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「お菓子をくれなきゃイタズラするよーっ」
その夜、魔女の格好をして現れた小毬は、理樹達の住む部屋のドアを叩いていた。
間もなく開いた扉の向こうからは、甘い香り。
理樹と真人が、お菓子をたんまり作って待っていた。
「いらっしゃい、小毬さん。あ、可愛いねその服」
「ありがとうー。これ、一週間かけて作ったんだよ」
感心していた理樹がふと我に帰って、上がっていいよと促した。
お言葉に甘えて土間に足を掛けたところで、小毬は盛大に足を滑らせた。
「いやああああぁぁぁぁ……」
ずっこけて前につんのめり、「ビリッ」という嫌な音と共に、小毬は理樹ごと巻き込んで部屋の中に突撃していった。

「ふえぇぇ、ごめんなさい」
理樹が上手いこと受身を取ってくれたせいか、痛みを覚えるところはなかった。
なかったが、その代り何かが胸に当っている。床よりは柔らかい、何か。
「──っ!!」
それは、理樹の指だった。
それはそれは愉快なことに、両手が胸に当っていた。
もっと面白いことに、理樹はどこか打ったのか気絶していた。
極めつけは……
「ふむ、理樹君を襲うのは私がヤるものだと思っていたのだが、まるでお役御免のようだな」
「ふぇ?」
いつの間にか、葉留佳と唯湖、そして鈴にクドに佳奈多に美魚──佐々美までいる。
それぞれが思い思いの衣装に身を包み、特に唯湖のは物凄いの一言だった。
「ところで姉御、『やる』の字がちょっと違う気がするんですけど?」
「はっはっは。それはそうと、抜け駆けはいかんな、コマリマックス」
えっ、と小毬が改めて理樹の方を見ると、なるほど押し倒していた。
ポク、ポク、ポク……時が止まり、小毬の頭はゆっくりと回転していく。

チーン。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」
ようやく合点がいって、小毬は慌てて飛び退った。
だが、時既に遅し。唯湖は手をワキワキさせながら、小毬の頬をうにうにと揉み始めた。
「んー、理樹君の感触はどうだったかなー? むしろ感触ごちそうさまだったのかなー?」
「あ、姉御……すっげー目が怖い」
「当たり前だ理樹君に手取り足取り腰取り教えてあげるのはこの私なのだ」
「何そのさりげない告白ー!? 私だって理樹君大好きだもん!!」
「な、ちょっと、葉留佳! あなた姉に譲ろうっていう謙虚な心は無いの?」
「べーだ、恋の問題はお姉ちゃんだろうと譲れませーん!!」
いつの間にやら、女同士で取っ組み合いのケンカに発展していた。
一方、鈴とクド、真人は、
「平和だな」
「平和ですねぇ」
「ああ、実に平和だな」
のほほんと茶の一杯でも啜りそうな雰囲気で傍観していた。
ちなみに佐々美は某球団のマスコットみたいに直立不動の姿勢を保っていた。

***

「……で」
全員が正座している。
「どうしてケンカしたの? どうして誰も止めなかったの?」
理樹が問い詰めているのは、あまり前例のないことだったが、なんというか当然の光景だった。
しゅんとする葉留佳とクド。
「取り敢えず謝っとく、すまん」と言いたげの鈴。
「俺も止めようと思ったんだが、止めない方が盛り上がると思ったんだ」と言い訳しそうな顔の真人。
まるでどこ吹く風の唯湖。その他諸々。
というか、美魚はいつからいてどこから参戦したのか、全然分からない。
相変わらず、影の薄──ミステリアスを地で行く少女だ。
お説教は小一時間続いたが、せっかくの料理が冷めかけていることに気付いたので、
いい加減許してあげることにした。
「で、誰をエスコートするのかね、理樹君は?」
思わぬ……いや、思った通りの攻撃に、理樹は一瞬だけたじろいだが、そこでおもむろに真人の手を取った。
理樹は冗談のつもりだったが、

美魚が気絶した。

真人との一件が冗談であることを伝えるのにしばらくかかったが、何とか納得してもらえたようだった。
そうこうしているうちに恭介と謙吾も到着し、素敵なパーティーが始まった。
「あ、この味付け。腕を上げたのね」
佳奈多がポットパイに舌鼓を打ちながら、感心した顔で理樹を振り向く。
小毬と一緒になって作ったのだから、当たり前といえば当たり前だ。
それでも佳奈多は顔を赤らめながら、「りょ、料理ができる男の人って……何かいい感じだと思わない?」と言った。
理樹は軽く笑いながら同意し、改めて周囲を見回す。
佳奈多はいつも通りの素っ気ない制服姿だが、他の面々はそれぞれに気合を入れていた。

小毬は、いつぞやに着ていたフリル満点のスカートを更にアレンジしたような、甘々しい出で立ちだった。
白と黒のコントラストが美しい。ニコッと微笑んだ時に振りまく幸せは、場の全員を暖かくするのに十分だった。
「理樹君理樹君、このカボチャのケーキ、よくできてるよ!」
タルト生地に乗った、カボチャのペースト。
その上に生クリームを敷いて、チョコを一つ。
サックリとした食感に、滑らかなクリーム、そして最後に訪れる、カボチャの甘み。
その全部が合わさって、何ともいえないおいしさを醸し出していた。
小毬と佳奈多の力作は、どうやら大成功のようだ。

葉留佳は、魔女というか魔法少女だった。
ステッキを振り回して、子供みたいにはしゃいでいる。
「お菓子をくれてもイタズラするよ!」
真人とは目が合う度に、「来たな女王の下僕め!」と若干ピントのずれた敵役に仕立て上げて、
わいのわいのと盛り上がっていた。
魔法少女の宿命なのか、ただの演出なのかは知らないが、
いつもより更に短いスカートの下から、白い布地がチラチラと見えていた。
これが意図的なものなのかは理樹も知らないし、多分本人も知らない。
唯湖はといえば、「パンチラはクドリャフカ君に限るな」と目もくれていなかった。

そのクドリャフカは……一体なんなんだろう。
ミステリアスな雰囲気を醸し出そうとして色々あくせくした挙句、全部失敗したような……
帽子に色々な物を縫い付けていたが、カオス過ぎて何がなにやら分からない。
あれで重くないのだろうか。
「Trick or Treat! おぉーっ、上手く言えたのです! エレガントでファンタスティックなのです!」
ただ一つ、コウモリ模様の髪飾りが、今日は雰囲気倍増だ。
いつもと違うマントを纏った頭に、理樹は手を置いてなでなでした。
「わふー……」
これはアレだ。確実にわんこだ。
ほんわか心が和むのを感じて、いつまでも理樹はクドリャフカを撫でていた。

「ロリコン撲滅キーック!」
刹那の気配を感じた理樹は、葉留佳の体当たりをひょい、と避けた。
蹴りの体勢のまま飛び上がった葉留佳は、慣性のままに突っ込んでいってべしゃ、と転んだ。
その拍子に思いっきりスカートがめくれて、白い三角地帯が露になった。
「しかし、アレだな……」
ぼそりと、恭介が言う。謙吾が何事かと尋ねると、恭介は神妙な面持ちで言った。
それはまるで、世界の真理を発見した学者のような雰囲気であった。
「パンチラとパンモロは、パンチラの方が映えるな」

佳奈多が恭介をしょっ引いて姿を消した。
その後、恭介の行方は杳として知れない。

そして唯湖は、まるでこれから舞踏会にでも行くのかというほど豪華なドレスを身に纏っていた。
永遠の美しさを保つ、妖艶の魔女──そんな形容がぴったりだ。
ダークパープルに統一された盛装にレース編みの純白なショールが、元々の身体が持つ魅力と合わさって、
理樹は思わず唾をごくりと飲んだ。
「……で、結局理樹君はおっきいのとちっさいのとどっちが好きなの?」
横から、葉留佳が恨みがましく言う。
理樹としては、特に女性の胸に対して比重を置いていないので何とも言いがたいのだが、
ジト目で睨んで来る魔法少女に、ついお世辞を言ってしまった。
「あー、うん、葉留佳さんも悪くないと思うよ」
「えっ、ホント!? やったーりきくんだーいすきーっ!!」
ぎゅーっ。葉留佳の強烈な抱擁が理樹を包んだ。
ふにふに。胸の辺りから来る、柔らかくて温かい感触。
理樹は不本意にも、胸の大きさと女性の魅力の間には特に相関関係がないということを思い知ったのだった。
「むぅ、理樹君も酷い男だな。あれだけ人を視姦しておいて、もう浮気か?」
「えっ、違う、違う!!」
唯湖の身体からいつもとは違うオーラが滲み出ていた。
ここに爆弾があったら絶対に点火する勢いだ。
慌ててパッと葉留佳の身体を離すと、今度はむにゅりと頭に重量感のあるものが乗っかってきた。
ああ、この巨乳なら確かに肩の一つも凝るかもしれない……
「ふかーっ!!」
鈴が大急ぎで寄ってきて、理樹を奪っていった。
縄張りを荒らされた猫のように、全力で威嚇している。
その様子に立ち尽くしていた唯湖だったが、やがてうんうん頷いてその場を後にした。
その総てを悟った様子に、鈴はぜんぜん納得がいっていないようだった。


「……あいつが理樹と一緒にいると、心がむずむずするんだ」
喧騒から一歩離れたところで、鈴が言う。
クドを追い立てる葉留佳と、それを傍観している唯湖。
戻ってきた恭介は小毬と談笑していて、
佐々美が乙女乙女した口調で謙吾に話しかけている。
女性には色んな一面があるものだと、理樹は考えさせられた。
そして真人はといえば、飲んで食っての繰り返しだ。

一方、美魚と佳奈多という、結構珍しい取り合わせの二人が、文芸作品について語っていた。
「世には、スワッピングとかNTRとかいうものがありましてですね、二木さんも直江さんが他の女性、
いえ例え男性にいいようにされているのを目撃したとしても、
それを甘受するに止まらずむしろ積極的に萌えていくことが大切なのです」
「なるほど……世の中は広いのね。じゃあ、もし、もしよ? 直枝が、その、貴女と……」
「それはありません。私は傍観専門ですから」
「そ、そう?」

──文芸作品(笑)について語っていた!
『かっこわらい』が何なのか、想像しただけで頭が痛くなってきたので、理樹は考えるを止めた。

「取り敢えず、皆くちゃくちゃバカだな」
「そうだね。でも……」
バカなことができるのは、すごく幸せなことだと思う。
世の中で仕事なんて始めたら、きっと皆でバカなことをできる日なんて、きっとないだろう。
同じ大学に行くのか、そもそも大学に行くのか。
そんなことも分からないけれど、こんな一日を大切にしていったら、いつか一人でいても寂しくなくなる時がやってくる。
楽しい想い出をいっぱい作って、そして、できれば、このメンバーでもう一回騒いだりなんかして……
「理樹、泣いてるのか? どこか痛いのか?」
気がつけば、目尻に涙が浮かんでいた。
いやいや、まだ早い。ちょっと感傷的になりすぎてしまったようだった。
「大丈夫だよ、鈴。それより、その皿は?」
「あ、ああ。ちょっと、な。うん、ちょっとな」
珍しく歯切れの悪い鈴。何事かと思えば、フォークをケーキに刺し、ぷるぷると震えた後、食べる。
同じことをもう二回繰り返した後、やにわにフォークは理樹に伸びてきた。
「ほ、ほら。上手いぞ。食え」
ぶっきらぼうに差し出されたケーキ。そっぽを向く鈴。
それが理樹に向けられたものだと気付いてから、急に気まずさが生まれた。
鈴の顔は紅潮している。
多分、さっきから葉留佳やら唯湖やらに小突き回されて対抗心が燃えたとか、そんなところだろう。
でも、無理しなくてもいいのに。
あーん、と口を開けて一口食べる。甘くて、美味しくて、そしてちょっぴり何かのエッセンスが隠れているような気がした。

「あー、鈴ちゃんずるーい! 私も理樹君にあーんさせる!!」
「葉留佳! 姉を差し置いてそんな真似は許さないわよ!」
「抜け駆けはいかんな、鈴君。どれ、私も一つ……」
かしまし三人娘が押し合いへし合いやってきた。
が、全員の足が一瞬止まる。
何事か、と当人たちも思ったようだが、その実態は鈴の行動だった。
目の前の光景に、足が頭よりも先に止まったのだ。
ケーキを一口、ぱくりと口に放り込む。そのまま何をするのかと思いきや、

理樹の唇が塞がれた。

理樹は目を白黒させた。
というか、場にいた全員が同じ反応だった。
甘い味と、甘い香りが、鼻をふわりと駆け抜けていった。
「……分かったか、理樹は誰にも渡さない」
鈴がぎゅっと理樹の身体を掴み、抱き寄せて離そうとしない。
鬼気迫る勢いの形相に、
「分かった、分かった、鈴君。私たちは退散するから……」
「ごめんなさい、棗さん……あ、葉留佳、そっちのあれ美味しそうじゃない?」
「あ、そうだねお姉ちゃん! さ、いこいこ」

そそくさと退散していった三人を尻目に、鈴がわずかな笑みを作った。
意味を悟った理樹は、小さく頷いて、鈴に箸を差し出した。
中々、キスの後で「好きだ」とはいえないもの。理樹にできることは、それが精一杯だった。
「鈴も、あーん」
あむ、と食べる鈴の姿に、理樹の心が高鳴る。
どうして、今までこの気持ちに気付かなかったんだろう──鈴が寄せてきた、想いにも。
ちょん、と頬を突いてやると、鈴は満面の笑顔になった。
「一緒に、食べよう?」

沢山食べた後でも、カボチャのパイは別腹だ。
(了)


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