んでたんでしょ」
「うん!」
そこは即答する。あんなに笑った顔のイクスヴェリアを見ていると、スバルまで幸せになってくるのだから。
「でも」と、そこでスバルはまた疑問が沸いた。
「何であたし、こんなところで突然寝ちゃったんだろう? 気を緩めるって言ってもねえ?」
すると、ティアが強烈なデコピンを一発喰らわせてきた。
「馬鹿じゃないの?」と言いたげな目線の奥に、古馴染みを気遣う優しさが混じっていた。
「あのね。あたしが起きててアンタの隣にいるって言うのに、ここで気を緩めないで一体いつどこで緩めるのよ」
「……ティアぁ」
「あーもうくっつくな、暑い、暑苦しい!」
下手すると涙その他でぐしゃぐしゃになりそうな顔をティアの胸に押し付けて、スバルは頭を埋めた。
しばらくそのままいると、ティアがぼそっと聞いてきた。
「ねえ、スバル」
「何?」
「あたしがスターライトブレイカー撃つから、アンタはバリア張って」
「え、何そのあたしに一方的に不利な特訓」
頬を膨らませたスバル。しかしティアはちょっと非情だった。
その影にはかつての上司が見え隠れしていたのかもしれない。
「特訓するかあたしから離れるかくらいは選ばせてあげるわ」
「謹んで離れさせて頂きます」
パッと一メートルほど身体を引くと、今度は「そこまで離れなくてもいいでしょうに」と逆に顔を伏せた。
まったく、乙女心は複雑である。
「ところで、お腹減ってない? もうお昼よ」
「あ、うん。確かに減ったかも」
夢の中のご飯でお腹が膨らむなら誰も苦労しないのだ。スバルの腹と背は今にもくっつきそうだった。
「和・洋・中。後はエスニック系? どれがいい、ティア?」
「そうね、昨日はスバルに中華作って貰ったし、今日は和食でも食べに行こうかしら」

あれ。
スバルには妙な既視感が生まれた。というか、ついさっきまで見た夢を追体験しているかのようだ。
ひょっとして、イクスヴェリアの粋な計らい? それとも、神様がくれた偶然?
どっちにしても、ここで選ぶ選択肢は一つだけだ。
「オッケー、それならオススメのお店があるよ。任せて!」
そして、スバルは走り出した。でも、少女にしたような空の旅はしない。
次にウイングロードからの絶景を見せるのは、例えティアでもダメだ。
イクスヴェリアに見せてあげて、ティアはその次。
スバルはそう決めて、幹線道路を通るバス停までダッシュを決めた。
「……ん?」
「どうしたの?」
「ああ、うん、何でもないよ」
道すがらにふと腕を見ると、買った覚えのないシルバーのバングルがはまっていた。
軽く振ると小さな鈴がシャンシャンと鳴る友情の腕輪が、しっかりとはまっていた。
「ごめん、やっぱり先に行きたいところがあるんだけど」
「え、どこ?」
スバルは方向転換をして、その先にある教会へと足を向けた。
「イクスのところ!」

──今、あなたは何を想いながら眠っていますか。
もしも願いが叶うなら、この歌声が届きますように──


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