「ご飯出来たよー……あぁーっ!!」
 お互い紅色に染まった顔と視線をあっちこっちに向けていた二人は、突然の悲鳴に意識が覚めた。
「何よ、何よ、何なのよぉー!」
 こそばゆくてもじもじとした、しかし何時までも保持しておきたい空間をぶち破られて、はるかは喚きに喚き立てた。
「は、はるちゃん……これ……コンセント……?」
 居間へと入ってきたかなたは、蒼い顔をして炊飯器へと指を向けた。そこには、沈黙した炊飯器が横たわっていた。普通湯気を立てているはずのそれは、温かさのアの字も見せてはいなかった。
「一体、どのボタンを押したの?」
「こ、これ……」
 はるかが指差したのは事もあろうに「保温」のボタンだった。炊く前に押しては意味がない。蓋を開けると、何とも冷たそうな『米』が、水に浸かったままで食べられない硬さの方を保有していた。
「どうしようもないから、今から炊くしかないわね……」
 さっきとはまるで違う涙を両の目に浮かべながら、「炊飯」のボタンを改めて押した。三人分の米飯。炊き上がるまで、まず以って四十分はかかるだろう。
「……ど、どうしよう、そう君?」
 かなたはオドオドとそうじろうに聞く。もちろん、名案は出てこない。
「食べ物のことを考えなければ、お腹は減らないはずよね……」
 はるかは腕組みをして考え、そして単純な結論に辿り着いた。
「では、トランプやろう! ね、二人とも。そうしよう?」
「トランプ?」
 かなたが聞き返すと、はるかは大きく頷いた。
「そう、トランプ。待っててね、今取ってくるから」
 ダイニングから消えて暫く経つと、はるかはトランプを持ってきた。五十四枚の、ありふれたカードを、よく切り混ぜる。
「三人でババ抜きってのもねぇ……大富豪もそうだし……あ、七並べはどう? ルールは大丈夫?」
「大丈夫だよー。そう君も大丈夫だよね?」
「ああ、なんとかな」
 蓋の閉じた鍋と炊飯器を一先ず置いて、三人はトランプに興じることにした。例え三人でも「八」や「六」を出さない限りは以降のカードは全て場に出ないため、中々の戦略性が求められる。
「パスは三回まで、出せるカードがある時は必ず出すこと」と高らかに宣言し、カードを配り始める。
「ところではるちゃん、ジョーカーは?」
「……あ」
 結局、全員に行き渡ってからジョーカーを取り除く形になった。ペナルティとして、三人で分けた余りの一枚ははるかが持つことになった。
「それじゃ、行くぜー!」
 三人でもこれが結構熱中し、四回ほど勝負が終ると、もうご飯は炊き上がっていてふっくら、それでいて全戦全敗のはるかも、膨れっ面でムスッとカードの山を見続けていた。

「それじゃ、改めてご飯ね」
 食器係にはるかが任命され、来客用の茶碗やコップを取り出そうとする。が、それがどこか分からず結局全員で探した。
 食器が見つかると今度はかなたがやや固めのご飯を茶碗に盛る。はるかが水の分量を間違えた結果がこれで、
『ベチャベチャしてるよりずっと美味いから大丈夫だ』と、そうじろうは微妙にフォローし切れていないコメントをした。
 さて、かなたが腕によりをかけた今日のメニューは、大根が入った鶏の水炊きと、ジャガイモが新たに加わった味噌汁。そして、どうにも御せないキュウリは軽く水洗いした後に味噌を添えて、漬物代りにした。冷蔵庫の中に幸運にも残っていた長ネギを鍋に入れて、あのハチャメチャな肉じゃが計画からはかなりましな組成になった。
「おー、白菜をこう使うとは、流石だなかなたは」
「えへへ、そんなことないよ」
 テレながら味噌汁を椀に入れてそうじろうへ出す。並々と注がれていて気を付けないと零れてしまいそうだ。
「ちょっ、かなた、これは零れるって」
「わっ、わぁっ」
 何とかかんとか零れずに食卓には運べたが、今日何度目かの冷や汗に二人とも苦笑いした。
「さぁ、食べよ。いただきまーす」
「「いただきます」」
 丁寧に手を合わせたり、言うだけ言って箸を伸ばしたりと三者三様の『いただきます』の後、楽しい食事が始まった。
「今日の買い物の時ねー、どうしようか迷っちゃったのよ。味噌汁の具は何にしようかなーって。
 そしたら突然、人にぶつかっちゃって。謝って前を向いたら、キュウリが『私を買ってー』ってあたしを見てたのよ」
「そりゃ病気だ、はるか。眼科に行くんだ」
「あー、泉君それはひどいんじゃない?」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて」
 はるかにとって、一人で寂しく、明らかに色々間違った夕食を摂るよりは、よっぽど素敵な時間だった。そうじろうが男らしく振舞おうとして三回もお代りした後に自爆してエビオスのお世話になったり、作ったはずの本人が少食で余り食べなかったりと、ややあって見事に全部空になったのは偶然の為せる技か。

「「ごちそうさまー」」
「はい、お粗末さまでした」
 かなたが洗い、そうじろうが拭き、そしてはるかが片付ける。そんなローテーションで始まった食器洗いはしかし、なぜかどうしてか、はるかはコップが並んでいる場所に茶碗を置いたり、箸入れにしゃもじを入れたりで、またしても首になり、風呂の湯が溢れていないか監視する係に変更された。というよりか、自分で立候補して飛んで行った。食器は、洗って拭き終ったものをあとでまとめて片付ける方針に変更した。
「なぁ、かなた」
「なに?」
 そうじろうは、さっきもう一人の幼なじみに問い詰められた質問を、ソフトに変えて聞いた。
「もし、将来結婚するなら、どんなタイプがいい?」
「どうしたの、急に?」
「いいから、どんな人だ?」
 焦り気味に聞いてきたそうじろうに対し、かなたは洗う手を止めて、顎に指を止める仕草をした。
「うーん、……そうだなぁ、私のことを『好きだー!!』って言って、毎日抱きしめてくれる人、かな」
 そう微笑んで、かなたはまた洗い物に戻った。ついでに、『そう君はどんな女の子が好み?』と聞くのも忘れない。
「俺は……だな、こう、背が低くて、髪が腰まであって、そう、あと、可愛いんだ」
「随分具体的なのね」
 全部の食器をテキパキと洗い終え、そうじろうが受け持つ籠へ次々と入れていったが、渡された手は遅々として進まない。
「もちろんだ、だって俺が好きなのは……」
 好きなのは……とあと二回ほど言って尻すぼみになり、意を決して深呼吸をした頃、はるかの大声が家中に響いた。
「はるかちゃーん、泉くーん、お風呂できたよー!!」
「うおあぁっ!!」
 出てきた声は、残念ながら絶叫だった。
「はるかのヤツ……覚えてろよ」
 悪役の逃げ口上にしか使われない台詞で毒づいて、ギュッギュッとそうじろうは食器を拭き始めた。一方はるかは、大事なことに気付いたようだった。
「あ、二人とも下着とか持ってきてないじゃん。あたしだけ先に入るのか……嫌だな……」
 余計なことを考えているうちにお湯は溢れそうな程に張り詰め、慌ててはるかは蛇口をキュッと捻った。
 はるかが居間に戻って、ばつが悪そうにさっき気付いた話をすると、途中でそうじろうは話を切り上げ、
「……で、俺たちの着替えがないことにも気付かないでお湯を張っていた、と」
呆れた目線をはるかに送った。
「まぁまぁ、急げばお湯は冷めないよ」
 かなたは頑張ってフォローするが、そうじろうは話に流されていることに気付いた。
「いやいや、そのまま家に帰って自分の風呂に入れば良いんじゃないか?」
「そう君、さっきの話、忘れたの?」
 肘でチョンチョンと脇腹を突かれ、そうじろうは確かに思い出す。しかし、
「だったらかなただけでも……」
淡い期待は、かなたの言葉で簡単に打ち破られたのだった。
「ダメ。二人いるなら、必ず三人。この先も、ずっと一緒」
 かなたは未来の自分を想像せずに言い放った。そうじろうもそうじろうで、年相応の青い欲望を露にすることなく、むしろ『幼なじみ』が形作ってしまう独特の壁に阻まれていた。
「しかし、本当に三人で入るのか……?」
「入るの!」
 弱気な発言ははるかにピシャリと畳まれ、どうしようもこうしようもなくなったそうじそうは渋々了承した。
「んじゃ、着替え取ってくるか。明日は日曜日だしな」
「そそ、そうだよ、そうこなくっちゃ!」
 はるかはお泊り会が確定したのを受け、引きつった笑いを浮かべていた。
「それじゃ、行ってくるな、はるか」
「え、ま、待って!」
 秋の夜長、少しずつ底冷えが厳しくなり、外に出るのを些か躊躇うような時間になって、はるかは二人にくっついて外に出た。
「お前は中にいていいんだ……ぞ。あ、いや、なんでもない」
 ついさっき釘を刺されたことを思い出す。『はるかは一人ではいられないタイプ』なのだと。
「はぁ、ついて来い」
「うんっ!」
 嬉々としてそうじろうの右腕に飛びつく。それを見たかなたも、はるかに倣って、
「それじゃ、私も……」
 左腕にそっと寄り添った。これが空想なら文字通り両手に花、男なら是非一度体験してみたいのだが、これは現実、
「離してくれ、歩きにくい」
三人で手を繋ぐことに落ち着いた。
「手を繋いで家に帰るのって、小学校のちっちゃい頃以来だね」
「そうだな。幼稚園の頃はこうやって三人で手を繋いで通園バスに乗ってたりしたな」
「あたしたちはあの頃とおんなじ……ううん、ちょっとだけ変わったけど、色々おんなじ」
 街灯は少なく、工事も今は止んで、静かな住宅地の静かで綺麗な夜空が、大パノラマとなって三人の頭上に花開く。沢山の星が数え切れないほど輝いている様子は、環境問題が叫ばれている今、次の世代では見れないんだろうなと、そうじろうはぼんやりと頭で考えていた。
「ねぇ、そう君、はるちゃん。私たち、ずっと一緒だよね?」
 唐突にかなたは言い出した。多分、同じ事を考えていたのだろう、はるかは力強く同意した。が、
「けどねぇ……泉君、あたしは泉君とはいつまでも一緒にいられないかもね」
「突然どうしたの、はるちゃん?」
「いや、なんでもないんだけどさ……そうだ!」
 はるかは何かを思いついて、そうじろうにまたもや指を突きつけた。
「もしあの星を、この空で一番明るい星を取ってきてくれたら、あたし、ずーっと一緒にいる!」
 そんな無茶な、と嗤う二人に、はるかは必死に言う。
「絶対だからね! あの星を、取ってきて。ねぇ、泉君?」
 そうじろうは、無理だ無茶だと思いつつ、何とかその思いを飲み込んで「ああ」とだけ言った。
それだけだというのに、はるかが飛び上がって喜んだ理由がそうじろうには分からなかった。

「ふぅ、ただいまー」
「あらおかえり。お風呂入る?」
 泉家ではさほど困った顔もせず、そうじろうの母は淡々と聞いてくる。 
「いや、それがはるかの家の風呂に入ることになって……」
「あ、そうなの。それじゃ今日は泊まり?」
「そういうこと」
「分かった。はるかちゃん家なら大丈夫でしょ。行ってらっしゃい。行儀悪いことするんじゃないよ」
「分かってる、分かってる」
 そうじろうは鞄を机にひっかけると素早く着替え一式をバッグに入れ、玄関へと戻る。そこでは、立っているばかりではガタガタと震える二人が座っていた。
「あ、ごめんね泉君。玄関借りちゃって」
「いや、別にいいけど……ごめん」
「どうしたの?」
 突然謝るそうじろうに、かなたはキョトンとして聞き返す。
「この寒い時期に二人を置きっぱなしにしちゃってさ。ホント、ごめん」
「あぁ、そのことね。大丈夫、大丈夫。ほら、今はこんなにあったかいから」
 手袋を嵌めた両手を広げて、そうじろうを抱かんとするかなただが、それをやるには如何せんかなたは小さすぎた。
それにそんなことをやっていると、
「かなた、急がないと風呂が冷めるんじゃなかったか?」
「あ!」
自分で言ったことを守れそうになくなってきたので、今度はかなたの家までは少し早歩きで、帰る時にはそこそこの走りになっていた。足を庇うように動くかなたを見かねて、またも背負って走り出したのだが、それによってかなたは『あったかい』から『熱くて仕方がない』に変っていった。
 しかしお陰でそこそこに早く着くことができ、お湯も「ちょっとぬるいけど、まぁ入れる」くらいで収まっていた。
「ほらほら、さっさと入っちゃうわよ」
 はるかは、かなたも『そうじろうも』急き立てて、さっさと全員を脱衣所に追い込んだ。しかしここは二人が精々で、とにかく一人は風呂場まで行かないとちょっと狭かった。
「ま、うちのお風呂そんなに広くないから、ここにいてもそっちに行っても大して変らないんだけどね」
 そう言ってそのまま服を脱ぎ出すはるかに、かなたは今更ながら真赤な顔で反駁する。
「そそそ、そう君と一緒にお風呂だなんて……む、無理だよ……」
 最初の段階で言えばいいものを、かなたはこの事態を予見しきれていなかった。
『良く考えれば裸になって男の子とお風呂に入るなんて恥ずかしい』と、現状を目の当たりにしてようやく悟ったかなただった。
「何言ってんの。早くしないと冷めちゃうわよ? それとも、冷え切ったお風呂に入りたい?」
「そういうことじゃなくて……」
 面倒くさいとばかりに『それじゃ、早く入ってきてね』と言い残し、素っ裸になったはるかは意気揚々と風呂場へ入っていった。
「そ、そう君……」
「な、なんだ?」
 非常に気まずい沈黙が流れる。どうしようもない二人の心がどんどん高まっていって、そのまま心臓が破裂してしまいそう。
「そう君……出てって。良いって言うまで、入って来ないで」
「え、何で……どうせ裸になるんだから結局一緒……」
「出てって!!」
「は、はい!」
 『女の子』の心を掴み切れなかった悲しい『男』は、さっさと追い出されてしまった。暫くして、「い、いいよ……」という声がして、風呂場らしい引き戸がガラッと開いて、そしてまた閉じる音が聞こえた。
「一体なんだったんだ……?」
 そうじろうは独りごちた後、どうしようもなく制服を脱いだ。一体何が恥ずかしいのか、そうじろうに理解できないことが、これでまた一つ増えてしまった。
「うーん、分からん。……それにしても寒い。さっさと入って、って、ん?」
 間違えて何かを蹴飛ばしてしまったようだった。ふと足元に目を下ろすと、かなたとはるかの制服が目に留まった。普段なら見飽きているはずのものでも、こう無防備な姿を晒していると嫌が応にも男の欲望は高まる。
 しかも、蹴飛ばされた足先に絡まっているスカートをどけると、
「……うわぁ」
 純白の布地が露になる。あどけない少年にはまだ刺激が強すぎるのか、綿で出来た『女の子』の代物を見ただけで、鼻からぬるりとした液体が溢れ出る。思わず指でゴシゴシとこすると、そこは暗赤色に染まっていた。
「こ……これは……」
 左手で鼻を必死に押さえながら、右手をかなたのショーツへと伸ばす。ぴと、と指が触れた瞬間、下半身に血流がどっと行く。
「うぉ、お……」
 未知なる現象のお陰で鼻血は辛うじて止まったが、腰が砕けそうになる不思議な高揚感に、そうじろうは立つのもやっとだった。無論、それは足の話である。
 温かい、そう温かいのだ。例えばデパートの下着売り場に売っているそれとは比較にならない、人肌の温かさ。そうじろうは意を決して──明らかに決し方を間違えているが──むんずとかなたのショーツを掴んだ。瞬間、体温が微上昇し、下半身にますます血液が集まっていく。
「なんなんだ……これは……立てない、足が、膝が……」
 このまま動けない姿で現場を見られるのは不味いと、理性が警鐘を鳴らしていた。まだまだ幼い少年は、その言葉に従い、かなたの下着や制服を元通りに直すと、ほうほうの体で股間を押さえ、前屈みになって風呂場のドアを開けた。
 そしてそこには、凡そ少年にはありえない程のワンダーランドが待ち構えていた。


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