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ある日の夕方、向い合ってヴィヴィオの部屋にいた。
「ごめんね、簡単なので」
「いえ、お構いなく」
出かける直前までヴィヴィオが散々揶揄した、発掘調査同行という名の夫婦旅行に両親とも出ていた。
一人で留守番できると言い張った結果、何とかその夢は実現した。一度、誰もいない場所で生活してみたかったのだ。
結論。誰か起こして下さい。ちゃんと寝てるのに何故かほぼ毎日寝坊です。
「アインハルトが起こしに来てくれて本当助かるよ。ありがとう」
「……いえ、私がやりたいようにやっているだけですから」
意図の一つに、イクスヴェリアのことがあった。スバルとの甘い日々を考えると、邪魔したくない。
係わり合いになりたくないといった方が正確か──なのはとユーノのように。
紅茶を淹れて、砂糖壷やクリームの壷と一緒に運ぶ。
今日は輪切りにしたレモンにスコーンも添えて、二人だけのお茶会だ。
リオやコロナも誘ったが、かなり挙動不審に「約束があるから」と言って断られた。
多分何もないのだろうが、一体何を思って断ったのだろう。
「アインハルトは砂糖いくつだっけ? 私が取るよ」
「いえ、自分でやりますから──」
二人の伸ばした手が、同時に触れる。気恥ずかしい想いが生まれて、ヴィヴィオはパッと手を離した。
心なしか、アインハルトも同じように手を離したようにも見えた。
おずおずと、アインハルトが先に手を出して砂糖壷を開け、一つだけ角砂糖を入れてまた蓋を閉じた。
そのまま、時間が止まってしまう。
お互い、どれだけそのままでいただろうか。
外の音が聞こえなくなって、ヴィヴィオの心臓は高鳴り始めた。
沈黙が続けば続くほど、意味の分からないドキドキが頭を遮って、何も考えられなくなる。
「と、ところでヴィヴィオ……イクスのことを、どう思いますか?」
「え?」
こそばゆい空気を融かしてくれたアインハルトの一言。だが、言っていることの意味がよく分からない。
「好きかどうかってこと?」
「え、ええ。そういうことになりますね」
何だか妙な言い回しだ。ヴィヴィオは頬に指を当てて逡巡すると、自分なりの答えを紡ぎ始めた。
「優しい友達で、護ってあげたくなるような……でも、結局私の方が護られちゃったりしてましたね。ははは」
照れたように笑ってみるが、何故かアインハルトの表情は真剣だった。
何をそんなに聞きたがるのかと思いつつも、答えを続ける。
「スバルとのことも。あんなに愛し合えるなんて、ちょっぴり羨ましいよ。
憧れがなかったっていうと嘘になっちゃうけど、イクスは私の大切な『親友』だよ」
あまりにも真剣にアインハルトが見つめてくるので、ヴィヴィオは喉が渇いてしまった。
熱い紅茶を冷ましながら口に含み、一口飲もうとしたまさにその瞬間、アインハルトはにわかには信じられないことを言ってきた。
「じゃあ……もし私がヴィヴィオを好きで、付き合って頂けるとすれば……どうですか?」
「ぶふっ!」

外の道路でどこかの車が急ブレーキをかけていた。それで小鳥がバタバタと鳴き散らし、軒先から遠ざかっていった。
思い切り噴き出した紅茶はアインハルトを直撃し、
驚いた拍子にカップから指を離してしまったらしい彼女がテーブルへ盛大に紅茶をぶちまけ、かなりの量が少女の膝に零れ落ちていく。
「熱っ! わっ、わっ、わっ!」
反射的に立ち上がったアインハルトは椅子を蹴ってしまい、まだ膝が完治していないのも災いして大きくバランスを崩し、
思わぬことにヴィヴィオの方に突っ込んできた。
どいてと避けてが重なって、必死のバランス補正にも関わらずアインハルトはヴィヴィオを巻き込んで盛大に倒れた。
「あいたたたた……」
女の子の甘い匂いがふっと鼻を掠めた。
ひよこがぴよぴよ言っている軽い脳震盪から目覚めると、アインハルトのうなじが目の前にあった。
ツインテールにした髪形の結った根元から、別な意味でクラクラくる香りが舞っていた。
彼女が何度も謝る声を聞きながら、ヴィヴィオは深く息を吸った。身体を熱くする何かがある。
慌てて起き上がったアインハルトの重みに人の名残を感じながら、心は知れず残り香を探していた。
アインハルトが下を指差し、そこを見ると、ヴィヴィオの服も同じように濡れていた。
「ごめんなさい……ああ、でも、どうしよう」
わたわたとパニックに陥っているアインハルトへ、ヴィヴィオは冷静に言った。難しく考えなくても、とっても簡単なことなのだ。
「大丈夫だよ、シャワー浴びれば。私の下着とか貸しますから──ちょっと小さいかもしれないけど」
その発言を聞いて、アインハルトは固まった。そしてそのまま、顔を首まで真っ赤に染めていく。
どうしたのと再び聞こうとして、ヴィヴィオも固まった。
平静に戻っていたはずの心臓がまた強い鼓動を打ち出し、耳まで充血してくるのがありありと分かった。
「あっと、えっと、その、そんな意味じゃなくて!」
「え、ええ、そういう意味じゃないですよね! 分かってます、分かってはいるんですが……ごめんなさい」
恥ずかしさを全面に表して俯くアインハルトに、ヴィヴィオもまたパニックになる。
音を立てて部屋に戻ると下着を一式、二人分取り出すと、リビングに戻ってその一方をアインハルトに押し付けた。
「これ使って下さい! 早くしないと風邪引いちゃいます! ……あ、それとも一緒に入りますか?」
ちょっと慌てすぎていたことに気づくのはちょっと遅すぎて、最後の発言が起爆剤になったようだった。
アインハルトはのぼせて倒れそうな茹蛸の顔になり、首を真横にぶんぶん振るとヴィヴィオの手から下着を取り上げると、
逃げるように浴室へと駆け込んでいった。
あまりの俊敏さに、今度はぽかんと口を開けてアインハルトを見送るヴィヴィオだった。

「ア、アインハルト、洗濯物、早めに洗っちゃうね。染みになっちゃうといけないから」
「は、はい……」
互いの挙動が一つ一つカクカクになっていた。浴室のドア一つ隔てて会話するだけなのに、どうしてこんなに緊張するんだろう。
両親はもちろんのこと、リオやコロナ、イクスヴェリアと一緒に風呂に入ったってこうはならない。
ヴィヴィオはアインハルトのショーツを拾い上げた。
脱ぎたてのそれはほかほかと温もりを持ち、さっき感じた甘い匂いを一際強く放っていた。
ちょっとだけ、ちょっとだけならいいよねと、自分にひたすら言い訳しつつ、そっとショーツに鼻を寄せた。
すぅ、と息を吸い込むと、鼻と口に広がるのはアインハルトの匂い。
同時に、むず痒くて熱い感覚が下腹部に生まれた。
その正体を既に知ってはいたけれど、『アインハルト』が相手であることにヴィヴィオは戸惑った。でも、悪い感覚じゃない……
ガタリと、アインハルトがシャワーを置く音が聞こえた。もう上がる気だろう。
ヴィヴィオは電光石火の速さで下着を投げ込むと、上着のポケットに何か入っていないか確かめ始めた。
浴室のドアが開くのと同時に脱衣所のドアを閉め、口から飛び出しそうな心臓を胸に手を当てて元の場所に押し込む。
脱衣所で布擦れの音が聞こえたが、やがて帰って来た答えは、「やっぱりちょっときついです」だった。
こればかりは仕方ない。かといって、なのはのものでは大きすぎるだろう。
「えーと、どうする?」
「バスローブみたいなものがあれば貸して頂きたいのですが……」
そういったものは家にはない。バスタオルを巻くだけだと教えると、アインハルトは分かったといってまた静かになった。
「次はヴィヴィオの番ですよ、入ってきて下さい」
「え、は、はい」
綺麗に巻いた湯上りのアインハルトは、その長い髪をヴィヴィオ同様に下ろしている。
違うのは左側をひっつめていないくらいだ。
蒼と紫の相貌に見つめられると心臓がまた高鳴って、自分でも使っているはずのシャンプーの匂いさえも普段とは違うものを感じた。
すぐに脱衣所に入って服を脱ぎ、浴室に入る。湯気がもうもうと立つ空間で一人になって、初めてヴィヴィオは人心地着いた。
シャワーを全身に浴び、シャンプーを手に取ろうとして、異変に気付いた。すっからかんだ。
教えてくれてもいいのにと思ったが、さっきから双方大混乱しているのでうっかり忘れただけかもしれない。
多分大きな声を出せば聞こえるだろうと踏んで、リビングに戻ったはずのアインハルトへ声をかけた。
「ごめん、アインハルト。シャンプーが切れちゃったから取って貰っていい……かな?」
扉を開けると、そこにはアインハルトがいた。
ただいただけではない、座り込んで、ヴィヴィオのショーツと思われるものを鼻に当てて息を吸っていた。
このアパートのガラスは摺りが強くて向こう側がさっぱり見えないのだ。
彫刻になった二人。戻ってきた鳥がまた鳴いて、極端な静寂は遠くで遊ぶ子供たちの声までも聞こえてきた。
「ごっ、ごめんなさい!」
四つん這いになってでも、脱兎の如く脱衣所から出て行こうとしたアインハルト。
その腕を、ヴィヴィオは雫のぽたぽた落ちる指先で捉えた。
「行かないで!」
足に力が入らない。どうしてだろう、あの時の双子に立ち向かった時よりも、遥かに両脚が震えた。
アインハルトは全然怖くない相手なのに、何故か面と向かって見つめ合うことができなくなった。
離してくれとアインハルトは叫んだが、絶対に離すつもりはなかった。
もしこのまま誤解されて別れてしまったら、二度と親しく話しかけられたりできないかもしれない。

唐突に、天啓が舞い降りてきた──ああ、これが恋なんだ。
「アインハルトっ……!」
全ての誤解は、これだけで解決できる自信があった。
ヴィヴィオは跪いてアインハルトを抱き寄せると、その唇に口付けた。
最初は目を見開いていた彼女だったが、やがてうっとりと目を閉じると、力を抜いてヴィヴィオの身体に全てを預けてきた。
唇を合わせるだけの、ごく軽いキス。
それだけなのに、魔道書に触れた時よりも全身が熱く燃え上がり、もっと沢山アインハルトに触れたいという欲望が生まれた。
ヴィヴィオはそっと口を離し、洗面台の下から予備のシャンプーを取り出すと、一言だけ告げた。
「私のベッドで待ってて……」

ありそであったえち続編 お子様は見ちゃダメだよ!   小説ページへ

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