「はるちゃん、くすぐったいよ」
「ほらほらー、覚悟しなさ〜い。あ、泉君来たの。シャワーだけでも浴びちゃって。あたしたち今髪洗ってるから」
 『でもかなたちゃんにはシャワー浴びせないでね、包帯緩まっちゃうから』、と言うと、はるかはまたかなたの髪を洗うことに没頭した。ボリュームのある艶やかな髪は、肩口を少し超えているだけのはるかには大きな挑戦に映ったらしく、料理以上に気合を込めて何度もかなたの髪を梳いていた。
 そうじろうは曖昧な声で返事をすると、なるべくかなたもはるかも見ないようにして、且つ自分のも見られないように、シャワーを全身に掛けてボディソープをさっと手に乗せ、全力で身体を洗い出した。鏡の向こう側に何かが見えた気がするが、気にせず自分の二の腕を見つめ続けた。
「シャワー借りるわよー」
 横からシャワーホースを取っていってかなたに掛けている。その様子が目に浮かんだ時、湯煙の向こうに桜色の何かが見えた。あれは、まさか……
「ふいーっ、これでオッケー。それじゃ、次はリンスね」
 だが妄想は中途ではるかに遮られた。『それ、取って』と背中を突かれたら、覚めるものも覚めようというものだった。リンスを取って背中に送ると、『サンキュ』と小さく言ったはるかがまた引っ込んでいく気配を見せると、そうじろうは急速に冷静そのものになっていった。厳密には、色々と振り切れて感情が抜け落ちた。
 しかし、世の中振り切れようがそれでも尚無理矢理引き出させる要因というのもがある。一度沸騰しきったはずの感情が再燃し始めたのは、こともあろうにかなたの手がタオル越しに背中へと触れてからだった。
「な、何してるんだ、かなた?」
「何って、そう君の背中を流してあげようと思って」
 そうじろうは酸欠の魚がそうするように、口をパクパク開けて手を止めた。シャンプーの容器に伸びた手が固まる。
「ん、どうしたの、そう君?」
「あ、ああ、いや、なんでもない、うん、なんでもないぞ」
 もうちょっと手を伸ばしてシャンプーをだばだば手のひらにぶちまけると、そのまま頭に乗せてわしゃわしゃと泡立てた。
「変なそう君」
 『変なのはお前だ』と言いたい心と、言いたくない心が複雑に交錯する中で、かなたはそうじろうの背中を擦り始めた。人の背中を流すのは初めてなのだろうぎこちない動きで、丁寧に丁寧に擦っていく。
「そう君の背中、大きいね」
 改めてしみじみと言われると、そうじろうも悪い気はしない。つい、声を大きくしてしまう。
「ああ、気持ちいいぞ。かなた、ありがとな」
「そ、そう君、声が大きいよ」
 実際は誰かに聞かれるわけでもないが、何となく気恥ずかしいのもまた事実。その後は、はるかも含めて全員無言で、最後にかなたのリンスが洗い落とされるまで、張り詰めた緊張の沈黙が重く立ち込めていた。
「ふぃーっ、洗い終ったー。さ、入ろ入ろ」
 沈黙を最初に突き破ったのは、やはりというかはるかだった。真っ先に浴槽の蓋を開けて湯船に飛び込む。
「くはーっ、いい湯だねぇ」
「お前はオヤジか」
「いいから、泉君もかなたちゃんも、入ってきなよ。気持ちいいわよ〜」
「まずその前にどこうね、はるちゃん……」
 一人で広々と浴槽を占有されているのに、更に後二人入るのは無理な相談というものだった。はるかがどくと、かなたとそうじろうも寒いのなんのと我先に入っていく。
「はぁ、みんなでお風呂に入るのって修学旅行以来だね〜」
「そうだね〜。泉君もそれくらい〜?」
「ああ、それくらいだ〜」
 三人が三人ともぐでんと湯船に浸かっているのを見たら、仲の良い兄妹か何かだと思うだろう。だが実際は幼なじみ三人である。簡単には済まない話も、ある。
 一番困ったのがそうじろうの目のやり場。テーピングされた足は慎重に湯船から引き上げられているが、一方でもう片方は湯船に沈んでいる。それはつまり足を広げている訳で、その付け根に見えるものがなんであれ、そうじろうは目を向けることなどどうしても出来なかった。
 かといってはるかは悟りすぎている。夕食前のことがあったからか、目の前にそうじろうがいても物怖じせず、むしろからかうくらいの勢いでそうじろうにしなやかな肢体を見せ付ける。が、もちろん彼は見向きもせず目を泳がせていた。
「まったく、泉君は意気地なしだねぇ……」
 『どういう意味だ』と言いかけたそうじろうを軽くかわして、ニマニマと笑い続けるはるか。そうじろうは辟易しながらも一度だけチラリと見て、なんとも美しい丘陵がはるかにはしっかりあることを、目に焼き付けた。ちなみにかなたのはといえば、まな板の方がまだましだった。

「へ、へ……へくちっ」
 湯船で半ば微睡んでいたはるかがくしゃみをする頃、湯はそこそこに冷えてしまっていた。
「上がろうよ、はるちゃん。風邪引いちゃうよ」
「ん、そうだね……取り敢えず泉君はここに残るよーに」
「へいへい」
「はいは一回」
「へい」
 まずははるかに手伝ってもらってかなたが、次いではるかが浴槽から出て行った。暫く布擦れの音が聞こえたかと思うと、『もう上がってもいいわよー』とはるかの声。そうじろうが脱衣所に戻ると、残念ながらかなたの服もはるかの服もどこかへ消え去った後だった。
「残念……」
「んー、何が、泉君?」
「い、いやなんでも」
 どうやらドアのすぐ外で聞いていたらしいはるかが質問してきたが、そうじろうは答える訳にもいかず、さっさとトランクスを穿いてジャージをその上に着た。
 廊下に出ると、火照った身体を具合良く冷ましているはるかとかなたがいた。かなたは水色のパジャマで、はるかは桃色のネグリジェ。なるほどそうじろうの簡素すぎる寝巻とは違って、『女の子』は寝る時でもオシャレ心を発揮するものだと初めて知ったのだった。
「うっわー、泉君その格好で寝るの? お父さんのパジャマ貸すよ?」
「大きなお世話だ……」
「そう君はジャージの格好で寝るんだね〜」
「これは寝る時用で、他で着るのとはまた違うけどな」
 寝巻談義は続くかと思いきや今度はかなたがくしゃみを連発したので、さっさと布団に入ることにした。が。
「ごめんねー、そういえばお客さん用の布団がどこにあるか分からないんだ……」
 今から探して湯冷めする訳にもいかず、はるかの致命的ミスで三人が同じベッドに押し込まれることになってしまったのだった。
「お父さん達の部屋を使ってもいいんだけど、あんまりオススメできないから、ごめんね、ホントにごめんね」
 両親の部屋は中学に入るずっと前から一度も立ち入っておらず、下手すると模様替えしている可能性もあるとの事で、
「別にいいよ、はるちゃんと同じベッドでも。ね、そう君?」
「お、俺は床でいいよ……」
斯様な状況なのだが、『床で寝る』という発言は、はるかの『風邪引くからダメ』という家主命令により却下された。
「まぁまぁ、取って食われるのとは違うわよ? それに、三人寄り添えばあったかいんだから、早く入ってきなさい」
 今度は添い寝命令まで下ってしまった。そうじろうはもう抗う術を思いつけず、期待七割、不承不承三割で、はるかのベッドに入っていった。
「はぁ、あったかいねぇ。お風呂とはまた違うあったかさがあるわよ、ここ」
「そうだね〜、はるちゃん」
 女同士でパジャマパーティーに花を咲かせているのはいいが、如何せん男にはちょっと入り辛い雰囲気だった。
「はるちゃん、さっきの話だけど」
「どうしたの? さっきの話?」
「うん、私たちが一緒にいる、っていうお話」
「ああ、あれ」
「もし私たちが離れ離れになるとしたら」
「うん」
「その時は、誰かが天国に行った、ってことだよ」
「え……かなたちゃん?」
「つまり、私たち三人は、死ぬまでずーっと一緒、ってこと!」
「そういうこと! そうよね、あたしたちはずっと一緒よね」
「そう、ずっと一緒。ね、そう君? ……そう君?」
 そうじろうは雰囲気に耐えかねて狸寝入りを敢行した。ベッドから枕から、横にいる二人の少女から『女の子』の匂いがそうじろうを強烈に刺激してまたも下半身が疼き、バレた瞬間から何が起きるか、はるかに何をされるかは、この時絶対に考えないようにしていた。
「うーん、やっぱり面白くない話だったのかな?」
「私を背負って走ったりしてたから、疲れちゃったのかも」
「あー、それはあるわね。それじゃ、泉君はそーっとしといてあげましょ」
「そうだね」
 ふふっと笑う二人の女の子。だがそれも束の間のことで、十分もしないうちに二人は会話も少なくなり、段々とまぶたが重くなっていって、ついには全員が寝静まった。
 だが、二時間もすればはるかが目を覚まし、
『うー……トイレ、行きたい……どうしよう……このままじゃ、漏れちゃうかも……』
苦しみの時間が始まるのは、この時の誰もが予想できない領域の出来事なのだった。

[了] この後は同人誌にてお楽しみ下さい。


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