銀河鉄道紀行

「次は『彗星図書館』、『彗星図書館』。停車時間は……」
 そんな声が聞こえた時、一人の青年が大きなあくびをしながら目を覚ました。軽く擦り、寝起きで赤くなった目に映るのは……虚無。 真黒な空間に、ぽつりぽつりと小さな明りが見える。そしてそれらは全て恒星、或いは恒星間飛行をする列車やロケットの類。 惑星はオールトの雲から早脱出しようというこの距離にあると、どれがどれやら天球図でも見ないと分からない。
 ふと青年が視線を横にずらすと、翠色のシートに木の座席。そこに座り、また荷物を取るため立ち上がった人々の姿。 彼らは須らく「銀河鉄道紀行」の出現を待ち詫び、そして実現の日が訪れ乗り合わせた人々。
 皆が皆満ち足りた笑顔で、少年少女の頃を懐かしむように、青春の幻影に今の自分を重ね合わせるように、 全員が深い感慨を胸に抱いて、この果て無く長き旅へと赴いたのだ。

 嘗て「銀河鉄道999」に描かれたままの世界が実現して早半世紀。乗換えを必要とせずアンドロメダまで進む銀河間飛行装置はしかし、ここ997号にしか無かった。 それだけ実験的設備であったことが、莫迦にならない切符代からも伺える。無論、そんな最新の科学を凝結させただけあって、乗りたがる人々もまた多かった。 抽選率は百倍を悠に超えた為、抽選方法は「宇宙に深い造詣を持ち、且つ切符代を先払いで完済できる者」とし、 三等、二等、一等と各々オーディションのように選ばれた、真に「999」を飾る乗客に相応しいと思われた者が最終的に選ばれ、そして現在に至る。
 遂に列車は停車し乗客を吐き出した。三等車に当たる後部からは普段着の者が大量に、 真中の二等車からは程々の人数が程々に着飾って、一等車からはポツポツと盛装の者が降りていった。 だが所持金の多寡に関係なく、皆聖像を見る敬虔な教徒の様に、上下感覚も大地の感覚も無いフワフワした彗星図書館へと乗り出していく。
 二等車から降りる幾人もの乗客の中に、青年はやはりいた。名を星野鉄弥という。両親にその気は全く無かった偶然の名だが、本人は大層気に入り、 既に古典と化した「銀河鉄道999」をページが擦り切れるまで読んだ。そんな彼だから、駅に着くなりラーメン屋を探して立ち寄り、同じ注文をするのだ。
「ラーメンライス一つ」と。
 ここ彗星図書館は、銀河系で発行された全ての書物が商業同人に関らず全て置いてある。だがそれもアンドロメダまで往復するとなれば貸し出し許可は下りない。 鉄弥青年は一冊を無造作に引き抜いてページを開いた。既に単語としての借用語を残して廃語と化した米語で書かれており彼には読めなかったが、 そこからどことなく悲哀と妄執が滲み出ているのを見逃す訳にはいかなかった。

──世界には、夢を求め自由を求め、そして叶わずに散っていった若者達が大勢いる。だが霧と散り雲と散るだけではない。 そこには後継者、次世代という新たな希望があり、人は命のみならず希望も受け継いで生きているのだ。人の心に一度点いた灯は簡単には消えることはない。 そこに人がいる限り、希望の炎は燃え続ける──

 鉄弥青年は「来て良かった」と独りごちながら本を閉じ、棚へと戻した。手を離した時、微かに彼は感じた。 嘗て無念の下死んでいった者達が宿した炎を、自らの胸に──それが何を意味しているのか、彼は知る由もない。 だが確かに継承されたその想いを悟って、誰にも読めぬ本は静かにその熱を冷まし始めた。
 早いもので食事を済ませ図書館で感慨に耽るだけで、もう発車の時間が迫っていた。発車が近づくベルを耳に受けながら、青年は列車へと乗り込んだ。 それから幾程もせずして、排気音と駆動音を重く響かせながら、再び暗黒の虚空へと旅立っていった。
 但し、それで済まされない人々もまた、幾人かいた。簡潔に言って彼らは乗り遅れたのである。大抵は時間の潰し方や使い方を間違えた自業自得なのだが、 中には何らかのトラブルで列車に辿り着けない者もいた。だがそれを考慮するだけの時間は無いし、乗る前にこの手の確認は全員に間違いなく通達された。 銀河鉄道株式会社、殊この列車に到っては正確無比であるが故に融通の利かない非情な旅路なのである。

 汽車は往く。万感の思いを込めて今、アンドロメダ銀河への遥かなる路へと。果てに何があるかは車掌を含め誰一人知る術はない。 漫画とは違って機械を只でくれる星などないのだから。唯一行き先を知るコンピューターを積んだ全自動旅客機関車「997号」は、 知らぬ存ぜぬを突き通すかのように長く大きな汽笛を響かせ、続く長い旅に向け全速力で太陽系を駆け抜けていった。

***

──この世界には、時間を超越した空間というものが存在する。決して時計を信じてはいけない。信じることが許されるのは、己が信念の下にある時の流れと、 無比たる絶対指令「997号」の発車汽笛だけである。狂った時の場では、海流がそうであるように、扱いを知らぬ者は飲み込まれ二度と戻らない──

 如何に宇宙の科学を結集した銀河鉄道株式会社といえど、終点までの安全を完全に保証することは流石に不可能である。 従って保険料は取らない代りに死のうが消えようが自己責任の世界が、銀河には横たわっている。
 太陽系脱出により地球政府の権限が及ばなくなったここ、アルファ・ケンタウリ星系では自身の身分さえ意味を持たなくなる弱肉強食の世界がある。 その惑星系で唯一人が住む脈動惑星セフィロートに、997号は静かに降り立った。停車時間は地球標準で21時間30分。 乗客たちはその時間を頭に、記録媒体に刻みつけながら、次々と降り立った。
 哲弥が最初に向かったのは食堂である。しかも21時間とも時間があれば、2食食うことは簡単な為、まずはビフテキ、次いでラーメンライスと、「999」御用達のメニューを双方食う気でいた。
 入った食堂にはラーメンはなく、ビフテキだけがあった。哲弥はそれを注文すると給仕の持ってきた水を飲み、窓の外を見上げた。 到着は夕方というには若干早く、西の空に微かな茜色が見えるだけだったが、それが見る間に真紅に、次いで群青に染まっていく光景は圧巻だった。 大空を羽ばたく鳥達も、帰宅する鳥から外出する鳥へと、猛禽にも似た類から翼手の夜行種へとグラデーションしていく姿は圧巻だった。
 だが、哲弥は余りに綺麗な美景に、約束を失念していた。『ここ』は時間の流れが他と違うと。
 そして夜は更け星が一際大きく輝きだしたにも関らず、一向に料理は来なかった。時間の感覚が無いからにして腹も減らず暇にもならず、と物理的心理的に困ることも特に無いのだが、 鉄弥は不審に思って呼び鈴を鳴らし給仕を呼びつけた。するとその男は澄ました顔でこう言うのだ。
「あなた、ついさっき注文したばかりではありませんか。流石の私共もこのような短時間では料理をお出しすることはできません」
 首をかしげながらも「そうか……確かについさっきだったな……」とだけ呟き、椅子に深く座り込んだ。その刹那。
「ビフテキをお持ちしました。注文は以上ですね?」
「あ、ああ……」
 さっき注文したはずのビフテキが、瞬間に来た。このような事象が有り得るのだろうか。しかし考えて解決するものではない。 太陽系の中でさえ「科学なるもの」が如何に非力か、乗客一同身を以って身体に叩き込んだのだ。一つ前の星までは通じた常識が、今いる星では通じない。それが当たり前のこと。
 宇宙を往く者の掟に従えば、目下やることは一つ。何はともあれ鉄弥は、まず目の前のビフテキを平らげることから始めた。 腹が減っては戦はできぬとの古典的法則は、宇宙に於いてでも健在なのだ。  鉄弥はビフテキを食べ終ると寛ぐのもそこそこに会計を済ませ、店を出た。 二つの月が寄り添うようにぽっかりと浮かぶ夜空の下で、彼はやっと思い出した。この星が「脈動惑星」セフィロートであることを。
 どこからともなく連続した鼓動音が聞こえてくる。ゆっくりだったり早くなったりと不規則ながら、その音は途絶えることがない。 耳を澄まし音の源泉を探す鉄弥だが、どこからも聞こえているようで一点から響いているようでもあり、全く分からない。辺りを見回すが、人っ子一人いない──誰もいない?
 一匹の猫が鉄弥の横をさっと通り過ぎていった。小さな足音がセフィロートの地を揺らせ、街灯がチカチカと瞬く。 よほど弱った電球なのだろう、鉄弥が歩くだけで、地面への衝撃を与えるだけで瞬きが増す。まるで心臓のような……
 すると突然、辺りに地鳴りが響いた。同時にゆっくりと重力から開放されるかのような感覚が、鉄弥の胃臓からせり上がって来た。 周囲の景色は歪み、脳髄に直接電流を流されたかのような不覚が襲う。目は眩み耳は鳴り、最早何も嗅ぎ取れない。 続いて今度は地に身体が押し付けられる感覚。丁度、上り下りの激しいエレベーターのような……
 そしてまたも突然、重力の感覚は元に戻った。地鳴り耳鳴りもなければ眩暈さえない。眼前の光景に一見変化はないが、嫌に静寂が過ぎる。 寝静まっているそれではなく、もう誰もいないかのような。そんな惑星の異常性を物ともしないとでも言いたげに、太陽が顔を出した。  相も変わらずトクトクと、どこからか鼓動音は続いていたが、先程と比べて明らかにテンポが速かった。異常な静けさもあって、鉄弥は軽く恐怖を覚えた。
そしてそれは車両内に逃げ込もうという本能的衝動に結びつくのに、大して時間は掛からなかった。
 確かこっちだったはずだ……と鉄弥が歩みを進める方向に、いつまで経っても駅舎は見えない。 鉄弥が思い描いていたのは、駅舎からせいぜい十五分の場所に食堂があり、そこから三分と歩かずに地鳴りがあったのだから、 本人が三十分と感じているだけの時間を移動すれば、方角さえ合っていればとうに到着しているはずだった。 一時間、二時間と徒に過ぎていくが、一向に駅舎はおろか一緒に乗り合わせた乗客の姿さえない。そこで鉄弥はハッと気付いた。まさか、乗り遅れてしまったのではないか……
 焦って走り出す鉄弥だが、仮にもう列車が出発しているとすればそれは完全に徒労である。そのことに思い至った鉄弥はへたり込んだ。 悔しさに涙が溢れる。何故汽笛が聞こえなかったのか、もっと早く列車に戻らなかったのか。いや、そもそも降りなければ良かった。初めから乗らなければ──
「若いの」
 鉄弥は飛び上がって驚いた。誰もいなくなったと思っていたこの星に、確かに一人生きている。
「驚かせてすまなんだ、どうだい、家で茶でも飲んで行かんか?」
 見た所老人の男は、鉄弥に向かって手招きしている。悔しいやら悲しいやらで、まだ決まってもいない事項を脳内で拡大して意識を侵食された鉄弥は、その申し出に疑いもせず、 一も二もなく頷いた。このことが後に自分を救う遇機となっていたなどとは、露ともしらない鉄弥だった。あっちへこっちへと歩き、老人の家に着く。
「昔、こういう銀河鉄道で取り残された若いのがいてな」と、老人の長話が始まった。
 彼は名をラインダースと名乗り、話を続ける。

「セフィロートは今でこそあのような列車が乗り入れる時代になったが、当時は土着の人々以外、誰も住んでいない星だった。 長距離移動の補給所として大層役に立ったが、それだけだった。脈動し時の流れが狂うこの星に、誰も会社を構えようとしなかった。それだけ気味が悪かったんだ」
 ラインダースは茶を一口含むと、咽込んで吐き出した。本人が言うに、もう命は長くないらしい。
「この星は、少なくともこの地方では、昼になると時間が引き延ばされ、夜になると縮む。丁度気体が熱膨張を起こすようにな。 どうやら星の中心が脈動していることと関係があるらしいが、誰も調べられなかった。気味が悪い以上に、時間に正確な機械などというものは用を為さなかったからだ。 例えば掘削ドリルは不規則な回転数でエンジンごと故障、時間を計測するメーターなど、故障はないはずなのにピクリとも動かんかった」
 老人はいくつか茶菓子を出してきて鉄弥に振舞った。鉄弥は疑いもせずに食べたが、薬も毒も入っていなかった。
「二十年前から、この星の脈動は不規則になってきた。人間で言うところの不整脈かの。自分でも患っているから、よう分かる」
 そう言って弱々しく自分の左胸をポンポンと叩いた。ラインダースは続けて、この星はもう幾日も持たないと話した。
「さっきの地鳴りはもう赤信号。この星が出した最後の警告。あれが出した電波だか音波だかで、この星に元々住んでいた生き物は死に絶えたよ。 恐らく、星に住まう者へ最後の礼なんだろうな。この星にロケットなんかの脱出機構は存在しないし、あっても脈動惑星の重力は何故か土着の者を離そうとしない。 十年程前に打ち上げられたロケットの中にこの星の者も混じっていたが、原因不明の空中分解を起こしよった。 それでも他の星の者は生きていたというのだから奇跡というしかあるまい……こんなところだ、この星の秘密は」
 老人が何気なく口にした『最後の礼』の意味は分からなかったが、鉄弥は訳の分からないこの星について、少しだけ分かったことに礼を言った。 ラインダースは頷くとやおら立ち上がり、小さな本棚の一番下にひっそりと佇む色褪せたノートを取り出し、鉄弥に渡した。 曰く、この『星』の生態記録を半世紀もの間書き続けたものだと。複数のノートを継ぎ接ぎして随分分厚くなったそれを感慨深く眺めながら、やがて目を閉じた。
「それは荷物になるから、読み終ったら捨てて貰っても構わない。旅路に無用な荷物は致命的だから。ただ私は、私がここで生きていたという証拠を、誰かに引き継ぎたかったのだ……」
 ラインダースは覚束ない足取りで暖炉脇の安楽椅子へと歩いていく。その煙突へ続く灰の塊は、 それほど寒くもない今時分の季節には灰色の沈黙を守っていた。鉄弥はラインダースに肩を貸そうと思ったが、近づくなと一蹴された。
「これ以上、死の床に近い者の傍にいるでない。お前さんには、鉄弥君、私の若き日も老いしも刻み続け、 時を封じ込んだそのノートだけを持っていって欲しい。爺の辛気臭さなど、若者の君には似合うまいて」
 やっとの思いで安楽椅子に座り込み、手脇にあった燐寸を取った。一本を取り出して擦った後、暖炉に投げ込んだ。 足とは違う力強さがあった。やや太めのそれは真直ぐ小枝の間に入り込んで、静かに燃え上がり始めた。
「これで、私の仕事は終りだ。一眠りするとしよう……鉄弥君、駅までは家を出た後、ひたすら真直ぐだ。 どこまでも、信念のように一直線に進めば、必ず道は開ける。……さぁ、行くんだ。まだ発車までは一時間以上ある……急げば、間に合う……」
 それだけ言うと、ラインダースはゆらゆらと安楽椅子を揺らし始めた。力なく揺れるそれはしかし穏やかで、座る者を真の安楽に導いているようだった。鉄弥は一礼してただ一言、
「お茶、ごちそうさまでした」
と言って家を後にした。ドアの前には長い道が伸びている。その果てには、懐かしき黒光りの列車が見えた。
 鉄弥は走った。列車に向かって、一直線に。発車が近い汽笛が鳴る中、風を切って鉄弥は走り続ける。 いよいよ列車の近くに人影が見えようという頃に、車掌が鉄弥の姿を見つけ、手を仰ぎ振った。鉄弥は安堵の息をついて、力いっぱい車掌に手を振り返した。

 ラインダースは安楽椅子の中で色々なことを考えていた。若い頃、無鉄砲でこの星に降り立ち、そして乗り遅れてしまったこと。 銀河鉄道株式会社の約款で、どの列車に乗ることも許されなくなり、どうしようもなく彷徨ったこと。この星の秘密を調べる為にありとあらゆる機械を試してみたこと。 この星で素敵な女性を見つけたこと。生まれた子供が自分より先に死んだこと。先の地鳴りで女房も冷たくなり始めていたこと。そして、最期に会った青年のこと……
「実に、素晴らしい人生だった」
 力なく笑みを浮かべ、掠れた声を漏らす。その笑顔を貼り付けたまま、ラインダースは静かに眠りについた。
 安楽椅子はいつまでも揺れ続けていた。

──命がいつ尽き果てるかは誰にも分からない。時に長く時に短い。だが命は必ず一度、どこかで力強く輝くのだ。 それが最後の光なのか、若き光なのかは、やはり誰にも分からない。一つ確かなことは、宇宙に於いて命が輝く時、近しい者を巻き込むことはあっても、 無頼に流浪する時の旅人に対して、彼らは悪さをしないということだろう──

 脈動惑星セフィロートが内部から爆発を起こし粉々に砕け散ったと列車に連絡が入ったのは、それから三日後のことだった。

***

──若き日々と同じものを見聞きすると、人は追憶する。そして皆が口を揃えて同じことを言うのだ。「昔の方が良かった」と。 だが果たして、時を止め永遠の中に生きる機械に、懐古の神経はあるのだろうか。そして、彼らは何をその口から語るのだろうか──

 セフィロート消滅の知らせを受けた翌日の朝、鉄弥は古ぼけたノートを開いた。
 題名のない表紙、黄ばみ今にも破れそうな中身。  腫れ物に触るようにゆっくりと、鉄弥はページをめくり始める。

23xx年 6月18日 快晴 暖かい
 この星に来てから大分経った。確か一週間のはずだ。だから今日を祝して日記を付けようと思う。この星の調査結果を主に書いていくことになるだろう。

23xx年 6月19日 晴れ 暖かい
 この星ではどうやら時間の流れが私のいた星とは違うようだ。夜はロケットよりも早く過ぎるし、昼間は旧式の航空機より遅い。 現地人とはまだ出会えない。ロケットについていた計器類は、軒並み故障してしまった。これは何か、墜落の衝撃以外にも原因があるのだろう。

23yy年 2月12日 雨 やや寒い
 今までは地球標準時で書いていたが、そういえばこれが役に立たないことに今更気が付いた。 半年以上気が付かなかったのには、今までが生きる為の行為が連続して、そんなことに気が回らなかったからだろう。 この星の雨も、私がいた場所よりも大粒だ。やっと私はこの星の環境に慣れて、落ち着いてきた頃なのか。

23yy年 2月13日 雨 寒い
 さて、今まで研究してきたことをまとめてみようと思う。
 まず、この星は現地の人々から「シャーリュワ」と呼ばれている。「規則的に動く地平」という意味らしい。触りだけでもこの星について知っていて良かったと思う。
 次にこの星の時間体系だが、昼は遅く夜は早いと以前書いた。それだけではなく、この星には「鼓動」があり、これが俗に脈動惑星と呼ばれている所以と観て間違いない。 夕方から宵の口までは、私が思っている以上に不規則な時間系で、あっという間に何十分も経ったり何時間も経ったつもりでその実数瞬であったり、などということもあった。 ここの者からは変な目で見られることも少なくなかったし、私自身何がなにやら分からなかった。明け方もほぼ同じ狂い方をしていたことを付しておく。
 重力系については、地球とほぼ同じ感覚で過ごすことができる。銀河鉄道が時折ここに身を寄せるのも、地球人の感覚に合わせているからだろう。
 最後に地質系だが、残念ながらドリルなどは使えなかった。時間の乱れが機械にも及んでいるようで、 掘削しようにも回転は不規則に乱れ、最後には止まった。全く役に立たないし、歯も立たない。
 付則:結局私はグレゴリオ暦を使い続けることにしようと決めた。新しい暦を作ろうにも、この星では無意味そうだし、何より自分の誕生日が分からなくなるから。

23zz年 7月5日 雪 突き刺すような寒さ
 私は結婚した。クラウジェンダという女性だ。この星では婚前交渉など当たり前のようで、私達が結婚の兆しを見せたその日に、寝床に色々用意してあったのには辟易した。 この日記が読める人間が現れてしまうことを考えて、ここには詳細を書かないことにする。
 付則:生まれるのは母星のそれより大分早いらしい……

23pp年 8月20日 霙
 ツェプターが死んだ。高熱でうなされ続けたこの二週間、安息の日々は無かったが、息子には別な形で約束されてしまった。 最期に私に見せてくれた笑顔を私は生涯忘れないだろう。亡骸は共同墓地なる場所に土葬された。墓標を立てて、書いた。
「惑星を折半した生命、跡を残さずここに眠る」と。ちなみに、現地にはない習慣だ。

23pp年 9月11日 晴れ
 最近、脈動がおかしくなってきた。来た時に比べて少しずつ不規則になってきている。私のも、惑星のも。お互い寿命が近づきつつあるのだろうか。

23pp年 9月14日 曇り
 今日、突然頭痛と目眩がした。クラウジェンダも同じ時分に同じ症状が起きて、しかも倒れた。 他の者もそうだったから、これは全惑星的に発生しているのだろう。早急に調べなければいけない。

23pp年 11月30日 快晴
 原因が凡そ掴めた。この星は寿命が近い。十年か二十年か、私が死ぬか死なぬという頃にここは滅ぶ。 その前に、星が滅ぶ恐怖と苦痛からこの星を救おうという腹なのだ、シャーリュワは。 その為にわざわざ、人々を気絶させたり死なせたりしている。昨日のうちに、老人や体力のない者を中心に、また何人か死んだ。

23vv年 3月20日 曇りのち晴れ
 銀河鉄道が降り立った。アンドロメダ行きだそうだ。一月前から続いていた、健常な男さえ殺す強い波動は、今日明日で最大になるだろう。 あの着陸の際に出る衝撃。離陸も考えれば、シャーリュワが滅ぶのはいよいよ秒読みとなったようだ。私の命も限界に近い。 いや、このノートを誰かに渡す為の気力で生きていたようなものだ。ついさっきの波動で、古馴染みもクラウジェンダも死んだ。 私がこれ以上生きている云われも、もう無くなる。誰か若い者にノートを渡せば、もう私の命は尽きるだろう。
 付則:このノートはもう分厚くなってしまった。旅に持ち歩くには少々邪魔になることもあるだろう。だから、もしこれを受け取った者がいたら、読み終り次第即刻捨てて欲しい。

 ノートはそこで途切れていた。見開きページの半分。もう半分には、線が二本引いてあった。一本は紅く、一本は蒼い。 鉄弥にはそれが何を意味するかは分からなかったが、とにかくノートはスーツケースの中にそっと入れた。一番奥の方に、そっと。 彗星図書館で灯った炎は、それ自身によって燃え尽くされるまで取っておけ、と令しているように聞こえたからだ。
 鉄弥がノートを読み終るのに合わせたかのように、次なる惑星の到着を告げるアナウンスが高らかに流れた。
「次は、『追憶のミラ』、『追憶のミラ』。停車時間は四十七時間です」
 車掌の声が列車中に響き渡る。機械化人間が宇宙に跋扈する中で、敢えて人間の肉声。郷愁の旅路にあってこれほど相応しいものはない。 このような細やかな気配りが行き届いていることに、乗客は感謝した。車掌もまた、この仕事に誇りを持っていたことなどは言うまでもない。
 そして列車は、車掌が告げた「追憶」の名には程遠い、いかにも機械化しましてござい、というような金属光沢の輝くホームへと滑り込んだ。 駅前の通りも、ギラギラと頭上の光を全面から反射するくらいに機械化されていた。

***

 機械の身体を得た人間は凡そ「持たざる者」を差別する現代、丁度学歴のある者が無い者を無能者扱いするように、機械が万能であるかのような風潮が何処の星でも広がっていた。 そこを不用意に歩けば撃たれ殴られ殺される。華やかな街を汚すゴキブリのように、駆除される。個体の容姿が麗しければそれはそれで剥製にされるが、 既に死んだ者にとってそれは勲章にも慰めにもならない。それを知っている乗客たちは細々と列車を降りるか、そもそも降りずにのんびりと過ごすかの二択だった。 そんな中で、鉄弥は迷いもせずに列車を飛び降りホームへと足を着けた。
 確かにアンドロメダまでは遠い。訪れる惑星の数は一々数えていたら目が回るだろう。だがその全てが、見るもの聞くもの全てが一期一会なのだ。 鉄弥にとってそれを見逃すことは、命に代えてでもできない相談だった。降り立って後を振り向くと、車掌が行ってらっしゃい、と手を振っているのが遠くに見えた。 無論それは乗客を等しく送り出しているそれで、鉄弥一人に目を向けていた訳ではなかったが、それでも鉄弥は車掌に手を振って、莫迦のように大きな駅を後にした。
 ものの見事に機械化人しかいないことに、鉄弥は驚いた。口々に永遠の生を謳歌し、オクタン価の高いオイルを飲んでは、誰も彼もが騒ぎ立てた。 この星は裕福らしいと、どこかの乗客が言っていたのを鉄弥は思い出し、そして縮こまった。今はまだ何も起きていないが、命を狙われる可能性は常にあるのだから。
 駅前の大通りは機械化人用にはお誂え向きだが、生身の人間には何の意味もない品々しか置いていなかった。 一応、997号には一握りの機械化人も乗っていたはずが、彼らはこの街では溶け込んでしまっていて鉄弥には誰が誰かは分からなかった。
 店頭には様々なネオンが光っていた。新型量子リアクター──熱暴走の起きない核融合動力、遂に発売──、 分子形状記憶サスペンション── 一晩水に漬けて置くだけで新品同様の使い心地!──、磨礪剤専門店──あなたの機体を美麗にチューンナップ──、等々。
 鉄弥はここにいても仕方がないと振り向いた。そして元来た道を引き返す。喧騒に耳を傾けながらふとその方向を見ると、駅の裏側に通じる路地があった。 その方向からは何とも美味そうな匂いがしたので、鉄弥は警戒しながら足を進めた。平和ボケした片田舎の路地ではない、まして機械の帝国。 人間など所詮弱肉強食の弱者。訪れた星はまだまだ少ない鉄弥だが、それでもタイタンの楽園法を思い出す度に足が竦んだ。
 幸いにして凶悪な者には会わずに路地の向こう側へと辿り着いた。灯りの漏れる店からは、アルコールの匂いが漂ってくる。 機械化人の飲むオイル類ではなく、人間の飲む酒の匂いが──それ以上に、人間の匂いとでも言おうか、金属めいた堅さのない雰囲気が、そこかしこに溢れていていた。
 鉄弥が店に入った瞬間、客が一人大声を上げた。
「マスター、一人増えたよ! スコッチとシェリー頼む!」
 わらわらと座らされ、気付いた時には鉄弥はシェリーをグラス一杯飲み干して、スコッチのグラスを握らされていた。
「え、あ、アンタら……」
「気にすんな、今日は俺達のおごりだ! マスター、塩くれ、塩!」
 余りに多くの人間達に囲まれ、鉄弥は一種の人酔いに掛かりかけた。997号の二等車は精々平米に一人だが、ここには三人も四人もいる。 その皆が口からアルコールの呼気を吐き出しているのだから鉄弥でなくとも酔うというものだ。そして997号ではアルコールは禁止されていたから、 久々に飲む酒は美味いが同時に回るのも早かった。次から次へと飲まされヘロヘロになった頃、やっと皆が落ち着いて、次々と椅子に腰を下ろし始めた。
 場を取り仕切っていた初老の男が鉄弥にグラスを渡して、徐にそして臆面もなく切り出した。
「さて、おごりと言ったが半分嘘だ……土産話で払ってくれや。お前さん見慣れん顔だからな、銀河鉄道で来たんだろ?」
 そう言って差し出されたのは甘いカクテルだった。香りがベリー系のスパークリング。既に飲みまくっていて飲み逃げもへったくれもないと観念した鉄弥は、 それをゆっくりと手に取り、口を開いた。地球のこと、火星のこと、タイタン、冥王星、彗星図書館。太陽系を脱出してからは何週間も暗闇の中を走り続けて暇だったこと。
 その一つ一つを聴く度に、男たちは大変な笑い声を上げた。
「おい、聞いたか、火星だってよ!」
「おぉ、おぉ。聞いた、聞いた。そんな廃れちまったのかよ、俺の故郷はよぉ!」
「おい、誰かタイタンに行った奴いただろ!」
「俺だ……あの時は、身包み剥がされそうになって怖かったぜ……」
「なぁに言ってんだ、お前が剥く側だろうがよぉ!」
 何処の話をしても、何の話をしても、必ず食いついて笑い合っている男たちに、いつしか鉄弥も気分が大きくなって大声を上げた。
「なぁ、俺は、アンドロメダまで行くんだ! 帰って来る時にまた土産話をするから、その時はまた頼むよ!」
 そして話が近隣の惑星となると、男たちはしんみりした空気を漂わせ始めた。
「俺はそこの星から逃げてきたんだ。人間狩りが激しくて、女房もせがれも殺された。だが俺だけは生きてやろうと思った。 だからこの星まで来たんだ……この星は居住区が分けられているから、下手に駅向こうまで行かない限りは死ぬこたぁねぇ。それと」
 さっきは飲めないと言ったはずの酒を一息に呷って、
「お前さん、銀河鉄道のパスをチラつかせてみな。奴さん、泡吹いて逃げ出すぜ。『銀河鉄道』ってやつは、機械もビビっちまうんだからよぉ!」と付け加えると、
その姿を皆が想像したのだろう、酒屋は盛大な笑いに包まれた。そして見計らったように、初老の男は袖をまくった。 そこには、アルミと炭素とチタンでできた軽金属のアームが取り付けられていた──いや、そこだけシリコン樹脂が剥がれていた。
 男の話によると、一度は機械化を選びその姿になったが、やがて自分も機械であるという自己矛盾に耐えられなくなって、 シリコン樹脂を体中に貼り付けて人間と同じ居住区に引っ込んだというのだ。 他の男たちも、大なり小なり似たような理由で機械の身体に人間のテクスチャーを貼り付けて、人間だった頃と同じように生きている。
「ま、流石に酒は満足に飲めねぇけどな。お前さんみたいに、こうやってたまに来る列車の奴を引き寄せては飲ませてる訳だ。儲かることじゃないが楽しいからな、皆辞めたがらねぇ」
 機械を纏って尚人間であり続ける者がどのような仕打ちを受けるか、鉄弥にも朧気に予想が付いた。人間と機械、どちらの集団にも所属することが許されず、 吹き溜まりのように集まっては日雇いの仕事、その繰り返し。だが鉄弥は同情など一切しなかった。いや、今満面の笑みで自分を迎え入れている『人間』に、何を同情することがあろうか。
 応えるように鉄弥はグイッと酒を飲み干し、お代わりを注文した。笑いの絶えない夜はいつまでも続いた。
 夜が明けた頃にはたっぷり二十時間は経過していた。酒場は寝静まり、朝日が差し込むテーブルには突っ伏した鉄弥と飲み潰れた男たちの死屍累々が転がっていた。 調子に乗って酒を飲んだせいだ、次に目が覚めたら二日酔いにも似た故障が出ると知っていながら、 ガブガブと飲み明かした男たちの清々しい寝顔は、『今』を精一杯楽しんだ満足感で満たされていた。
 鉄弥の方も無傷では済まされず、発車時刻が迫るまで昏々とぶっ倒れたままだった。時間が迫った頃にマスターに起こされ、沢山の抱擁と共に、「追憶のミラ」を後にした。
 彼には、その星が「追憶」と呼べる理由が、分かるようになっていた。その一方で何が「追憶」なのかは、列車を降りなかった者には一生分からないだろう。 そして、宇宙の掟──機械上位の世界を理解していない者の中には、この星でその一生さえ閉じてしまい理解の道を永遠に閉ざされた者も混じっていた。
 汽笛が長く大きく、「追憶のミラ」中に響き渡った。鉄弥は、遥か彼方へと遠ざかりつつある地表に、手を振る『人間の』男たちがいるように見えた。 鉄弥は窓を開けると、今はもう小さくなってしまった酒場へ大手を振った。

──その場所で圧政を強いられ苦しい生活だったとしても、それは人々から笑顔が絶やされたことを意味する訳ではない。 更なる重圧に苦しんでいる者からすれば、そこは紛れもない天国なのだから。人は決して見た目で判断してはいけない。 同じように、環境で判断することも彼らには失礼なのだ。宇宙の男が訪れる場所に、絶対などない。生き残りたければ、そこで繰り広げられている姿を捉える必要があるのだ──


[続]


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