「ただいまやー」
その日、はやてが学校から帰ってくると、家の中は奇妙に暗くて、不思議に静かだった。
「なんや、誰もおらんのかいな?」
授業が終った後、立てるようになった足で図書館に通いつめる。
そして閉館と同時に出て、各々の仕事から帰って来た騎士たちと食事をするのが、このところの日課だ。
確か今日の食事当番は、シグナム。

自室に戻り、鞄を机の脇に掛ける。ベッドに寝転がると、その上には物言わぬ十字架が置かれていた。
「シュベルトクロイツ……今日はお前だけがそばにいてくれはるね」
多分、行き違いで皆は買い物に行ってしまったんだろう。
重みさえ感じられる階下の闇に、足を踏み入れる気は起きなかった。
「ん」
だが、フラッと部屋まで来たものだから、重要なことを忘れていた。
「手の一つでも洗っとこか」
最近、巷では悪い風邪が流行っているようだ。クラスでも二、三人が休んでいる。しかもとっかえひっかえに。
一階の宵闇よりも重い腰を上げて、はやては階段を降りた。

洗面所から出てくると、ダイニングに妙な気配。
ぼうっと、ゆらゆら揺れる霊魂のような――
「だ、誰!?」
返事はない。ただ、部屋内の雰囲気が変わったようだった。人の気配がする。
ごくりと唾を飲み込むと、意を決してドアを開けた。すると……

「はやてちゃん、おめでとう!」

クラッカーが盛大に鳴った。
割れんばかりの拍手と共に、明かりがパッとつく。
そこには、すずかやヴォルケンリッター、なのはたちの姿があった。
「主はやて、無礼をお許し下さい。誕生日パーティーというものを企画したのですが、
本人には秘密にしていた方が面白いと」
シグナムが進み出るが、はやてはぽかんとしたままだった。
「どうしたのですか?」
「……えっと、今日、私の誕生日やったっけ」
場がずっこけた。
「はやて、もしかしてボケちゃった?」
フェイトが心配そうに聞く。
「いや、その発言自体が大ボケや」
はやては全力で否定し、そして話し始めた。
「私、ずっと一人やったから。誕生日にお祝いやなんて、やったこともあらへん。
それに、去年はみんなが来たばっかりでバタバタしとったからな。
せやから、誕生日ってのは、私にとってはどうでもいいモノだったんや」

あれから一年も経つのかと、しみじみとした深い感慨が覆う。
はやてとベルカの騎士たちが出会ってから、そして闇の書――夜天の書と別れを告げてから、
もうそんなに年月が過ぎていたのか。
「でも、すっごく嬉しいわ。みんな、ありがとう」
はやてが頭を下げると、また拍手が沸き起こった。
「早く食べないと、お料理が冷めちゃうわよー」
シャマルが食器を取り出しながら、コップにジュースを注いでいる。
先程から漂ってくる得も言えぬ匂いが、食欲を刺激して仕方がない。
「見ての通り、シャマルはジュースを注いでるだけだ。料理はほとんど全部なのはが作ったから安心してくれ」
ヴィータがそっと耳打ちする。はやては苦笑しつつも、どこかで安心している自分がいた。
「それにしても――」
なのはの手料理を、しかもこんなに手の込んだフルコースディナーを食べるなんて、退院祝いの時以来だ。
「なのはちゃん、味噌汁一杯作らせても実力がぎょうさん納得できるからなあ。楽しみで仕方ないわ」
既に唾が口の中で踊っている。もう待ちきれない。
ローストチキンに野菜たっぷりのスープ、真ん中にはどうやって焼き上げたのか見当もつかないほど、
大きなイチゴのケーキ。
上に乗っているチョコレートのプレートには、
『たんじょうびおめでとう これからもよろしくね』と書かれていた。
「はやて、ロウソク立ててもいい?」
アリサが色とりどりの小さなロウソクを持ってきた。
「あ、はやてには熔けやすくて低温のロウソクの方がいいかしら?」
「私はヘンタイかっ! そんなもんいらへんわっ!!」
アリサのボケに思わず突っ込むと、フェイトがぼそりと言った。
「わ、私はお兄ちゃんが望むなら……ううん、なのはに言われても……」
あくまでブツブツと、まるで独り言のように聞こえたが、とても独り言ではなかった。
本人に聞こえなかったのは幸いといえよう。

ロウソクを10本、等間隔に立てる。
「なんや、もう私2桁になってしもうたんか」
改めて驚くと、周囲から笑いが起こった。
灯りを消し、ふーっと一息で全てのロウソクを消し去ると、再びの拍手。
その後はもう、飲めや歌えやの大騒ぎ。
すずかと一緒にジュース一気飲みのパフォーマンスをすると、負けじとアリサも盃を飲み干す。
──ノンアルコールでココまで騒げるのも、珍しい話だった。
料理もまさに絶品。なのはにコツを聞いたり、隠し味の秘儀まで教わった。
「ホントに美味しいわね、なのはの料理。誰かさんが羨ましいわ」
アリサがチラリと横目でユーノを見る。
「あはは。なのはちゃんのお婿さんになった人は、きっと幸せやね」
少年が顔を赤くして無言になるのを、はやてはニヤニヤしながら見ていた。

「さーて」
食事会も終り、宴もたけなわといった時になって、はやては冷蔵庫へ走っていった。
「今日は誕生日祝いや!」
ドスン、と置いた茶色い瓶のラベルには、「ヱビス」……?
「飲んで飲んで飲み明かすでー!」
フェイトが「ダメだよ」とか何とか言うので、思いっきりコップに注いで飲ませた。
すると、一口でダウン。
「ふみゅ〜」
ぱたりと倒れ込むフェイト。
慌てて駆け寄るなのはを尻目に、はやてはアリサたちに注いでいく。
「っていうか、コレ中身摩り替えた『泡の出る麦茶』なだけなんやけど」
グラスに注ぐと、確かに炭酸水と麦茶を混ぜただけのものだった。
「まさか、本物なんて買える訳ないやん? 雰囲気作りや、雰囲気作り」
じゃあ何で瓶だけここにあるのよ、というアリサのツッコミには聞こえないフリをした。
「まさかの組み合わせだね。でも、美味しいと思うよ」
すずかがコクリと飲み込んで感想を述べる。
それが契機となったのか、なのはやユーノも次々にコップへ注いでいく。
「フェイトちゃんは離脱か……」
まさか仮想アルコールで酔われるとは思わなかった。
介抱するクロノの目は真剣そのものだった。
「ごめんな、フェイトちゃん」
ちなみにこの後、復活したフェイトが一番大騒ぎしたのはお約束か。

すっかり飲み物も食べ物も尽きると、皆からはやてへとプレゼントが贈られた。
「主と共に過ごしたこの1年、かけがえのないものでした。
これは、私たち騎士から心からのお礼です」
受け取ったのは、以前から欲しかったスカートだった。
ちょっと値が張るから、そのうちそのうちと延ばしていたものだった。
「もしかして、最近帰りが遅かったのは……」
ハッとはやてが気付くと、シグナムは恭しく礼をした。
「いえ、これしきの仕事何でもありません。ひとえに、皆が主はやてを想うが故」
「シグナム……みんなも」
ヴィータは鼻頭を擦り、シャマルは終始ニコニコしている。
ザフィーラはといえば、顔を向けようともしない。照れている証拠だ。
「ありがとう、ありがとう。大切に着るな」

嬉しさに飛び上がろうというのに、まだまだプレゼントは続く。
「はやてさんはお料理が上手だ、って聞いたから。
これはハラオウン家からのプレゼントよ」
そう言われてリンディから受け取ったのは、ナイフのセット。
刺身に肉、リンゴからカボチャまで、これ一式でスッパリだ。
「ありがとうございます、リンディさん」
頭を下げると、リンディは首を横に振った。
「お礼ならフェイトに言ってちょうだい。あの娘が選んだものだから」
フェイトに目を向けると、照れたようにもじもじしている。
「どう、かな? 喜んでもらえると嬉しいな」
「何言うとるねん! 毎週だってパーティー開いたるっ!
ありがとな、フェイトちゃん」

ユーノとなのはからは、赤いワンピース。
「シグナムさんたちと被っちゃったね」
にゃはは、と笑うなのはに、はやては握手した。
「スカートはスカート、ワンピースはワンピースや。
私のためにわざわざ見繕ってくれるなんて、ほんまにありがとな」
早速着替えようと上着を脱ぎかけたところで、クロノの上ずった叫び。
「そ、そんなのは自分の部屋でやってくれ!」
はやては上着を下ろすと、「冗談に決まってるやん」とニヤついた笑いを浮かべた。
「それとも、クロノ君は私の裸見たくないんか? なんや女のプライドが傷ついてショックやわー」
いじけてみせると、クロノはオロオロする。
この顔、見ていて飽きない。きっとフェイトの家庭は楽しさに満ちているのだろう。

アリサからは、CDを一枚。
聞くと、自身で弾いたバイオリンの曲が入っているという。
「皆とおんなじプレゼントじゃつまらないかな、って思ったのよ。
あたしが一生懸命弾いたんだから、ありがたく聞きなさい」
つっけんどんに渡してくるのが、またアリサらしい。
早速ミニコンポに入れて再生すると、誰もが知っているクラシック。
ソロだけに実力の問われる局面だが、見事に演奏しきってみせた。
「おおぉーっ」
会場から思わず拍手が立ち上がる。
何でもまるまる一時間入っているらしいので、このままBGMにする。
──と、ここではやては一人ばかり姿が見えないのに気づいた。
「ん、そういえばすずかちゃんは?」
「ああ、すずかならさっきベランダに出て行ったわよ?」
ベランダ? よく分からない。
はやては目一杯のプレゼントを一度テーブルの上に置くと、居間を後にした。
「すずかちゃん?」
カラカラとガラス戸を開けても、そこには誰もいなかった。
入れ違いになってしまったのか、と訝っていると、突然視界が塞がれた。
家から漏れていた明かりも、空の上で明るく輝く満月も、どこかへいってしまった。
「だーれだ?」
その声を聞いて、はやては合点がいった。
突然、世界が灯りを消してしまった理由が。
「すずかちゃんやね」
「正解」
すずかの声と共に、また目に光が戻ってきた。
ヒョイ、と後ろから姿を現したすずかは、「ここ、座ってもいいかな」と傍の椅子を指差した。
首肯すると、はやてはもう1つの椅子へと腰を降ろした。
「さて、すずかちゃんがこんなことするなんて珍しいやね。何かドッキリでもあるん?」
カメラを探してキョロキョロする仕草をして見せると、すずかはクスクスと笑った。
「大丈夫、騙したりする訳じゃないから。ちょっと、お話したくて」
『お話』──か。

そういえば、このところすずかと差し向かいで話すことなんて少なくなっていた。
なのはを中心とした輪の中にすずかがいる、そんな感じ。
会話の場が、二人きりになる図書館から学校に変わったのも一因か。
「ええよ。ちょうどお祭り騒ぎも終ったし、皆からプレゼントももろたからな」
今頃、向こうではどんな話をしているのだろうか。
思いを巡らせながらすずかの言葉を待っていると、すずかはぽつりぽつりと話し始めた。
「はやてちゃん……ううん、なのはちゃんも、フェイトちゃんも、魔法使いなんだね」
「せやで。魔法少女なんて、なってみるとこれがまあ現実を目の当たりにするというか、何というか」
苦笑すると、すずかは「やっぱり、魔法が使えるとそれなりの悩みもあるんだね」と同意してくれた。
「でも、びっくりしたなあ。私の周り、なのはちゃんもはやてちゃんも魔法が使えるんだもん。
フェイトちゃんも、今考えてみれば納得かも」

すずかは一呼吸置いて、先を続けた。
「ちょっと、寂しかったかな。図書館友達って、はやてちゃんだけだったから」
今でも、たまにすずかと図書館で出会うことはある。
ただ、それは本を介してというよりは学友としての付き合いだった。
「だから、私からのプレゼントは、私とはやてちゃんが出会った、そのお祝い」
そう言って、すずかは薄くて広い包み紙を差し出した。
ちょうど、ノートと同じくらいの大きさ。
「開けてみてもええ?」と聞くと、すずかはニッコリと頷いた。
はらり、と丁寧に包装を取っていくと、そこには一冊の冊子があった。
「絵本?」
手作りなのだろう、見慣れたすずかのイラストが表紙を飾っている。
タヌキと月、それから星が笑っている。
「今、読んでもええ?」
すずかが首肯するので、はやては月明かりの下で絵本を読み始めた。

──あるところに、たぬきさんがいました。
とっても陽気で、月夜の晩にはいつも踊っていました──

そんな書き出しで始まる物語、『まんまるたぬき』は、山の寺に住む、たぬ吉が主人公。
仲間と一緒に、月の出ている夜は踊って歌うのが一番の楽しみだった。
ところがある日、満月の夜に踊っていると、せっかく出ていた月を雲が隠してしまった。
しかも、雨まで降り出してしまってずぶ濡れになってしまう。
山のてっぺんまで上っていって、雨雲にお願いすると、「星を取ってきたら出て行こう」と言われる。
仲間のために、とタヌキは山の中をさんざ探し回り、一かけらのホタル石を見つけると、雨雲へ差し出した。
「まさか本当に見つけてくるとは、あっぱれ」、と雨雲は素直に引き、空にまん丸のお月様が顔を出したのだった。

──そしてたぬきさんたちは、今宵も陽気に踊るのでした。
雨露に濡れた草から、雫がぽたりと落ちました。

「うん、うん」
はやては読み終ると、ほうと息を吐いた。
全体的に、満月の光に照らされた幻想的な風景が漂ってきている。
それでいて、タヌキたちが踊るのはお祭り騒ぎのように盛り上がり、メリハリが利いている。
最後の余韻もいい感じだ。
仲間のためにくじけずに頑張る、そんな意気込みが伝わってくる。
「すごく、すごく面白かったで、すずかちゃん」
お絵描きは少女の嗜みみたいなものだが、物語まで作れるとは思わなかった。
すずかは「ありがとう」というと、ハッと何かを思い出したように立ち上がった。
「私、ちょっとアリサちゃんたちのところに行ってくるね」
そう言うと、サッとベランダから家の中へと戻っていった。
一人残ったはやては、月を見上げた。
雨は降る気配もない。どこかでタヌキが踊っていても、そんなに不思議ではあるまい。
ふと、絵本に目を落とす。
すると、最後のページにメモが挟まっているのに気づいた。
可愛い便箋だ。
「何やろ、これ」
ぴらりと開くと、それはすずかからの誕生日メッセージだった。

『はやてちゃん、誕生日おめでとう。これからも仲良くして下さい。
私は、はやてちゃんの明るさが大好きです。
足、治って本当に良かったね。魔法の力だって聞いたけど……呪いが解けたってことなの?
ステキな王子様みたいな人が、はやてちゃんにもいるのかな。
もしまだいないようだったら、私がお祈りします。
はやてちゃんがずっと元気でいてくれることと、王子様が見つかること。
それじゃ、また学校でね。図書館でもお話できるといいな。
          月村すずか』

ぽたり、と雫が便箋の上に落ちた。
理由は分からないし、いつになっても分からなかった。
ただ、気がついたら頬を流れる雫があった。
「うっ……うっ……」
本にまた便箋を挟み込んで、はやては瞳から溢れ出る熱い流れを拭った。
「なんでやろ、悲しくも何ともあらへんのに……」
でも、止まらない。いつまでもいつまでも。



いつまでそうしていたのかは全然記憶にない。
ただ、我に帰った時、隣にはシャマルがいた。
「シャマル」
「はやてちゃん、もう6月とはいえ風邪を引きますよ?」
そう言って、ストールを肩にかけてくれた。
ハンカチを差し出されたので受け取り、目頭を押さえる。
そこから先、シャマルは何も言わない。
ただ、一緒にいてくれている。
「はやてちゃんは、良いお友達を持ちましたね」
月を見上げながら、シャマルはカップを差し出した。
中に入っているのは、琥珀色の紅茶。
「ありがとな、シャマル」
一口飲むと、ほのかな甘みと渋みが口の中に広がった。
聞けば、なのはが皆に振舞ったものだという。
「まあ……私じゃ戦力になりませんから」
シャマルが苦笑する。その顔を見るに、一度失敗して諦めたらしい。
それでも、感謝の念には変わらない。
「なあ、シャマル」
「何ですか?」
「もう少し、このままでもええか」
もう少しだけ、一緒に。

今、はやてはすずかが退席した理由が何となく分かった気がした。
そして、シャマルが来てくれた理由も。
「ありがとう、シャマル。凄く、あったかいよ」
心も、身体も。
はやては、シャマルと一緒にいつまでも月を見上げていた。

***

11年後。
「んー、やっぱり修羅場は遠くから見るに限るなあ」
はやては管理局で徹夜していた。が、別段仕事ではない。
ユーノが、部屋でなのはと大喧嘩しているところをリアルタイムで観察しているところだった。
「はやてちゃん……やっぱり隠し撮りはいけないです」
「そうは言うてもなあリイン、この半年以上一度も撤去しないし、っていうかリイン自身見てへん?」
「みっ、見てないです、なのはさんとユーノさんが……あ」
自爆した。
カメラの数は一つや二つではないから、なのはの話とは限らないのだ。
「まー、共犯ってことで。リインも聞く?」
イヤホンの片方を差し出すと、丁度二人の喧嘩が終ったところだった。

『なのは、ごめん。僕が悪かったよ』
『ううん、わたしこそ。ごめんね、あなた』
『なのは……』
『あなた……』

「きゃーっ!!」
叫んだのはリインだった。
仲直り早々、二人はベッドへ倒れ込んでいく。
それにしてもこの夫婦、ノリノリである。
「ダメです、まだ早いのです、えっちなのはいけないと思いますです!」
完全に混乱している。
「じゃあ何で目も背けなければイヤホンもはずさないん?」
はやての一言で、リインはむっつりと押し黙った。
「な、共犯やろ?」

のほほんと茶を啜りながら、二人の痴態を眺めるはやて。
後にリインが証言したところによると、間違いなくタヌキの耳が揺れていたという。

(了)



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