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 ──大好き。その一言が言えないなんて──

「まったく、いつまで待たせる気なのよあのバカ……」
 約束の時間に、もうたっぷり一分過ぎている。そう、たっぷり一分だ。
学校ならとっくに「遅刻」の烙印が押されているところ、ましてや今日は学校よりも、もっともっと大切な日なのだ。
 公園の噴水前で、午前十時。携帯を開いて約束を確認するが、どうみても確かに十時だった。
時計を見ても、やっぱり十時。こちらに至っては少し進んでいるが、まさか気のせいや狂いではない。
もうたっぷり二分過ぎている。
「あいつから先に誘っておいて……」
 独り言は虚空に消え、犬の散歩が目の前を通る。
卸したての、フリルいっぱいに飾ったワンピース。せっかく用意したのに、肝心の本人は姿を現さない。
じりじりともどかしい時が刻まれているようで、その実はほんの数秒さえ経っていないのだった。
 ユーノ・スクライア。闇の書事件と彼が呼ぶ、連続襲撃事件に巻き込まれ、
それが解決してからしばらく、二人は何だかんだと一緒に遊んだりしていた。
主な理由は、フェレット時のユーノが可愛かったから。
と言うと本人には怒られるので、『暇だから誘った』と表現することにした。
 待っている間、アリサ・バニングスは今までのことを思い出す。
 告白はユーノからだった。真っ赤な顔に勇気を振り絞って、懸命に自分の気持ちを伝えてきたのが良く分かった。
その瞬間は、軽い気持ちで付き合い始めたけれど、
時と共に『人間』としてのユーノと付き合っていくうちに、何か別な感情が芽生え始めた。
それが恋と呼べるのか、まだよく分からない。
だから、もっと沢山ユーノとお話しよう、いっぱい遊んでみようと画策して、今日のデートを約束した。
 やがて、全力疾走してくる足音が一人分。
期待に胸を膨らませて――まだ平らなのはご愛敬――、音のした方を振り向くと、
そこには翡翠の瞳をした、日本人のものではない顔つき。
「ユーノっ!」
「アリサ、遅れてごめん。実は――」
 パァンッ!
 走り込んできたユーノ・スクライアを、アリサはいきなり張り手で迎えた。
ある意味、当然の措置である。なんたって、当のアリサ自身は三十分以上前から待ち続けていたのだ。
二十分以上は勝手に待っていただけだが、これくらいやったって罰は当たるまい。
「男の子なら言い訳しない!」
「ご、ごめん……」
 凄く気まずそうに俯き、頭を下げるユーノ。アリサは何だか罰が悪い気がして、少年の手を取り上げた。
しっかりと握って、すたすた歩き出す。
理由は後で聞かされたが、どうも信号を渡れなくて困っていたおばあさんを助けていたようだった。悪いことをした。
 約束の時間、かっきり五分過ぎ。
「行くわよ。……あたしだって、今来たばっかりなんだから」
 何となく、言ってみたかった台詞。初めてのデートは、ちょっと演出も凝ってみたかったのだ。
夜景の綺麗なレストランで「君の瞳に乾杯」とか、
そんな大人たちがするような大それたことはしなくても良いから、
何か一つでも思い出に残る素敵な出来事が待っていたらいいなと、少しは乙女らしい考えもあるのだ。
 ……多分、すずかには敵わないけれど。
「ところでアリサ、観たい映画って何?」
「ああ、それは観てからのお楽しみよ」
「何だか僕、凄く不安になってきたよ?」
 受け身気味なユーノに、勝ち気なアリサ。普通、デートは男がリードするもの――らしいが、あんまり関係ない。
身の回りにカップルがいない以上、比べる相手がいないのだ。
「カップル、か……」
 自分で口ずさんで、顔が赤くなる。それが恥ずかしくてまた顔が朱に染まり、
アリサは握っていた手に力を込め、少年を強く引いた。
ユーノは訳が分からないようで、戸惑うがままに着いてきていた。

「さて、着いたわね」
「相変わらず大きいよね、ここ」
 ショッピングモールの隣に新しくできたシネコンは、かなりの収容人数を誇っている。
アリサは携帯の画面を受付に見せ、あっという間にチケットを取ってきた。
ユーノに言わせれば、そっちの方がよっぽど魔法なのに、と言う。
確かに、極限まで発達した科学は魔法と区別がつかないと、誰かが言っていたような気がする。
「それで、結局何の映画なの?」
 訝しげに聞くユーノに、アリサは無い胸を張って答えた。
「それはね……ふっふっふ、ホラー映画よ!」
 無表情で踵を返そうとするユーノの腕を、神速の妙技で捕える。
じたばたもがかれたが、まだ子供同士、腕力差があるでもなく、しばらく押さえ込んでいたらやがて大人しくなった。
「もしてかして、あたしと映画を観るの……嫌だった?」
 潤んだ目でユーノを見上げ、お願い光線を放つ。うっ、と少年は身じろぎ、狼狽していたが、やがてぽつりと告白した。
「僕、恐いの苦手なんだ」
「うん、知ってるわよ、それくらい」
「そっか、それなら良かった……って全然良くないよ!」
 しれっとした顔でチケットを二枚、係員に渡してアリサは席に着く。その隣にはユーノ。
もうまな板の上に載った鯉だ。程なくしてブザーが鳴り、辺りが暗くなる。
コミカルな広告が挟まった後に、いよいよ本編が始まった……
『だっ、誰だ?』
『私じゃないわ、他に誰かいるのよ!』
 嵐で洋館に閉じ込められた主人公たち。謎の影が空を舞い、一人、また一人と失踪を遂げていく。
切り裂くような悲鳴。おぞましささえ含む演出。
「い……いやぁーっ!」
 その中で、一番悲鳴を上げていたのがアリサだった。
背中のすぐ後ろに誰かが常にいて、その肩を撫でてくるような心地がした。
破裂音、ガラスの割れる音、挙句の果てには登場人物の足音にすら恐怖を感じ、隣にいるはずのユーノの手を握ろうとした。
「あ、あれ?」
 アリサの手は宙を切った。恐る恐る指先を下ろしてみると、しっかりと太ももの感触がある。
けれど、肝心の手がない。腕がない。画面に釘付けにされてしまって、その横顔を見ることもできない。
と、その瞬間、最後の女性が何者かに攫われ、姿を消した。同時に、首筋を冷たい指がなぞっていき──
「あっ、ああっ……」
 そしてアリサは気絶した。

「もぅっ、何てことするのよ! すっごく怖かったじゃない!」
「あはは、ごめん。でも、僕よりも怖がってるなんて面白くて……ぷふっ」
「笑った! 今笑った! ユーノなんて大っきらい!」
 ぷんすか。映画館を出た後、アリサはユーノに肩を借りてえっちらおっちら歩いていた。
疲労しきった頭と身体を、ジュースでゆっくりと冷やす。
一方のユーノは、何をどういう化学反応で乗り切ったのか、『ホラーは嫌だ』とばかりに逃げ切ろうとしていた割には元気だった。
「怖がってるアリサが可愛いかったから」
「ばっ……バカバカバカ!」
 端からはクスクス笑われている。非常に微笑ましい光景なのだろう。
アリサはそれが妙にムカムカ来て、それっきりむすっと黙り込んでしまった。
そのまま無言で、乾燥した散歩が続く。ユーノも気まずそうにしていたが、互いに言葉はなかった。
 いつの間にか、開けた景色になった。
海鳴臨海公園からの潮風が鼻をくすぐり、ちらほらとカップルの姿が見えてくる。
何の気なしに公園に入り、すぐ近くに屋台を見つけた。
たい焼きの屋台で、気の良さそうなおじさんが真白のエプロンを着て頑張っている。
「あ、僕あれ買ってくるよ」
「行ってらっしゃい。食い逃げだけはしないようにね」
 つっけんどんな言葉で突き放し、近くのベンチに腰を下ろす。
 ああ、空が青い。かもめが空を飛んでいる。凄く、平和だ。
闇の書事件なんてなかったし、ジュエルシードなるフェイトの事件も、最初から海鳴で起きなかったようだ。
「はい、買ってきたよ」
 包みを片手に戻ってきたユーノ。機嫌は中々収まらないように見えて、クゥと腹が鳴る。
ユーノはそれに気付かない振りをしてくれたのか、それとも本当に気付かなかったのか、
たい焼きを取り出してアリサに渡してきた。
「はい。美味しいよ?」
 無言で受け取り、一口齧る。すると、小倉のほっこりした甘さと、
薄目に焼かれた皮のサックリ感が何とも言えないハーモニーを奏でて、アリサは自然と破顔した。
「うん、ユーノの言う通りね。確かに美味しいわ」
 はむはむと舌鼓を打つ。二人並んで温かい陽光の下、和やかに時は過ぎる。
食べ終り、包み紙をゴミ箱に放ると、ユーノは立ち上がってアリサの手を取った。
「さて、お次はどちらまで参りましょう、お嬢様?」
 『お嬢様』と呼ばれて気が良くなり、ふんぞり返って立ち上がった。
威厳たっぷりに歩き出し、くるりと振り向いて笑いかける。
「じゃ、公園の展望まで付き合ってくれるかしら、ユーノ?」
「喜んで」
 ピクニックコースの散策は久しぶりだった。まだまだ枯れ木ばかりだが、
逆に落ち葉が沢山散らばっていて、足元はそれなりにふんわりしている。
中には、スイレンのように早くも咲き始めているものがあるようだ。春はもうすぐ、そこまで足音を近づけていた。
 そうして到着した世界は、風が吹く気持ちのいい丘だった。
遠く水平線が見渡せ、海鳴の街並みがジオラマみたいに縮小されて見える、幻想的な空間が広がっている。
「なのはとは何度も来たけど、アリサとは初めてだね」
「そうね……」
 なのは。その一言が、何故か心に刺さる。
普段なら何てことない名前なのに、今日、今、この瞬間に限っては、何だか言って欲しくない名前だった。
「ねえ、ユーノは、ここにあたしと来るのと、なのはと来るのと、どっちが好き?」
 唐突に、アリサは聞く。わざとらしく考えているユーノが、物凄くイライラさせられる。
でも、同時にドキドキもさせられるのが、拭えない乙女の性なのだ。
「もちろん、アリサだよ」
 もったいぶって、結局それである。笑顔が爽やかなのは結構なことだが、他に言うことはないのか。
……とか思っていたら、ユーノに核弾頭を投下された。
少し控えめに、だけど強い意志で、まるで告白の時と同じ空気が、二人の間に流れた。
「だって、アリサの方が……可愛いから」
 一瞬、時が止まる。ザァッと強い風が吹き抜けていき、細かい埃が舞い上がった。
アリサの顔は瞬時に真っ赤になって、血が上って何にも言えなくなってしまった。
ただ、口がぱくぱく言うだけで、言葉が形になって出てこない。
「それに、アリサは強いしね。僕には敵わないよ」
 多分、それは、普段気が強いことを指して言っているのだろう。でも、本当はそうではないのだ。
溜息を一つ、ユーノに『本当のこと』を知って欲しくて、小さく吐露した。
「あたしは強くない」
 それは、本当の心。今までひた隠しにしてきた、偽らざる気持ちだった。
ワンピースの裾を頼りなく揺らして柵に寄りかかり、腕を預ける。
「あたしは、本当は全然強くなんかないの。意地だけ張って、空っぽの勇気だけ見せかけてる、嫌な女なのよ」
 なのはのように、刃を向ける相手に最後まで立ち向かえない。
すずかのように、誰にでも優しくできない。フェイトのように、自分の弱さを認められない。
「いつまで経っても、あたしはあたし。都合よく白馬の王子様が現れたりなんてしないし、
明日から格好良くしようだなんて、とてもなれない。要するに、あの日のままなのよ……
なのはと友達になる前の、『従うことが何かに負けるような気がしていた』あたしと」
 情けなくなってくる。周りはどんどん大人になっていくのに、一人だけ子供のままな気がして、それが凄く、寂しい。
ユーノだって、いつか大人になる日が来る。その日にちゃんと、自分自身も大人になれているのか、その自身が全然ない。
「……ごめんね。せっかくあたしからデートに誘ったのに、こんな時化た話なんかしちゃって。つまらないわよね?」
 居たたまれなくなって、柵から手を離し、踵を返そうとする。
きっとユーノはその手を取ってくれるのだろうと、打算的な自分がまた嫌になった。
「待って、アリサ」
 案の定というか、何というか。ユーノは手を握ってくれた。
けれど、そこから先に待っていた台詞は、アリサの予想を超えるものだった。
「僕は、そんなアリサが好きなんだ」
 心の底から、じんわり暖かくなっていくものがある。でも、それをアリサは認められなくて、頭を振った。
すると、後ろから腕が回ってきて、身体ごと抱きしめられた。寒空の下、少年の体温が暖かい。
ずっとそうしたいと思っていると、ユーノはそのままでいてくれた。
「分かってた。僕は何も格好良いところなんてない、ヘタレと言われればそうかもしれない。いつも、アリサが言っているようにね」
 罵倒半分、愛情半分で口癖のように呟いていた言葉。
それをすっぽり包み込んでしまっているユーノは、一体どこまで底が深いのだろうか。
どうして、いつもつっけんどんなことしか言ってあげられなかったのに、そんなアリサを好きになってくれたのだろうか。
「僕はね。アリサが放っておけないんだ。一緒にいて、守ってあげたい。
なのはもなのはで危なっかしいところがあるけど、あっちは大丈夫。
何より、『守ってあげたい』とまでは思わなかったから。
でも、僕は、アリサと一緒にいたい。一緒にいて、弱いところも、強いところも、分かち合っていきたいな、って思ったんだ。
僕じゃ……ダメかな?」
 ──ああ、こんなにも想っていてくれたなんて。
 アリサの目から、ポロポロと涙が零れ始めた。止まらない、止まってくれない。
今更、アリサは自分の気持ちに気付いた。
恋人ごっこがしたかったんじゃない、「好き」と言ってくれた人を、想ってくれる人を、ずっと求めていたのだ。
そしてそれは、すぐ後ろで弱い自分を受け入れてくれている。
 自らを変えてくれる『王子様』は、こんなにも身近なところにいたのだった。
「ありがとう、ユーノ、ありがとう……」
 回された腕をそっと握り返して、その手を頬に当てた。
こんなにも人の身体が暖かいと感じたのは、生まれて初めてだった。
風はその刺し抜く冷たさを和らげ、穏やかなものに変わった。
粋な計らいをしてくれたものだ、とアリサは自然の偶然に感謝する。
 勇気が沸いてきた。今しかないと誰かが警鐘を鳴らしてくれている。今だ、今やれ。すぐ。
「ね、ユーノ」
「なに、アリサ?」
 言うが早いか、アリサはユーノの腕を振り解いて、対面した。そのまま、くいと背を伸ばして、ユーノの顔に近づいて……
「ちゅっ」
 精一杯の気持ち。ユーノが言ってくれた、『好き』って気持ちへの、小さくて大きなお礼。
当の本人はぼけーっと一瞬何が起こったか分からない顔をしていたが、やがて目玉焼きが作れそうな程真っ赤になった。
本当に、可愛い。
「あ、アリサ……」
「うるさい! さっきは迷惑かけちゃったから、そのお詫びよ。
……あたしのファーストキスなんだから、ありがたく受け取っておきなさい」
 そっぽを向いて、すたすたと展望台から離れる。もう、恥ずかしくて、ユーノを意識しすぎて、ユーノを好き過ぎて、
とても見つめ合うのには耐えられなくなってしまった。
もっと顔を見ていたいのに、そんなことをしたら頭がどうにかなってしまいそうだ。
 後ろから追って来たユーノが、何事もなかったかのように手を握ってきた。
二人、横に並んで歩いていると、本当に頭が沸騰してしまう。
「きょ、今日だけは特別なんだからねっ」
 どうしようもない気持ちを隠すこともできず、アリサははにかみながら指を絡めた。
ワンピースの裾が小さな風にはためいて、フリルを可愛らしく揺らした。

 その後、どこからともなく噂を聞きつけて茶化してきた狸に、アリサは鉄建制裁を加えた。
(了)

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