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──かくて、創世の過ちは繰り返される。
過ちに発したエデンは覆滅されて、生まれ生ずる新たなエデンを、また過ちの裡に浮かべるに到る。
円城塔, "エデン逆行", S-F magazine 2010.2

この街では、昼と夜に区別はない。
他人がいつ起きて、いつ寝ているのか、興味もない。
どこで誰が生まれて、いつ誰が死ぬか、そんなことも分からないし、関係もない。
もし、たった一つだけ分かることがあるのならば、ここは、地獄の第一階層だということ、
本物の地獄に行く前の肩慣らしみたいな場所だということだけだ。

自分が生まれた正確な日付は知らない。
人から聞いた話では橋の下に置き去りにされていたというが、あまり当てにならない。
出生当時のことを知っている人間が、次第に減っていったのを良く覚えている。
物心がついた初日、私を迎え入れてくれたのは轟音だった。
見たことのない顔に混じって、大人達が真剣に議論していたまさにその瞬間、建物の上部が崩れてきた。
普通の子供なら火がついたように泣き出すのだろうが、その時の私は泣かなかった。
きっと、物心がつくよりも前から仕込まれてきたのだろう、それが当然のことであるかのように出口に向かって走り出した。
反射神経の鈍い奴と建物の奥にいた奴が逃げ遅れて瓦礫の下敷きになった。
流石に救出作業に参加できる腕力も体力もないから、そのまま同年代の子供達と先に逃げた。
私より小さいのが一人いて、その子は立ち尽くしたまま父親の名前を叫び続けていたが、無視した。
結局、避難所になっていた後方のテント村に最後まで戻ってこなかったのを見ると、殺されたか連れ去られたかのどちらかだろう。
その夜、私は初めて銃を持たされた。これで敵を沢山殺せと、大人達から怖い顔で迫られた。
ご飯は、と聞くと、そんなものはないと答えられた。
腹の減りが著しかったが、それで誰かを困らせると鉄拳が飛んでくることくらいは理解していた。

他人の命に興味を持っている人間は、ここでは生き残れない。

改めて思い返してみると、それはまるで一つの映画だった。
デリバリーのピザを食べながら、無料配信されている最初の15分を見るような、そんな映画。
デリバリーも映画も当時は知らなかったが、ピザに関してだけはちょっとだけ見聞きしていた。
生まれて初めて戦場へ放り込まれた時のことだ。
防弾チョッキも着ずにアサルトライフルをよたよたと振り回しながら、一歩一歩前を進んでいく。
赤ん坊より重いモノは、最初渡された時取り落とした。
だが命令は絶対で、歯を食いしばって無理矢理持ち上げた。骨が軋んで悲鳴を上げているのもよく分かった。
弾を籠めると今度こそ持ち上がられなくなったから、私は囮役に徹することになった。
人間とは不思議なもので、どんなに重くても「走れ、でなければ死ね」くらいのことを言われると走れるのだ。
この時勢、相手が誰であろうと、銃を持っている敵は容赦なく殺す。
それが互いの不文律で、私はまだそれを知らなかったから、何でこんな物を持たせられるのかは分からなかった。
二人一組になって、敵陣に迫る。ギラついていない目を探す方が無理だった。
前方から一人の男がやってきた。見たこともない人種の顔な上に服装が違っていた。
最大の違いは、胸についていたボタン。その色で敵と味方を分けているようだった。
アレが囮役なのか、それとも単独行動なのか、そんなことは知らない。
私はただ数多い一匹のアリになって、全体のために部分的犠牲を払うだけなのだから。
私が飛び出すと、彼はすぐさま銃口を向けて発砲してきた。
フルオートで銃声が絶え間なく響いてくる。
恐怖に足を竦ませたら死ぬことくらい分かっているはずなのに、足取りが重い。
でも、それは唐突に止んだ。それでも怖くて物陰まで振り向かずに走り、自分の安全を確かめてから恐る恐る振り返った。
組んでいた相棒の銃口から煙が出ていた。そして敵が倒れていた。心臓の辺りから血が流れていた。
良かったよかったと一歩踏み出した瞬間、ひゅんと目の前を何かが通り過ぎていった。
前髪がはらはらと落ちて、瞼に生温い液体が流れて目が見えなくなった。
反射的に力が抜けて瓦礫の影にへたり込んだ。それが結果的に良かったのかもしれない。
遅れてやってきた銃の音で、自分が撃たれたのだとようやく悟った。
死ぬのか生きられるのかさっぱりだったが、放心している間に戦闘は終ったようだった。
その頃にはもう自然に止血していた。傷が浅くて本当に助かった。
別働の部隊がもう敵のわんさかいるビルを包囲していて、ガラスのなくなった窓にひたすらグレネードを打ち込んでいた。
ミサイル類は高いから滅多に使わないのだと、年上の誰かが教えてくれた。
後々になって考えてみれば、こんな至近距離で誘導装置なんて必要ないから、彼の発言は半分知ったかぶりだったのだ。
しばらくしてビルは丸ごと静かになり、私はまた囮として偵察を命じられた。
ライフルの代りに拳銃を渡された。30口径の小さい奴だ。
最初に教わったことは二つ、「弾を無駄にするな」、「密着させて撃つな」それだけ。
密着させて撃つと、銃の中の空気が圧縮されて爆発するのだということを知ったのはそれから一年も経ってからだった。
辺りには生きている者は誰もいなくて、あるのは脳漿と内蔵と頭皮と肉塊だけ。
両手両足が吹き飛んで死を待つだけの男が一人いたが、弾を無駄にすると叱られるので放っておいた。
どこかに逃げようと這っている女もいた。これは放っておくと背中が危ないので、さっき見た通りに心臓をしっかり撃ち抜いた。
部屋の隅に、パンの上にチーズとトマトと、他にも色々載せて焼いたような食べ物があった。
砂は被るわ冷めているわでそこまで美味しくなかったが、それでも葉っぱを茹でて、その塩汁と一緒に啜るよりはよっぽど美味だった。
そしてそれが、ピザと呼ばれる食べ物だった。
ピザは大丈夫だったものの、制圧後に誰かが拾い上げた缶詰がブービートラップだったらしく、爆発で一人死んだ。
他の連中は、バカだバカだと笑っていた。私は笑えなかった。
敵に殺されれば怒り狂っても、自分で罠に引っかかって死ぬ分には笑い事らしい。理解できない価値基準だ。
次の朝、「接近戦は脳天をぶち抜け、遠距離では心臓を狙え」と教わった。
遠くからだと頭は小さすぎるし、近くだと確実に殺さなければいけないからだ。
最近、敵は麻薬を使っているから、脚を撃って痛みに呻かせるなんて芸当ができなくなったらしい。
死体よりも呻き声の方が味方の士気を低下させるものだとは、想像したらはっきりと分かった。
試しに次の戦闘で観察してみたら、傷ついた味方は介抱したりするのに、死体は瓦礫と同じように踏み越えていく。
死を間近にした断末魔の叫びなど、初心者を竦ませるのに充分な威力を持っていた。
私は瓦礫が崩れる音だと思うことにして、それ以降呻き声は気にならなくなった。
そもそも、味方のか敵のか分からないのだ。銃声と爆音と怒号の中で、判別しろという方が難しい。

戦闘狂だけじゃなくて、か弱い女もいれば学者もいた。
そのうち一人は気が触れていて、どこからともなく調達してきた敵の死体を解剖しては悦に浸っていた。
時々生け捕りが手に入ると、嬉々として人体実験に勤しんでいた。
何かを注射して、その後の変化を見る、ということだったが、捨てられた死体を見た時、皮膚から内臓から全部真っ黒になっていた。
そして危険な悪臭が漂っていた。後にも先にも、何かを見ることで嘔吐感が沸いたのはそれきりである。
吐瀉物は自分で処理させられた。自分の出したものだから当たり前だ。
ちなみに、彼は特に女の生け捕りが好みらしく、二度と動かなくなった後にその股間同士をくっつけていた。
ネクロフィリアという単語を覚えたのは、覗きがバレた数分後のことだった。
不思議なことに、トラウマにもならなければ趣味にもならなかった。
多分、まだ何が常識で何が非常識か知らなかったから、世の中そんなものなんだろうと考えていたせいだろう。
ここに生きる人間の趣味は詮索しない方が得策だ。千差万別で、そして知ったところで飯が食える訳じゃない。
この一件以降、その学者と友達になった。元々は鑑識だったようで、検死やら解剖やら、メスの使い方を一から教えてくれた。
だが残念ながら、長い上に単調なのにも関わらず命がけの毎日を送っていたせいで、その名前はもう思い出せない。
傷口の縫合や、麻酔の掛け方も知った。それで、自分や誰かがどんなに怪我をしても利き腕さえ無事なら何とかなることになった。
ただ、身体のあちこちが継ぎ接ぎの奴なんかはとっくに麻酔に耐性ができていて、手術の度にタオルを噛ませるのが私の仕事だった。
他人にモノを教える時は普通の学者になって、孤独になると狂う。
多分、家族を失ったとかだろう。そんな人間は、この地には吐いて捨てるほどいる。

敵も味方も、算数が下手糞だった。
こっちが一人殺したくらいで、向こうは束になって自爆テロの報復がくる。
同年代の子供が一人、それに巻き込まれて爆死した。私が見たのは手首だけだった。
その時のどさくさで、二つ三つ年上の女の子が連れて行かれた。
数日後、アジトになっていたビルにグレネードが山のように放り込まれた。
大人達は連れ去られた女の子のことでずっと恨み節を吐いていた。
血で血を洗うという言葉を知ったのはここから一週間も先ではなく、
私達は敵と同じく捕虜から聞いた情報を元に、とある村へ向かっていた。
ちなみに捕虜は女の子である。私より四つか五つは上だろうか。それでも子供であることには変わらない。
それを殴って蹴って叩いて切って投げつけて犯してようやく吐いた後にまた貫いて狂わせてそれから殺して焼いた。
仮にもハーフができたらあらゆるいざこざの種になると、犯していた一人が言っていた。
だから、最後は必ず殺すのだという。実に分かりやすい論理だった。
学者連中に引っ付いて数学やら化学やら生命科学やらをやったが、
普通の男共は「ヤったらできる、撃ったら死ぬ」くらいしか知らないようだ。
かくいう私も、弾道計算だとかそういう実用上のことしか学んでいなくて、
平和な時分に学者たちが議論している純粋数学とか量子論なんてものは、最後まで理解できなかった。
それから何年もの間、円環構造体の時間が過ぎていった。要するに、毎日同じことの繰り返しで一年が過ぎていくのだ。
起こされる。腕枕の手元にあった銃を握る。葉っぱの塩汁を飲んで、敵を殺しにいく。
攻めの戦いだったり、守りの戦いだったりの違いはあったが、次第に体力がついてきた私はライフルを持ってもよたよたしなくなった。
最初のうちこそ葉っぱの塩汁だが、戦況が良くなるに連れそれなりにまともなものを食べられた。
でも、ピザとかいうのは物心がついたばかりの頃に食べたのが最後で、
アレを死ぬ前までにもう一度、できれば熱々のをぱくりとやって熔けたチーズを味わいたいというのが私の望みだった。
目的なんてどうでもいい。周りが殺しているから、私も殺す。それだけだ。
周りが誰も殺さない日が来たら、きっと誰も殺さないだろう。
私は何となくそう思っていたが、根拠はもちろんなかった。人を殺さずに済む日は、安息日くらいのものだ。
敵も味方も、不思議なくらい安息日ばかりは何もしない。もういっそ一年中安息日になればいいのに。
戦況がどんなに良くなっても、一日に死ぬ人数は大して変わらなかった。
風が向いてきた最大の理由は、私達の陣営は敵をより多く殺しているからだろう。
統計を取ってみれば確かに味方の死が減って敵の死が増えていたのだろうが、
そんな計算をしている暇も紙もペンも精神的余裕もなかった。

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