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──あなたは、初めて光に触れた時のことを覚えてる?
わたしは、死がふたりを分かつまでそばにいたいんだ……いいよね?──

「たまには帰ってきなさい」
高町桃子のそんな一言がきっかけになって、その娘であるところのなのはは休暇を利用して海鳴に戻ってきていた。
ついでとばかりにはやてを通じて上層部へ連絡を取り、ユーノも一緒に休暇を取って貰った。
持つべきものは友達である。
ベルカの祝日絡みで連休になった日を狙ってヴィヴィオを連れてきたため、ほんのひと時、高町家は賑やかなものになった。

***

「おはよう、なのは。朝だよ。起きて?」
「うーん、あと五分……」
「もう、なのはは仕方ないんだから。ほら、ヴィヴィオ、起きなさい」
「あと五分〜」
「まったく……」
桃子はなのはを起こそうとして部屋をノックしかけた時、中から声が聞こえてきた。
ヴィヴィオが低血圧で朝が弱いとは知っていたが、まさかなのはをも上回るとは思っていなかった。
クスクスと微笑を浮かべて、その場を後にする。
何とも楽しげな光景が頭に浮かんできて、もうちょっとだけそっとしておきたくなったのだ。
代りにキッチンに戻って朝食の残りを作り終えると、美由希に頼んで夫の士郎共々翠屋まで乗せて貰った。
書き置きを残しておくことも忘れない。
今日は休日。いつもよりかなり忙しくなる日だ。
それでも開店直後までは雇ったバイトがいれば事足りるから、もうちょっとだけ夢の世界で楽しんでいてもらおう。
「さぁて……おばあちゃんになっても頑張りますよ! 行きましょう、あなた」
まだまだ早朝の商店街、嬉しいことに鍵を開ける前から全員集まっていたバイト達に挨拶をすると、
ほのかに甘い香りが残り続ける厨房に入って、ケーキの仕上げに取り掛かった。

「遅れてごめんなさいー!」
昼過ぎになって、ノエルの車に乗ったなのは・ユーノ・ヴィヴィオ・恭也・忍がやってきた。
早番のバイトと入れ替わりに、なのははエプロンに袖を通し始める。
「朝はちゃんと起きられた? 愛しのユーノ君に」
「お、お母さんっ!?」
ちょっとからかうとすぐ顔を真っ赤にするなのは。多分、目覚めのキスでようやく起きたとかだろう。
あんまり慌てるものだからクスリと笑うと、なのははまた両手をぶんぶん振って俯いた。
「ははは、冗談よ。早速だけど、ホールに行ってもらえる?」
「はぁい」
この場の常套手段としては、なのはとユーノは引き離すのが最善なのだが、敢えてその均衡を崩すことにした。
そうしようと考えた理由は特にない。精々、そうやったら面白そうだと思ってみただけだ。
たまの休みに帰ってきた娘を働かせることに対して、ちょっとだけサービスしたかったのかもしれない。
「桃子、あれでよかったのか?」
「いつも通り、あたし達で頑張りましょう。あの子はもうお嫁に行っちゃった身なんだから」
目を細める視線の先で、ようやく調子が出てきたらしいなのはがてきぱきと注文を取り始めている姿があった。

「注文お願いしまーす」
「はーい、ただいまー」
なのはの澄んだソプラノが翠屋の店内に響く。
出来上がった軽食のプレートをユーノに渡すと、テーブル番号のメモを添えた。
「なのはの近くよ。ちょっとでもスキンシップしてきなさい?」
まだ若い青年は顔を赤く染めると、こくりと頷いて出て行った。
その横では、たどたどしい手つきながらも確実にフルーツをホットケーキの横に盛り合わせているヴィヴィオの姿があった。
「パパもママも、いくつになっても新婚さんだね、おばあちゃん?」
見上げられてニコニコと微笑みを浮かべられるオッドアイの少女に、桃子はしゃがんでその髪を撫でた。
長くて透き通っている、サラサラの髪。頭に手を置くと、可愛らしい声で「ふみゅ」と鳴いた。
「ヴィヴィオにも早く素敵な人が現われるといいわね? パパとママはね、お休みの日だけどちょっとだけ頑張ってもらってるの。
だから、今日は二人がどんなにいちゃいちゃしてても邪魔しちゃダメよ?」
「はぁい!」
元気な返事。桃子は笑って鮮やかな手つきでシュークリームを包みこむと、リボンを巻いてシールをぺたり。
それをいくつか作って忍に渡すと、今度はホールから飛び込んできた注文の束を見る。
一つは、いつもは注文数の少ない銘柄のコーヒーだった。戸棚を見たら、ちょうど一杯きり。
気付かなかったことに額を打ちつつも、すぐに対策を取る。
「恭也、ちょっと一っ走りしてこれ買ってきてくれるかしら」
忙しさが落ち着き始めた時間帯だが、休日ともあってかなりの賑わいをみせている。
猫の手も借りたいところだが、品切れはなるべく避けておきたい。士郎へ指示を出して、仕事を二人分やらせる。
「ごめんないね、あなた」
「いや、案ずるな。これくらいでへこたれる俺では──ないっ!」
そして、忍は翠屋におけるはやてポジションだと、以前なのはが言っていた。
それはつまり、
「きゃぁっ、忍さん!?」
「よいではないか、よいではないかー!」
常連の少女達に手を出すのが趣味なのだ。
冗談の分かる相手だからいいものの、あの趣味には少々苦笑するところがあったりもする。
「忍さんっ!!」
なのはの悲鳴が聞こえてきた。と同時に、黄色い歓声。何人かいる男性もテンションが上がっている。
桃子はあらあらと笑いつつ、注文も減ったようで休憩がてらホールの方へ顔を出してみた。
──そこで予想通り、なのはの胸が揉まれていた。
「なのはちゃんとはもう付き合い長いもんねえ、悦ぶところは一通り知ってるよ?」
「そんなっ、やめっ、あふぅ……!」
なんのファンサービスだろう。
的確なポイントを突いているらしく、なのはが運動神経に難があるのを差し引いても、まったく抵抗出来ていない。
その横ではユーノと恭也が困惑していた。それはそうだろう。
ぱたぱたと忍のそばに歩み寄ると、桃子はその耳にそっと囁いた。
「ダメよ、あなたにも素敵な旦那さんがいるでしょう? 欲求不満なら恭也にしてやってちょうだい♪」
他の誰にも声が漏れていなかったようで、突然ぴたりとなのはへの悪戯を止めた忍は、苦笑しながら離れていった。
どこかホッと一息ついている様子のユーノにも、同じように耳打ちする。
「ごめんねぇ。その代り、今夜はこの店を空けておくから、なのはといっぱい楽しんでらっしゃい?」
「な、ななな、何を言ってるんですか!?」
恭也を厨房へ引っ張りつつ、どうとでも意味が取れる微笑をユーノに向けて、桃子はその場からいなくなった。
軽く振り返ると、何をどうしたらいいのか分からず頭を抱えて立ち尽くしていた。
「若さゆえの過ちはどんどん犯しなさい、ユーノ君?」
呟いた言葉は、腕を引いている恭也にだけ聞こえていたようだった。
同じように頭を抱えている息子に向けて、桃子は言った。
「私は早く孫の顔が見たいわよ? 長男坊、よろしくね!」
「か、かーさん!?」
厨房を三人で切り盛りする親子。
なのはの話を聞きつけてきたらしいアリサやすずか、エイミィなんかも来たりして、翠屋は一時大騒ぎわいとなった。

閉店後、ひっそりと静まり返った翠屋で、桃子は肩をさすりながら首を何度か回した。
孫ができたことを抜きにしても、最近年齢が身体に厳しく効いてきたらしいことが実感できる。
残った細々とした作業もすべて終り、士郎は恭也と美由希を連れて、走り込みに出かけていった。
腰をトントンと叩いていると、ユーノがそろそろと寄ってきた。
「お義母さん、肩揉みますよ」
彼がそっと手を置いて、暗に椅子へ座るように言われる。
断るのもナンだったし、第一「お義母さん」と呼ばれたことが嬉しくて、「それじゃお願いしようかしら」と手近な椅子へ腰を下ろした。
じわりと暖かくなっていく肩。そしてそれは少しずつ全身に移って、溜まった疲れが抜けていった。
「どこがいいですか?」
「そうね、もうちょっと下……うぅぅ、はぁぁー」
安堵の溜め息を吐く。何だか、美由希にやってもらうよりも気持ちいいかもしれない。
男の強さなのか、それとも娘婿にやって貰っているからなのか。
重かったはずの腕はすんなり上がるようになり、腰の調子までよくなってきた。
そこへちょうどなのはが通りかかり、ばたばたとユーノのところまで行って抱きついていた。
「あなた、お疲れさま!」
すぐに頬へキス。親の目の前でも惚気けてみせるとは、流石は娘だと言わざるを得ない。
何気ない素振りでホールを後にすると、後ろで早速いちゃいちゃし始めたのが分かった。
「今ちょうど、桃子さんの肩揉んでたんだけど、なのはの肩も揉もうか?」
「ホント? お願いー。そ、それとできれば、肩以外のところも……」
「どこなのかな? ちゃんと言ってくれないと揉みようがないよ」
「うぅ、あなたのいじわる……」
二人なら、何か間違いがあっても場をちゃんと元通りにするくらいの判断力は残っているだろう。
むしろ間違いがあるくらいでちょうどいい。
孫の名前をお節介に考えつつ、鍵をいつもの場所に引っ掛けて桃子は翠屋の裏口から出て行った。
迎えは──いらないだろう。何せ、なのはは空を飛べるのだから。
「あの子が魔法を使えるなんて聞いた時は驚いたけど、フェイトちゃんにはやてちゃんにヴィヴィオ……
世の中には魔法使いで溢れてるのかもしれないわねえ」
スーパーに寄る道すがら、桃子はクスクスと笑いながら歩いていたのだった。

***

「なのは、あーん」
「あーん……」
夕飯を六人で囲んでいると、身内しかいないのをいいことに早速互いの箸で互いの口へご飯を運んでいる二人がその姿を現した。
美由希は初めての光景だったのか、ぽかんと互いの顔を見ていた。
「恭ちゃんも忍さんとああやっていちゃいちゃしてるのかな……血筋みたいだし」
じろりと振り向かれる。桃子の箸は士郎の口へ先を突っ込んでいた。
恭也は、月村家に男の兄弟がいないということで婿養子になり、この家で食事を取ることはとんとなくなってしまった。
娘夫婦の熱々っぷりを笑いながら見ていると、隣に座っていたヴィヴィオがくいくいと袖を引っ張った。
「おばあちゃん、アレ放っておいていいの? っていうかおじいちゃんとおばあちゃんも……」
「いいじゃない、家でくらいゆっくりしましょう」
「そうじゃなくてぇ……ああぁぁぁ、パパとママのこれって、元はおじいちゃんとおばあちゃんだったんだ!」
ヴィヴィオは頭を抱えてテーブルに突っ伏したが、そうやっているのさえもバカバカしくなったのか、
むくりと起き上がってまた食べ始めた。
「ヴィヴィオは、パパとママがああやってるの、嫌い?」
「うーん……嫌いじゃないんだけど、見てられないっていうか、見てるこっちが恥ずかしいっていうか……」
もごもごと口の中で言葉を転がすと、顔を赤くしながらまぐまぐと肉じゃがを頬張る。
そっぽを向きながら独り言を呟いていたヴィヴィオだが、桃子には大体のところが聞こえていた。
「私だって、アインハルトさんと……」
ははぁ、と感づく。ヴィヴィオにも気になる人がいるのだ。
『アインハルト』が誰なのかまでは分からないが、きっと学校の同級生辺りだろう。
桃子は、娘夫婦が指を絡めながらいちゃつきつつご飯を食べている光景をおかずにしながら食事を進めた。
何だかヴィヴィオはちょっと疲れてるようだった。
「あ、ご飯粒ついてるよ、なのは」
「ありがとう、あなた♪」
「んっ、なのはの味がするかも」
「ばっ、ばかぁ!」
年柄抑えてきたつもりだったが、なるべく美由希の方かあさっての方を向いて食べているヴィヴィオ。
──確かにこれは長くいると甘すぎるかもしれない。毎日眺めているような人が食傷気味になるのも分かる。

それでも。

「あたしは、みんなの幸せな笑顔を見ているのが何よりも大好きよ」
それは独り言だったのかもしれない。誰に向けた言葉でもなかった。
親バカ、と言われても反論できそうにない。
落ち着いた所作で汁椀に手を伸ばした桃子へ、孫娘がくいくいと裾を引っ張った。
目を落とすと、小さな女の子は頷きながらなのはとユーノを見つめていた。
「ヴィヴィオも大好きだよ、パパとママが笑ってるの!」
少女はニコニコ笑いながら、「ごちそうさま!」と叫んで食器を下げた。
そうしてぱたぱたと、自室にさせた空き部屋へと引っ込んでいく。
いつの間にか、桃子の食器も空になっていた。
「さて……あたしもごちそうさま。なのは、『それ』が終ったらでいいから、後片付けお願いね」
今更のように照れた顔をし始めたなのはに笑いながら言いつけると、二階に行ってヴィヴィオの部屋をノックする。
出てきたヴィヴィオは宿題に取り掛かっていたようだった。
「お勉強が終ったら、おばあちゃんと一緒にお風呂入りましょう?」
「あ、うん! パパとママを二人っきりにするんだね」
「そういうこと」
人差し指を唇に当てて、軽くしゃがみ込む。頭を撫でてヴィヴィオの可愛い声を聞くと、桃子は部屋を出た。
先に汗をかいたメンバーを風呂に入れて宿題が終るのを見計らい、二人して浴室に向かった。
ヴィヴィオの髪は、洗っていて予想以上にサラサラだった。
風呂上り、少女に一緒に寝ないかと誘いかけてみると、「うん!」と意気のいい返事が来た。
理由はもちろん、幾人もの友人プラス娘にまで「バカップル」と呼ばれている夫婦を一晩中二人きりにすることだ。
それ以上の理由なんて、ない。

***

夜中、桃子は催して目を覚ました。
パジャマをしっかと握っていたヴィヴィオがむにゃむにゃと寝言を言っている。
そっと指を外して、ドアを開ける。すると、かすかに何かが軋む音が聞こえてきた。
咄嗟にその意味を理解して、わざわざ階段を降りて一階のトイレで用を足す。
抜き足差し足忍び足、なのはの部屋に近づいてみると、案の定ベッドが揺れていた。
良かったよかったと胸をなで下ろす。
こんなこともあろうかと、なのはがいない間に本人の部屋を防音壁にしておいて正解だった。
これで部屋の中には何も届かない。ただでさえ低血圧のヴィヴィオは気づかずに眠り続けるだろう。
「頑張りなさい、なのは、ユーノ君。あたしは早く、二人目の顔を見たいわ……」
そして桃子が再び寝ようとベッドに身体を滑り込ませた時、孫娘の小さな指が伸びてきて、しっかりとそのパジャマを掴んだ。
その所作だけで、如何にヴィヴィオが両親を好きなのか理解できた。

翌朝、誰よりも早く起きた桃子は夫を起こし、娘も起こそうと部屋の前に立った。
すると、どうした訳か二人共起きていて、何かを話し合っているようだった。
聞き耳を立てるのはいけないことだと思いつつも、どこからか興味が沸いて出て足はそこに釘付けとなってしまった。
「思い出すね、昔のこと。夕焼け小焼けが流れてて、雨上がりの帰り道を一緒に歩いたり──
あはは、そういえばあなた、あの頃はわたしと同じくらいだったよね。肩を並べて……」
「そうだね……こうやって爽やかな朝にも、なのははお寝坊さんだったな」
「もぅ、それは言っちゃいけないんだよ」
「でも、なのはと出会えて本当に良かった。ジュエルシード事件が終った時は、もうお別れなのかと思ったよ」
「わたしも。あれから10年以上経つんだもんね、ホント、早いや。
あの頃は分からなかったな、魔法を使うことの意味も、『好き』って気持ちも」
「何の魔法だったんだろうね、僕達がこうして今ここにいられるのは」
「それはずばり、恋の魔法だよ」
「な、なのは、恥ずかしいこと言わないでよ」
「え? ……あぅぅ、忘れて、あなた忘れて!」
「嫌だ」
「い、いじわるぅ!」
そこからしばらく、布地を叩く音が聞こえた。多分、ぽかぽかとユーノの胸でも叩いているんだろう。
それも終ってしまうと、今度は沈黙が垂れこめた。でも、気まずかったり下手に緊張したものではない。
好奇心が止まらなくなった桃子はそっと、本当にそっと扉を開けてみた。
そこでは娘夫婦がベッドに座りながら、互いの手を重ねていた。
握りあって、また離して、今度は絡めて、ゆっくりと近くなっていく唇の距離。
そしてキスの瞬間、桃子は年甲斐もなくドキドキしている自分に気がついた。
「きゃっ! あなた、朝からなの?」
「だって、なのはの身体を見てたらたまらなくなって」
「んもう……でも、嬉しいな。優しくしてね?」
「もちろんだよ、なのは」
そして押し倒される娘の身体。一つずつボタンを外されている姿を見ているのは流石に趣味ではないのでそっとドアを閉じる。
自室に戻ると、目は覚めたもののフラフラと寝ぼけているヴィヴィオが、両親の部屋へ行こうとしていた。
「みゅ〜……パパぁ、ママぁ」
桃子はその手を取ると、二人の部屋とは逆方向に歩き始めた。
そのまま階段を降りて、リビングへ向かう。
「ふみゅ? パパとママ、もう起きてるの?」
「ううん、おばあちゃんと一緒に朝のお茶を飲んでほしいの。おばあちゃんのわがまま、聞いてくれる?」
「うんー……おばあちゃん、キャラメルミルク作ってー」
「いいわよ♪」
作ったキャラメルミルクを飲んでいる最中、リビングに現れた夫が顔面蒼白だったが、多分些細な誤差だろう。
むしろ、例によって孫の話を持ち出したら逆にぱぁっと顔が明るくなった。
こういうのを見る限り、なのはは確かに高町士郎と高町桃子の娘だなと実感できた。

いつまで経っても美由希が起きてこなかったが、それはまた別なお話。

──少しずつ街は色を変えるけど、ほら、想い出がまたひとつ増えた──

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