「ねぇ、往人さん」
「なんだ」
「あたし、デートに行きたいな」
「誰が?」
「あたしが」
「誰と?」
「往人さんと」
「どこへ?」
「海、かな」
「誰が?」
「あたしが」
「誰と?」
「ってアンタらいつまで漫才やっとんねん」
暑さでぐだぐだしていた国崎往人は、観鈴に揺り起こされた。
だりーだりーと今日はクーラーの聞いた部屋で寝ようと思っていたら、これである。
「ちょうどええ機会や。おい居候、観鈴を海へ連れてったってや」
「何で俺が……」
ごろりと寝返りを打った往人だったが、背中から晴子の声がかかってくる。
それは予想だにしない一言で、
「観鈴ちんが笑顔で帰ってきたら、ぎょうさんご飯作ったろ思うたんやけどなぁ、残念やなぁ……」
往人はがばっと立ち上がった。
「謹んで行かせて頂きます。観鈴、行くぞ」
「ふぇ?」
「ふぇ、じゃない。さっさと用意するんだ」
「わ、あたし、絶対連れてってくれないだろうなぁと思って、だから準備が」
「じゃあ寝るぞ」
がばっと立ち上がった腰をもう一度下ろしかけたところで、観鈴の細い手が往人の肩を掴んだ。
夏だというのに、色白の肌。ちっとも誰とも遊んでいない証拠だ。
「わわわ、待ってよー!」
ばたばたと自室に走っていく観鈴。そんなに急ぐこともあるまいに。
往人は空を仰いだ。雲ひとつなくて、太陽が全力を出して真夏のバカみたいな暑さに貢献している。
遠く遠く、水辺の近くに、カモメか何かが飛んでいた。彼らもきっと、休むところを探しているのだろう。
しばらく待っていると、観鈴が大きめのポシェットを肩にかけてやってきた。
大方、水着でも入っているのだろう。
「行こう、往人さん」
「あ、ああ」
出掛けにサンダルを突っ掛け、麦わら帽子を被って、往人は家を出た。
おずおずと差し出してきた観鈴の手を、そっと握ってあげた。
「わー、広い、広い。うみー!」
「おおそうかそうか。海はいつだって広いよな」
何だかんだ言って、このところ海岸までは来ていなかった。
サンサンと降り注ぐ陽光は砂浜を極限まで熱くしている。多分芋とか入れていたらきっちり蒸しあがるだろう。
波打ち際で裸足になった観鈴ははしゃぎ回りながら、火照った足を冷やしていた。
夏の日差しが跳ね回った雫に煌めいて、往人はしばし、暑さを忘れて見入っていた。
「往人さんのえっち」
「なっ、そんなんじゃねぇ! 大体お前に……っ!!」
何か面倒になったので止めた。
久しぶりに見た健康的な観鈴の姿に見とれていなかったかと聞かれれば、ちょっと自信がない。
観鈴はポシェットから水着とカメラを取り出すと、カメラの方を押しつけてそそくさと茂みの方へ走っていった。
「なんだ、これで撮ればいいのか?」
「……往人さんの、ばかぁっ!」
怒っているのか照れているのか、顔を真っ赤にして叫ぶ観鈴。
冗談だよへいへいと適当に手を振って、往人は砂の上に寝転んだ。
「暑いな。カラスとか死ぬだろうな」
ふと横を見ると、白い毛玉があった。いや、よく見ると半分行き倒れていた。
ポテトだ。こんなところまで何しに来たんだろう。
「ぴこ? ぴこ!」
「なんだ、道に迷ったのか」
「ぴこ……」
しゅんとうなだれるポテト。最近、地球外生命体の言語もちょっとは分かるようになってきた。
この街は適応力がないと生き残れないのかもしれない。
「往人さーん、着替えてきたよ!」
「おう、どれどれ……ぶっ!」
どこにそこまで気合を入れる必要があったのだろうか。
鮮やかなオレンジ色のパレオに身を包んだ観鈴が、眩しい太陽に顔を向けて立っていた。
雰囲気といい、季節といい、どこか南国の地に舞い降りた天使のようだった。
「えへへ、どう、往人さん? お母さんと一緒に選んだの。往人さんに見せるならどれがいいかなって」
「ってことは何か、俺のためにわざわざ選んだのか」
「そうだよ♪」
往人は頭を抱えた──何もそこまで、という気持ち。素直に嬉しいという気持ち。
二つがぐちゃぐちゃに混ざり合って、なんともこそばゆい。
顔をそむけてはみたものの、やっぱりもう一度見てみたかったりもする。
くるりと振り返ると、そこには顔を近づけた観鈴がいた。
「にはは。往人さん、顔赤いよ? のーさつしちゃった?」
「す、するか! 観鈴なんかには絶対しないからな!!」
「が、がお……」
しゅんとする観鈴。言い過ぎたか。
だが、言い直そうとした瞬間に、往人は腕を掴まれた。
「じゃ、のーさつするもん! 往人さん、一緒に遊ぼ!」
有無を言わさずして連れ立てられる。波打ち際まで行くと、サンダル履きをそっと波へと下ろした。
ざざぁ、ざざぁと海水が足を洗っていく。ひんやりとまでは行かなかったが、それなりに冷たい。
「海は頑張ってるな」
それは温度の意味で言ったのだが、観鈴はもうちょっと大きなスケールに解釈したようだった。
出逢った時のように大きく手を広げると、空高くへ顔を上げた。
「あたしたちはね、みんな海から生まれたんだよ。だから、海はみんなのお母さんなんだ」
今までになく、すがすがしい顔を見せる。
癇癪持ちの少女とは思えないほど、その姿は輝かしく見えた。
「ね、往人さん。どうかな、この水着?」
自分の為にわざわざ気合を入れて見繕ってくれたパレオ。
きっと、結構高かったんだろう。
太陽が眩しすぎるのか、それとも観鈴が眩しすぎるのか、ちっとも分からない。
腰をかがめて見つめてきた少女に、往人は少しだけたじろいだ。
「どうして逃げるのかな、往人さん?」
「どうしても何も、今日のお前は何かおかしいぞ?」
「うん、分かる。でも、きっと魔法だよ」
意味の分からない単語が出てきた。思わずオウム返しに聞き返す。
すると、観鈴はいきなり「えいっ!」と往人を押した。全然バランスが取れなくて、背中から海へと落ちる。
目に入った海水が辛い。顔を上げて顔を拭くと、なんだか色々おかしくなってきて、今度は観鈴を海の中へと突き飛ばした。
「きゃぁっ!」
可愛い悲鳴。ばしゃんと水がしぶきを上げて、そこから少女は笑いながら浮かんでくる。
ポテトもぴこぴこ言いながら海へ飛び込み、もふもふの毛玉を濡らしていく。
「にはは、すっごく楽しいね!」
観鈴は立ち上がると、また笑顔になって髪を掻き上げた。
膝に手を当てて往人へ軽くしゃがみ込み、優しくほほえむ。
「夏の魔法、だよ。きっと。お母さんがあたしにくれた、勇気を出せる魔法」
差し伸べられた手を取って往人も立つと、観鈴はまたしゃがんで、おもむろに両手で海水を救った。
そして、往人へ向けてパシャリとかける。
「にはっ、にはははっ、往人さん、おいでよ!」
走りだした少女。いつになく元気いっぱいの後ろ姿に、溜め息をつきながらも、
往人も軽く水際を蹴って、濡れた砂の上を走り始めた。
「待てっ、観鈴!」
「にはは、いーや!」
追いかけっこに疲れた頃、既に辺りは観鈴の水着と同じ、オレンジ色に染まっていた。
ポテトもさっきまでは一緒になってはしゃいでいたのに、いつの間にか家に帰ってしまったのか見当たらない。
「ね、往人さん」
「なんだ?」
気付けば、観鈴の身体が凄く近くにあった。
ひぐらしがカナカナ絶え間なく鳴き続け、日差しはまだまだ暑いけれど、少しだけ涼しい潮風が頬に当たり始めた。
服はすっかり乾き、塩が張りついてパリパリしている。
「上に何かついてるよ。取ったげる」
「ああ、頼む……っ!?」
観鈴がゴミを取りやすいように屈んだら、急に彼女の顔が迫ってきた。
そしてすぐにやってくる、柔らかい唇の感触。
「に、にはは。大好き、往人さん」
ゆっくりと離した口のぷにぷに感と熱さが、まだ残っている。
何の偶然か、あれだけ騒がしかったひぐらしたちがひっそりと静まり返っていた。
行くとは観鈴のあごをくいと持ち上げると、今度はこちらから口づけをした。
「俺も好きだぞ。っていうか、男に言わせろ、こういうことは」
照れながらその肩を抱き寄せて、背中に手を回す。
心臓の鼓動を身体で聞いていると、観鈴の腕もまた往人の背中に回ってきた。
暖かな時間を味わっていると、いなくなったはずのポテトがカメラをくわえてとてとて歩いてきた。
「ぴこ!」
「なんだ、撮ってくれるのか?」
「ぴこ」
誇らしげに頷いたポテト。後ろに下がってシャッターの上に前足を置くと、早く早くと目で訴えてきた。
「俺達がしゃがまないとな」
「そうだね」
二人で並んで座り、往人が観鈴の肩に軽く手を置く。
自然と笑みがこぼれてきた頃、ポテトの掛け声が高らかに踊った。
「観鈴ちん、往人さんとらぶらぶ。ぶいっ!」