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「アインハルトっ!」
「はい?」
「えへへ、呼んでみただけ」
アインハルト・ストラトスは目の前の少女に名前を呼ばれ、小さく溜め息を吐いた。もちろん、目の前にいる少女に対してである。
戸惑いと嬉しさが複雑に混じり合った笑みを浮かべて、椅子に座りながらキャラメルミルクのマグカップを飲む少女を見つめた。
ヴィヴィオ・高町・スクライア。それが少女の名前。
つい半年ほど前、思いの丈をぶつけ合って恋人になった、『女の子』。
アインハルト自身も女性ではあるものの、出生上の理由でそれなりに男性的な精神が残っていたりする。
とはいえ、仮にそれを全部取っ払ってしまったとしても、ヴィヴィオは充分すぎるほど魅力的な女の子なのだけれど。
今、アインハルトはヴィヴィオ・イクスヴェリア・そしてスバルと一緒にお茶会をしていた。
「まったく、二人はいちゃつきすぎです。ここが聖王教会だということを思い出してください」
「あのね、イクス、全然まったく説得力ないから」
イクスヴェリアはスバルにべったりだった。接着剤でもついているかのように、腕に絡み付いている。
確かにこの一月ほどスバルはまともに休み一つ取っていなかったようだが、
それにしてもとツッコミを入れたって罰は当たらないだろう。
「ヴィヴィオの方はどうなっているんですか? アインハルトとはちゃんと潤っていますか? ダメですよ、定期的に愛し合わないと」
「あ、ああ、うん、まあ」
少女は適当にそして曖昧に答えて、お茶を濁した。
イクスヴェリアの真意が掴めない以上、はっきり答えると結構後々が面倒なのだ。
まったく、誰に似たんだか。
「オットー、押さないで下さい。バレちゃいますよ」
「ディード、そう言われても、身体のバランスが……」

犯人発見。あとで「お話」しよう。

アインハルトは両手を挙げて伸びをすると、目の前の紅茶を一口飲んだ。ハーブが利いていて、自然と目が覚めてくる。
「それにしても、今日はのんびりだねぇ」
「そうですねぇ、平和はいいことです」
独り言めいたヴィヴィオの台詞に同意した。ふぅと息を吐いてカップを置くと、イクスヴェリアがスバルの肩を抱いた。
「のんびりもいいですけど、私は刺激に満ちた毎日の方が好きですね。ね、スバル?」
「う、うん、そうだね……」
何だかスバルの顔が赤い。もう何か盛ったのか?
ヴィヴィオは笑いながらクッキーを摘んでいたが、その隣にいたアインハルトはもじもじそわそわしっぱなしだった。
「ああ、平和ですねぇ」
改めて部屋の中を見渡し、ため息を吐いた。まったく世の中は平和である。

***

お茶会が終ったその帰り道、ヴィヴィオが何とはなしにポケットの中へ手を入れると、金属的な感触があった。
取り出してみると、それは家の鍵。両親共に遅くなるとかで、朝に渡されていたのをすっかり忘れていた。
「それではこれで」と今にも別れようとしていたアインハルトの裾を掴み、上目遣いにお願いしてみる。
「ね、ねぇ、アインハルト。今日、パパもママも遅いんだ……よかったら、家に来ない?」
頬を赤らめたお願いオーラは、一発で彼女の心を射抜いたようだ。
「え、ええ……」と小さく頷き、首まで真っ赤にしながら、俯いてヴィヴィオの後ろを着いてきた。
こんなところが可愛いのだが、敢えて口にしなかった。
だって、恥ずかしがりながらも乱れてくれる少女のことを想うと、そんなことを言うのは野暮以外の何物でもないのだ。
家に上げると、早速料理を作り始めた。育ち盛りの二人には、クッキーやスコーンだけではちょっと足りないのだ。

「お腹いっぱい食べてね!」
「あ、ありがとうございます」
いくらなんでも、太陽が出ている時間帯からどこぞの冥王みたいには振舞えない。
体力と勢力の増強がてらに、少し早い夕食をご馳走する。
ニコニコ笑いながら、少女がスプーンを伸ばすのを眺める。アインハルトの顔が嬉しさに染まったのを、ヴィヴィオは確かに見た。
「おいしい、です。そういえば、ヴィヴィオの手料理を頂いたのはこれが初めてでしたね」
作ったのは、野菜たっぷりのポットパイ。サクサクに仕上がった皮が凄くいい感じだ。
中に入れたシチューもそれなりに上出来。大きめのパンがあったので、それを切り分けて二人で食べる。
食事が終った後、紅茶を淹れた。
こそばゆいような時間は、いつまで経っても何となく慣れなくて、無言のまましばし時が過ぎる。
室内プラネタリウムのような環境魔法を起動させて、森の中にいるような安らぎを味わった。
鳥のさえずりや木々の匂いまでしっかり漂っている。
と、その時ヴィヴィオは唐突に思い出した。以前アインハルトがユーノの書斎にある本を読んでみたいと言っていたのだ。
まだ太陽は傾きながらも出ているし、両親が帰ってくるのは相当遅くだと聞いている。
「そうだ、パパの書斎に行ってみない? 面白い本がいっぱいあるよ!」
だからこそ提案したのだが、それが大きすぎるミスであると気がつくには、この時点でのヴィヴィオには無理だった。
書斎に入るなり、アインハルトは目をキラキラさせて本棚を見上げた。
ヴィヴィオの学力ではまだ題字すら読めない本もあるが、
それらが一部でも読める彼女にとってはきっと魅力的な本がずらり並んでいるのだろう。
「こ……これは! ビルダンカプトが著した幻の遺作です! あぁっ、こっちはカーウォ・アエストゥアリウムの補遺編! か、感激です」
相当喜んでいる。連れてきて正解だった。
とはいえ、ヴィヴィオはアインハルトがどんな本に興味を持っているのかはこれっぽっちも分からなかったけれども。
「あっ、すみません。つい嬉しくてはしゃいでしまって」
「いえいえ。喜んでもらえたら、きっと本だって嬉しいと思うよ? ほら、こっちにある本とかも面白そう」
手に取った本には、『ベルカ哲学序説』と書かれていた。
そして気軽に本棚から引き出したのはいいものの、重さが半端なかった。
取り落としてしまい、足の甲へと痛烈にぶち当たる。うっすらと涙がにじむほど痛かった。
「だ、大丈夫ですか、ヴィヴィオ?」
オロオロしはじめた彼女だったが、なるべく優しい声で「大丈夫だよ。でも、ちょっと見てくるね」とだけ言い残して部屋を出た。
居間に戻ってソファに座り、靴下を脱ぐ。甲は赤く腫れていたものの、出血などは特にない。
念のために戸棚から軟膏を取り出して塗ると、また靴下を履き直した。
しばらくしても腫れが引かなかったら、病院に行こうと思った。
「きゃっ」
アインハルトの悲鳴が聞こえた。続いて、バサリと本が舞う音。
自分と同じようなことが起きたのかと慌てて立ち上がったが、
怪我した方の足へ思い切り体重をかけてしまい、力が入らなくなって情けなくも倒れてしまった。
「大丈夫、アインハルト?」
返事がない。まさか、上にあった本が落ちてきて頭にでも当たったのか?
ヴィヴィオは痛む足を引きずって書斎へと向かった。これはもうお開きだろう。残念極まりないが、全部自分のせいだ。
「アインハルト……?」

ようやくのことでドアを開けたが、そこには誰もいなかった。
古文書なのか稀覯書なのか、古くなってページがバラバラになって飛び散った本が二冊、そこにあるだけだった。
ドアを開けた風でふわりと持ち上がった一冊が、その表紙を見せた。
だが、ヴィヴィオには何と書いてあるのか、まったく分からなかった。

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