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「朋也、お弁当だ」
「……へいへい」

岡崎朋也は朝もはよから智代に叩き起されて、実に健康的な朝を送っていた。
寝不足の目に朝日が眩しい。
智代は鼻歌を歌いながらエプロンを巻いて料理に勤しんでいる。
時計を見ると、授業開始までまだ1時間以上あった。
「こんな朝早くから頑張るな」
「朋也のためだからな、自然と力が湧いてくるのさ」
朝っぱらから小っ恥ずかしい台詞を聞いて、朋也は飛び起きた。
制服に身を包んだ彼女は鍋を掻き回している。少しだけ小皿にすくって味を見て、微調整していく。
「味噌汁に玉子焼き、浅漬けも用意しておいたぞ」
「一体いつの間に……」
「それがよく分からないんだ。朋也のことを考えていたらいつの間にか出来上がっていた」
そんなことを聞きたいんじゃないと言いかけたが、智代の目がキラキラ輝いていたので諦めた。
冷静に考えて、自分のどこに惚れられたのか未だによく分からない。
やがて出来上がった朝食に口をつけたが、コレが中々どうして美味しい。
素直に礼を言ってみると、智代の目は大きく見開かれた。
「な、なんだ? ご飯粒でもくっついてるのか?」
「いや、そうではなくてだな……失礼だとは思うが、朋也が素直になったのを見たのは久しぶりだ」
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
出掛けに弁当を持たされ、一緒に家を出る。
ずっしりと重量感のある弁当箱。愛情盛りというか、これは下手すると夕飯まで間食しなくて済むレベルだ。
ニコニコ顔の智代を見ながら、溜め息を吐く。要するに、食生活まで気になる娘だったということ。
まぁそれでもいいかと思いつつ学校への坂道を登り始めた朋也だったが、
この時はまさか大事件が巻き起こるなんて考えもしなかった。

昼休み。わいのわいのと学食に行ったりパンを食べ始めたりするクラスメイト達を尻目に、朋也は教室で待っていた。
ほどなくし、て智代が弁当の包みを持って現れた。と同時に、杏が騒がしく教室へ乱入してくる。
「げぇっ、朋也!?」
「俺は軍師か何かか」
露骨に嫌そうなジト目を向けられたが、それが冗談であることを朋也は知っている。
笑いながら智代と向い合って弁当の包みを紐解き──そしてすぐに蓋を閉めた。
受け入れがたい現実が目の前に迫ってきており、そして岡崎朋也は拒絶したのだ。
しかも間の悪いことに、杏が朋也の異変に気づいたらしく、そそくさと寄ってきた。
「何したのよ。まさか弁当の中身が腐ってたとか?」
「朝作ってそれはないだろ」
「じゃあ何よ? 汁気の多いものが弁当箱の中にだばーって広がっちゃってたとか?」
「ま、まぁ、そんなところだ」
こんなもの見せられる訳がない。そう思っていたところへ、犯人が颯爽と登場した。
智代の弁当は、よく見ると包んでいるハンカチの柄が同じである。
ニヤニヤ笑いながら口笛を吹く杏。一瞬張り倒したくなったが、その鬱憤は春原で晴らすことにした。
「パン買ってきたぜ岡崎ぶぼぁっ!?」
いくつかの机を盛大に巻き込んで倒れた少年へ向けて「片付けておけよ」と命じて、朋也は椅子にどっかりと座った。
その隣では、若干おろおろしている智代の姿。その目はまるで朋也が片付けろとでも言っているようだった。
「ったく、わーったよ」
立ち上がって机を元の位置に戻したが、その際に春原を二、三度踏んづけておいた。
改めて椅子に座り直した朋也だったが、今度は智代も見向きしなかった。
「って君達ねぇ!」
「まぁ落ち着けよ。俺は人に暴力は振るわない主義なんだ」
「奇遇だな朋也。実は私も同じ主義なんだ」
「って僕は人じゃないんですか!?」
朋也は、智代そして杏と顔を見合わせた。三人揃って春原に向き直り、首を縦に振る。
そのまま彼は発狂し始めたが、ちょっとやりすぎたと思い、仏頂面になって謝ってみる。
「春原、悪かったな」
「そう思うなら最初からやらないでよね!?」
談笑しながら朋也は弁当箱を開ける。一番大事なことを忘れていた。

「──岡崎、それはなんだ?」
「なんだ、って弁当に決まって……!!」
クマさんの形に彩られた三食ご飯。そこには玉子で『I ♡ TOMOYO』と書かれていた。
慌てて智代の弁当を見る。そっちはもう何というか質素で、如何にも余った物を突っ込んだでございといった佇まい。
気まずさが机を支配する。普段こういうタイミングでニヤニヤしているはずの杏は、空いた口が塞がらないようだった。
「一応聞いておこう、智代。犯人はお前だな」
「犯人とは失敬な。普段シャイな朋也の言葉を私が代弁したまでだ」
「そんなことまでしなくていい! ……あ」
墓穴を掘った。やっちまった。頭の頭痛が痛い。
ぽかんと顔を見つめてくる春原。その顔に一発見舞ってやりたかったが、ますます火に油なので諦めざるを得なかった。
智代はご機嫌らしく、弁当箱と一緒に持ってきたビニール袋をがさごそやっていた。
「お前にもご褒美だ、春原。今日の朝ご飯をおすそ分けしてやろう」
「え、マジ!? やった、実は智代、結構優しいじゃん」
「実は、というのが引っかかるが、まあいい。ほれ」
「サンキュー……って何これ」
智代が春原に渡したのは、明らかに残り物中の残り物だった。
しれっとした顔で彼女は言う。
「味噌汁に入れた大根──の切れっ端だ。美味しいところは全部朋也に食べさせたからな。
あとこっちは野菜炒めに使った人参──の皮だ。あとこれは……」
「ちっくしょう! やっぱり僕はそういう役回りかよ!!」
涙を流しながら切れっ端を食べる春原。
身体を張ってまで全員の笑いを取ってくれたその笑顔に、朋也は惜しみない拍手を送った。
「春原」
「あん?」
「グッドランチ(よい昼食を)!」
「いじめですか? これはいじめですか!?」
再び三人は顔を見合わせて、そして三者三様に答えた。
その答えは、どれも同じようなものだった。
「いじってるだけだ」
「いじってるだけよ」
「いじってるだけだぞ」
「で、ですよねー!」

弁当の方は、朝の時間帯にどうしてこんなに手を込んだものかと不思議に思うくらい豪華だった。
サラダに魚、肉まで、見ただけでも栄養のバランスがしっかりしていることが分かる。
一口食べる。甘味と旨味が口の中に広がって、幸福感がこみ上げてきた。
こういうのを本当に美味しい料理と呼ぶんだなぁ、としばし夢の中に浸っていると、春原が指を伸ばしてきた。
「あーあー羨ましいなあおい岡崎ちょっとくれよ」「やだ」
「ちょっ、即答っスか!?」
手首を軽く捻ってやる。彼は悶絶して悲鳴を上げたが、自業自得だと言ったきりまた弁当へ視線を戻した。
それを見ていた杏と椋が、ぼそぼそと喋り合っていた。
「バカップルよね」
「バカップルだね」
智代の放つ甘ったるい空気に、全員食欲と戦意を喪失したのだった。
春原はいつまでも野菜の切れっ端をかじっていた。
「うめぇ、何故か切れっ端なのにうめぇよ畜生!!」
「当たり前だ、私が愛情込めて包丁を振るったのだからな」
サラッと言い放った智代の態度に一番具合を悪くしたのは、他ならぬ朋也だった。

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