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「止めろ、止めろ…止めてくれええええぇぇ!!」
 悲鳴が一回に、銃声が十回。
 世界がまた一つ、嫌な静けさになるのには、それだけで十分だった。
 燃え上がる家、死体の山、ポケットいっぱいに入った宝石類。
グリーンの軍服に身を包んだ兵士達の胸には、陸軍の赤いエンブレムが鈍く映っていた。
 夜空は不気味な紅に染め上がり、時折熱に耐え切れなくなった土台が、
上に乗っている建物ごと崩落し、耳をつんざくような轟音になった。
誰かが誰かを刺し、また撃つ。そんな惨劇の効果音が断続的に聞こえる。
 陸軍の彼らは、目の前で鮮血を滴らせている、白衣を着た『自国民の』男を冷たく見下ろすと、何も言わずに立ち去っていった。
ただ、一人の兵士が事切れた男の目蓋を閉じて、ささやかな黙祷を捧げると、次の目的地へ向かう仲間の列に加わった。

***

「ハカセ、お茶が入りましたよ」
「ああ、ありがとう、チェシカ。少し休憩しようか」
「はい!」
 アルパージュ。機械と高層ビルに囲まれた人工的な街の真中に、二人は暮らしていた。
 赤毛の髪をツインテールに結び、まだあどけない笑みを浮かべている少女は、チェシカ。
ハカセと慕う青年に紅茶とクッキーを運んで、近くにあった椅子を引き寄せる。
立ったままで旋盤をいじっていた青年はゆっくりと顔を上げて、少女と向き合った。
 狭苦しい研究室に向かい合い、カップに注がれた紅茶を啜る。
チェシカはニコニコ笑いながら、青年がクッキーを口に運ぶのを眺めていた。
「うん。美味しいよ、チェシカ」
「ホントですか? やったー!」
 喜びをいっぱいに表して、チェシカはバンザイをしながら飛び上がった。
楽しいお茶の時間を過ごして、しばらくのあいだくつろぐと、青年はチェシカに言った。
「そうだ、バケットさんのところに行って、屑鉄を貰ってきてくれ。そろそろなくなりそうなんだ」
 チェシカは元気よく返事をして、バッグ片手に研究室を出ていった。
窓から手を振って少女を見送ると、青年はテーブルにあるカップを手に取った。
しかし、すぐにそれを手に置くと、また旋盤に向かい始めた。
 中年の主婦がビル影からじっと少女を監視しているのに、彼は気づくことはなかった。

 最近、どうも街の様子がおかしい。怪しげな軍服の集団がうろついていて、時折商店はそのシャッターを降ろしてしまう。
原因は、はっきり分かっていた。
 街の議会は革新派が融通を利かせていて、近々近隣の街と合わせて独立をするとかいう噂が流れていた。
元々、政府は独裁的なところがあり、自由を標榜する海向こうの国へと亡命する人々が後を起たなかった。
近年、「自然生活主義」と呼称する、科学文明を否定して重農化を促進するような政策を掲げ始めたために、
研究者とか学者とか、そんな人種は国家に飼われるか、さもなくば収監されるかのどちらかだった。
 この街、機械と科学の人工都市、アルパージュでも、それは例外ではなかった。
「ジェリイ・コーニー」、要注意科学者リストの一人に挙がっているのが、青年の名前だった。
ジェリイは溜息を一つ吐いて、冷めかけた紅茶をカップに注いだ。
 中途半端な味で、何とも心地悪かった。

 翌日、研究者仲間のイーガンが訪ねてきた時、ちょうどチェシカもその場に居合わせていた。
「ここだけの話だが」と、やつれて老けた顔のイーガンは、ロクに散髪していないぼさぼさの髪を掻き上げながら、非常に重い面持ちで言った。
「議会のチャン議長、それから顧問のクラーク氏、ベイツ議員――この辺りで、反政府運動が盛り上がり始めてる」
 やっぱり、とジェリイもチェシカも思った。鉛を飲み込んだような空気が辺りに漂う中、イーガンの話は続く。
「ここの技術を結集すれば、武力で独立することも十分できるし、その後の貿易なんかでも赤字を被らずに済む。
今、方々の研究者に力を借りようとしてるところなんだ」
 チェシカは、まだ小さいなりにその後の展開を予想できた。
要するに、ジェリイに反政府運動の片棒を担げと言うのだ。もちろん、チェシカ自身はハカセの決定に従うつもりでいた。
けれど、この不安な時期に危険な行動を取るのは、自身はもちろんのこと、ハカセにもその波が及ぶ可能性があるのだ。
 チェシカが口を開きかけた時、ジェリイが先に答えを述べた。
「少し、待ってくれないか?」
 回答の保留。それが、今のジェリイが出した結論だった。時間はもう残り少ないと返すイーガンに、ジェリイはチェシカの頭に手をぽんと置いた。
 突然の出来事に、チェシカは一瞬だけ身体を強張らせる。
「ひゃっ」
「僕にはこの娘が、チェシカがいる。大切な助手で、妹みたいなものなんだ。チェシカの身に危険が及ぶような行為は、なるべく働きたくないんだ」
 スッ、と立ち上がると、ジェリイは残念そうにイーガンを見下ろした。
「断る、とは言っていない。ただ、時間が欲しい。ほんの二、三日でいいんだ。どうだい?」
 イーガンは椅子に座ったまま、ジェリイとチェシカを交互に眺めていたが、やがて頷いた。出された飲み物を一息に呷って、立ち上がる。
「分かったよ。だが、俺たちがこうしてる間にも政府のスパイやら軍隊やらが嗅いで回ってるんだ。気を付けろよ」
「ああ、覚えとくさ」
 そして二人は握手をして、別れた。チェシカが不安げな表情でジェリイを見上げると、若き博士は赤毛の髪に触れ、なでなでと撫でた。
「ハカ、セ?」
「大丈夫。僕はどこにも行かないさ」
 チェシカはちょっとだけ涙くんで、袖でごしごしと目尻を拭うと、青年の裾をきゅっ、と握りしめた。

***

 一部始終を聞いていた者がいた。
 ズーおばさんと周囲に呼ばれる、噂好きの主婦である。
毎日毎晩、監視カメラか何かのように街に張り付き、小さなゴシップから政治スキャンダルまで、何でも嗅ぎつけることで有名だった。
 決して飽食の時代ではないにも関わらず、どこから摂取したのか分からない栄養によってでっぷりと肥えた身体、
強迫観念に駆られたような双眸、そして何より、その身体に似つかわしくない、豪奢とも言える服飾。
 その容貌と行為、加えて他人の不幸を蜜に変える精神構造故に快く思わない者も多く、
また逆に情報を利用しようと言う立場の人間達も、また存在した。
 今、彼女は街外れの一角にある、旧市街の寂れたビルに訪れていた。
「で、報酬の銀貨とやらを見せておくれよ」
 制帽に金色の線を走らせている女が、ポケットをごそごそと漁り、そこから無造作に差し出したのは、
この国──アキュイア人民共和国──で一番価値の高い銀貨だった。前政権の筆頭書記長が厳しい横顔を向けている。
 漆黒のトレンチコートに身を包んだ、場の責任者は、何もせず立ったままであるというのに、
それだけで気圧が上昇したような錯覚に陥り、誰もが肺が圧迫されるような気がしていた。
「10枚だ。それでいいね?」
 ポケットの中を鳴らすと、チャラチャラと硬貨のぶつかり合う軽妙な音が響いた。
 ズーおばさんは顔をニタリと卑しく歪ませ、ことの子細を語り出した。
イーガンのこと、ジェリイのこと、そしてチェシカののこと。
「あたしの了見じゃあね、あの娘は機械人形だよ。あんなのがいるから、この世界はおかしくなっちまうんだ」
 ズーおばさんの夫は、機械による自動化に伴い、歯磨き粉製造工場を解雇された後、
厳しい冬場での雪かきを生業としていたが、ある豪雪の朝、足を滑らせて側溝に落ち、そのまま埋もれて死んだ。
彼女が体制側に賛成するのは、或いは無理な話でもない。
「機械人形……それは、あの人工知能と、自立稼動ができる、あの機械人形で間違いないな」
「当たり前でしょう。あんた、偉い軍人さんのようだけど、機械人形も知らないのかい?」
 そんなズーおばさんの一言で、青年将校の一人が激高した。
それはまるで、女神を崇拝しているかのような表情を顔に交えていた。
 彼は拳銃を突きつけて叫んだ。今の言葉を撤回せよ、と。
「ティプトリー大佐! この女は──」
「黙れ。これは『私』と『アリカ=ズー』の取引であって、貴様のものではない」
 言うが早いか、ティプトリー大佐は神速で警棒を懐から取り出し、青年将校を打ち据えた。
突然の衝撃にもんどりうって倒れこんだ青年に、ティプトリーは追加の一回を放った。
彼は苦悶の声を上げて、打たれた脇腹を押さえ、余りの痛みに床を転がる。
 その場の全員が硬直する中、ティプトリーは恭しく頭を下げて、ズーおばさんに先を促した。
「私の部下が失礼なことを申し上げて済まない。さて、続きを話してくれないか」
 自分の名前を呼ばれて、弾かれたようにビクリと身体を震わせたズーおばさんは、聞き及んだ話を再開したが、
ぷつぷつと途切れがちになり、そして終った。
 ティプトリーがチェシカの詳細を聞き、それに答える。
大佐が「ほう……」と感嘆の声を漏らしたのは、機械人形がこの街には数えるに足りぬほど沢山いるという事実だった。
その一体一体についてまでは軍部もまだ調査を入れていなかったから、彼女にとっては大変貴重な情報だった。
 話の全てが終ると、ティプトリーは立ち上がって制帽を脱ぎ、再び頭を下げた。
「御苦労。随分と面白い話を聞かせて貰ったよ。さて、報酬だが」
 ニタリ。ズーおばさんの嫌らしい笑みが全面を覆い、はやく銀貨を寄越せと暗に迫っていた。
 焦るな焦るな。慌てる乞食は貰いが少ない。ゆっくりとティプトリーは右手をポケットに入れ、銀貨を取り出す。
そうして、彼女の手に落とそうとした、まさにその瞬間。
「えっ……あっ」
 ズーおばさんの頭から鮮血が飛び散り、彼女は黒光りするリボルバーを見ながら、
驚きに満ちた目のまま、椅子から後ろへと転げ落ちていった。
 白煙を上げ、硝加が放つ独特の臭いを辺りに漂わせる得物の先端ををフッと吹き飛ばすと、コートの内側に仕舞った。
「銀を極限まで精製して教会に祝福を受けた代物だ。銀貨10枚、或いはそれ以上の価値があるだろう。『殲滅せよ』、これで最初の一人だ」
 ティプトリーはまるで路肩にぶちまけられた吐瀉物のようにズーおばさんだった肉塊を見下ろすと、部下の兵卒に片づけを命じた。
 メモを取らせていた情報将校と、彼女の腹心である曹長に笑いかける。メデューサの如き、冷たく射抜く鋭い目で。
「さあ、戻ろうか。こいつの情報だと、予想外の抵抗を受ける可能性がある。前線の強化を」
 ツカツカと、コートを翻して部屋を去るティプトリー。
 その後を、恐怖の鎖に縛られた情報将校と、頭の禿げた曹長が、ゆっくりとついていった。

***

 三日後、再びイーガンが訪れた時、ジェリイは首を横に振った。短く切った金髪を振り乱して、イーガンは呻いた。
 曰く、軍部がアルパージュに攻め入る日はもうそんなに遠くないという。
一刻も早く自動人形の技術を駆使して、自走兵器を完成させるべきだと彼は叫んだ。
だが、ジェリイはそれでも良しと言わなかった。
「今でも、いつ僕が逮捕されてたっておかしくないんだ。これ以上、政府に家宅捜索の口実を与えてしまうのは得策とは言えないな」
「……っ、分からないのか! お前の自動人形一人と俺たち全員の自由と──あ、すまん」
 ぽかんと口を開けたままのチェシカが茶盆を持って、入り口に立ち尽くしていた。
 イーガンの言葉にショックを受けたと言うよりは、緊迫した場に闖入してしまったことへの気まずさが原因のようであったが、
それからのイーガンは少しだけ大人しくなった。
「チェシカ、済まないがお茶の葉を買ってきてくれ」
 実際少なくなっていたのも理由だったが、それよりもイーガンの真意を知りたくて、ジェリイはチェシカを実質追い出した。
 紅茶は各自が適当に入れつつ、彼の話は再び密やかに、厳しくなった。
「実は、転び公妨でもう何人か捕まってる。俺たちだって、今この瞬間に踏み込まれても文句は言えないぞ」
「そうは言うが、しかし……」
「俺たち側の女子供を匿う場所もある。少なくとも、居場所を掴まれていないだけ安心だ」
 イーガンに加担することで、危険を増すか、それとも……
 その時、銃声が一発二発、聞こえた。バタバタと足音が響き、そしてそれは金属めいた軍靴の音だった。
 二人を顔を合わせた。脂汗が互いの顔に浮かんでいるのが、嫌が応にも分かる。
「今の……誰だろう」
「俺に聞くなよ。ただ、こうやって説得しようとしてる人間の一人ってことは間違いないな。もう、大体の連中はこの街から出ていってる」
 まさか、チェシカ? そんな不安が心を過ぎったが、気のせいかもしれない。ジェリイは矢も盾もたまらず、立ち上がった。
 行ってどうするのかと、尤もな質問をするイーガンを背に、ジェリイは答えた。
「本当に危険だと言うのなら、君の言うことに従った方が安全で幸せな未来が待っているのなら、君について行ってもいい!」
 そしてジェリイは、研究室を飛び出した。

(続)


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